1972ミュンヘンから2024パリへ バレーボール金メダルへの道



今回のオリンピックで個人的に一番期待しているのが、男子バレーボールであります。
中心選手の石川祐希、高橋藍が現在世界最高峰イタリアプロリーグで活躍しているニュースが聞こえ、最新の世界ランキングで日本が2位にランクされるなど、一昔前では考えられない活躍ぶりです。
これはもういの一番に応援しない訳にはいきません。

時は遡って1972年。ミュンヘンオリンピックで日本男子バレーボールチームが見事に金メダルを獲得したことをご記憶の方は、現在還暦過ぎであればたくさんいらっしゃると思います。
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この私、中学生時代バレーボール部だったこともあり、バレーボール日本リーグや海外強豪チームとの親善試合などをテレビ中継でよく観ていましたし、東京体育館に日本リーグを観戦に行ったことも何度かありました。
ここからはすべて私の記憶と私見による記述です。その記憶も当時のテレビ中継での解説と一部の書籍から得た知識がすべて。ネットで調べてとか全くナシで書いていきます。かなりオタク入ってますのでそこんとこご理解よろしくお願いいたします。
でもここで書いたことを知っていただいた上でパリオリンピックのバレーボールをテレビ観戦すると、より楽しめると思います。

さて当時日本チームは、松平康隆監督の下1964年から8年計画で金メダルを目指してチーム作りを行い、東京銅メダル、メキシコ銀メダルに続いて当然ミュンヘン大会は金メダルを目指していました。そして大会が近づくにつれ、日本中から金メダル獲得の期待を受けていたと言っても大げさではない状況でした。
当時の世界バレーボール界は共産圏各国がしのぎを削っており、日本を除いて強豪国はすべて東欧諸国で占められておりました。その中でも各国独自のプレイスタイルを持ち、それらは「世界4大流儀」と呼ばれておりました。
力のソ連、技のチェコスロバキア、高さの東ドイツ、そして速攻コンビネーションの日本。
それに加えてブルガリア、ポーランド、ルーマニアなどが上位を占めていました。
ところで現在世界ランキング1位はポーランドなんですってね。
体格的に敵わない日本チームは、強力なスパイクを誇るソ連、高いブロックと相手のブロックの上から打ってくる東独に対抗するために、セッターからのトスが頂点に上がる前に打つクイック攻撃(Aクイック)、ネットと平行に速く長く低いトスを打つBクイック、そのトスをセッターが後ろに上げるそれぞれCクイック、Dクイック。またそれらを組み合わせ囮のクイックで相手のブロックを引きつけ、別のアタッカーがノーマークで相手のコートに打ち込む時間差攻撃などを開発し、共産圏の大きな選手達に互角に渡り合いました。この時間差攻撃は海外でもJIKANZAと呼ばれていたそうです。
特にこの日本独自の速攻コンビネーションバレーは、高さの東ドイツには威力を発揮し、ミュンヘン大会の決勝戦がその東ドイツだったのは日本にとっては幸運でした。というのも日本はソ連の強打をなかなかブロックできずにいて、五輪前の親善試合でも対戦成績は5割以下だった思います。クラフチェンコを始めとする体重100kgを超えるメガトン打線は日本のブロックが無きが如く粉砕していたのでしたが、このソ連の強打を準決勝でことごとくブロックして決勝に勝ち上がってきたのがシュナイダー、シュルツ、シューマンの3Sを擁するその東ドイツだったのでした。
力は高さに弱く、高さはコンビネーションに弱い。この図式が上手く当て嵌まったのも実力に加えて、時の運だったのかもしれません。
実はこの時、日本速攻コンビネーションにもう一つのワザが加わっていました。それが中心プレイヤーだった森田淳吾選手の「一人時間差攻撃」でした。この一人時間差というのは、例えば、一旦Aクイックのタイミングでセッターに近づき、相手ブロッカーがそれにつられてブロックに飛んだタイミングであえて打たずに相手が降りた頃に少し高めのトスをノーブロックで相手コートにたたき込むといったワザです。さらにそれがAクイックからBクイックに移動、BからAへ移動、一番凄かったのはAからセッターの後ろに回ってCに移動すると言ったバリエーションもあって、これで相手ブロッカーは全くついて来れない状態になります。
この一人時間差はミュンヘンオリンピックの同年に確かポーランドかブルガリアとかの親善試合で初披露された攻撃でしたが、それを見て驚いたのと同時に、これオリンピックの本番までなんで隠しておかなかったのか?心配になった記憶がありました。
でこれには、超私的後日談がありまして・・・。
10年ほど前、私が仕事の絡みでとあるゴルフコンペに参加した時のこと。当日のメンバー表に「森田淳吾」の名前が!これは絶対サインをもらおうと思い、月刊バレーボール臨時増刊ミュンヘンオリンピック特集号を持ってクラブハウスで森田さんを探し(身長194cmだからすぐに探せました(笑))サインをお願いしたら、何と・・・
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「一人時間差 森田淳吾」 のサイン
回りにいらした皆さんに森田さんご本人がこれだよ、これ!って解説されておられました.。


