日々仕事に追われる毎日で、辛いな大変だなって思う時はいくらでもあります。そんな合間を縫って楽しい時間だなって、幸せだなって思えるような時間が過去にはあったんです。過去っていうのはだいたい5年くらい前までですかね。
何のために毎日仕事してんだろって思うことがしばしばあるんですよ。
別に仕事が嫌なわけじゃないんですよ、決して。
社会的な理由を述べるのであればもちろん生きていくためってのが労働の最大の理由でしょうが、もっと小さい身近なスケールで考えた時にいろいろ小さなモヤモヤが顔を出すんです。“何のために仕事やってんだろう”って。
「日頃仕事頑張ってんだから今日は大好きな東京に遊びに行ってくるゾ!」って意気込んで行って実際に一日遊んできても、理由のわからない空虚感に襲われるんです。大好きな場所に行ったのに、丸一日自由に東京を味わったのに、美味しいものを食べたのに、自分にとってプラス要素を思う存分取り入れたのにもかかわらず思い出として、素敵な経験としてあまり心に残らないんです。
いったいどんな喜びや感動を体験したら幸せとして思い出になるんでしょうかね。僕はこういった余暇のセルフプロデュースが本当に下手くそなんだと思います。
一例を挙げると、一年前京都や大阪に旅行に行ったんですけど、なんとなく大筋の外枠を覚えているだけで、もっと細かくどこに行ったとか、どんな景色を見たのかとか、その時どんな思いでいたのかなど全然思い出せません。行ってきた意味ないじゃん!
心で感じることができていないんでしょうね。いかに盛り沢山な内容にして濃密な時間を作り上げるか。スケジュールはいいものを寄せ集めて濃密ですが、その分ひとつひとつが希薄な内容になってしまっていたんでしょうね。スケジュールをこなす“作業”でしかなかったんです。
幸せの感じ方なんて十人十色なものなので「こうすれば幸せだよ」っていうマニュアルはありません。そもそも幸せってなんだっけ?ってことです。
事件や事故に巻き込まれず、平凡に生きていられることが何よりも幸せなのかもしれません。でもどうせ生きているなら、「今日は価値ある一日だったな」って思える日が一日でも多くあったらいいなって思いたいんです。努力なしの平凡という幸せよりは一歩上の“価値あるもの”を経験できたことを幸せだと思っていたいんです。
欲張りな考え方かもしれませんが、そんな目標が勝手に自分の中にあります。
その考え方自体がそもそも自分を何かに縛り付けてしまっているような気もします。
この窮屈な壁をなんとか取っ払わないと心で感じなきゃならないものが自分の中にスッと入ってきてくれませんよね。心に壁があったら自分から何かを排出することも滞ってしまいます。
30を過ぎて、なるべく自分が傷つかないようにと築き上げた壁が、他人からの圧力を避けるためだけでなく、自己表現もおろそかにさせてしまっていたんですね。
今日も明日もまたその次も仕事ですよ。今日からは多少は他人様からの圧力も受けながら自分を発信するという行為もやっていこうと思います。それが自然にできて、自分がうまくコントロールできるようになったらもうちょっといろいろが思い出に残るように柔らかく物事を感じ、吸収していけるんじゃないかという結論に今回は達しました。
“幸せってなんだっけ”って考えていること自体が病んでます。
そんな変な気分にならないよう、仕事やその他に没頭してありのままで、少しわがままでいたいと思います。
【キャンデト茶】
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