ぼーっと物思いにふけるドライブ。気の向くままに走るドライブは気づくと高速道路に乗っていました。いろんな事に対する決定意識が薄い時って、自分が経験したことのある慣れたことをするみたいで、関越自動車道を南下し、東京方面に向かっていました。いつもの僕ならまず高速に乗らないだろうし、乗ったとしても普段自分が選ばない方面に向けて新発見を見つけに行こうと新潟方面に車を走らせるんでしょうけど、昨日は無意識に南下してました。
高速に乗りひた走っている時にも行き先のことを考えずに視覚的に飛び込んでくる各種情報に対する思考回路しか働かせていませんでした。
「前の車、追い越しちゃおうかな」
「げっ、後ろに埼玉県警のパトカーいるし」
「対向車線もう大渋滞じゃん」
みたいなことしか考えていませんでしたね。
練馬料金所を通過して、さぁどうしようか。そのまま直進で一般道に出てもいいけど、交差点の度に信号待ちも面倒臭いと判断したんでしょうね。外環道に入っていました。久しぶりにこっち方面を車で運転してみましたが、和光のあたりはやけに車線の幅が狭くなったんじゃないかって思いました。大型トラックを追い越す際に「うわっ、狭ッ!」て感じました。高速道路の道幅じゃなかったですよ。
次の分かれ道、美女木JCTで迷わず首都高速へ。僕はバトることはしませんが、首都高が好きです。そういえば昔も思い悩んだ時にはここを何周かして帰った気がします。順調に慣れた道を銀座方面に向けて走らせていましたが、江戸橋JCTで右にそれて行きたかったところで車線変更が上手くいかず、まぁいいやで直進。そのまま道なりに進み、辰巳JCTで軌道修正してC1をグルッとして帰路につきました。
そんな感じで家を出てから帰ってくるまで、約5時間のドライブ楽しかったです。行き先決定などには一切思考回路を使わず、日々のモヤモヤを回想することだけに頭の労力を費やした時間でした。
『人間は自然のリズムに合わせて生きる方がいい』
車中聴いていたラジオで農家の方がおっしゃっていた言葉です。
話の前後をよく聴いていなかったのでどんな流れでこの言葉が出てきたかわかりませんが、頭の中に残っています。
どんな意味のある言葉だったんでしょうか。
心が満たされていないと不安や不満になる。かと言って満たされすぎていると人間としてダメになっていくような気がする。そんな心のバランスがどこか不釣り合いな部分がある今、自分が自分でないような感覚になっている僕に響いた言葉でした。無理をせず、置かれた状況に身をまかせることもたまには必要なんじゃないかと。
いつも何かに縛られ、その縛られた空間や時間の中だけで自分の居場所探しをしていると疲れます。昨日みたいに“どうにでもなれ”と自分を放り出してみたら少し楽になりました。それなりの時間運転しましたが疲労感は全くありませんでした。
なんとなく自分を客観視できたんじゃないでしょうか。走り終えたあとものすごく開放感があり清々しい後味がありました。
相変わらず昨日の出発前に求めていた答えにはたどり着けていないと思いますが、昨日は“自分”という目的地にとりあえず到達できたんじゃないかと思います。
もう一度冷静さを取り戻し、今日走るべき道を走って行きたいと思います。
あなたのサイトのURL、そろそろスリムにしませんか?
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