この写真でよく分かると思いますが、相手ブロッカー(ブルガリアのエース ズラタノフ選手)は全然違うところにブロックに飛んでますね。
ちなみにこの試合はバレー史上どころか日本スポーツ史上に残る超大逆転劇、準決勝の日本対ブルガリア戦であります。2セット先取されてから3セットを奪い返し、それも5セット目3−9から逆転した名試合でした。
ここで日本チームの選手個々に目を向けて見れば、世界に互する大砲アタッカー大古と横田、そしてその世界一のセンタープレイヤー森田、名セッター猫田、クイック攻撃の要木村などその時代の世界的プレイヤーがレギュラーを固め、ピンチ凌いだ東京五輪時代からのベテラン中村、南。若手オールラウンダーの嶋岡、この大会のラッキーボーイ的存在の西本、深尾などチームの総合力として凄く噛み合ったチームでした。考えてみれば団体競技で金メダルを取ると言うことは、こういうことなんだな、と今回改めて思います。
このオリンピックに向けて、また松平監督も日本人の目を男子バレーボールチーム向けようと監督業に加えて、広報活動に注力されていました。64年の東洋の魔女で女子バレーが国民的人気を博した後、男子だって銅メダルを獲ったんだ、8年後に金メダルを獲るんだって色々なところでアピールし、ミュンヘン大会直前にはチームをモデルとしたテレビアニメの放送も実現させました。

ところが男子バレーボールはその後、凋落の一途をたどりました。メダル獲得はおろか、予選敗退でオリンピック出場さえ叶わない低迷期に突入します。
先に書いた様に日本の強みは速攻コンビネーションだった訳ですが、力と高さに頼っていた世界の強豪国も速攻コンビネーションを取り入れた事に加え、バレーボール自体のルール改訂が起因していると私は考えます。
実は、日本の金メダルチームのには速攻コンビネーション以外にもう一つ他国に秀でていたストロングポイントがあったのです。それは2段トスからのスパイク。2段トスとは後衛から前衛に向かって斜め後方から上げられたトスで、そのトスを打つ技術が日本選手は他国より優れていました。相手のスパイクが味方のブロックにワンタッチし、それを後衛プレイヤーが拾って2段トスを上げ、前衛のスパイカーが打ちます。これが日本は上手かったのです。
ところがミュンヘンの次大会モントリオールに後ルール改訂が行われ、ブロックに当たったワンタッチはカウントされなくなりました。つまり相手のスパイクが味方のブロックに当たって後衛のレシーバーがひろった後、セッターが改めてトスを上げ直す事ができるようになったのです。もちろん日本にとっても速攻コンビネーションを行う機会は増えましたが、2段トスからのスパイクが不得手な外国チームには追い風となった訳です。

それから約半世紀を経て、サッカーなどと同様に海外のトップリーグに日本人選手が進出することになって、ようやく日本男子バレーボールが世界の頂点を目指すチャンスがやってきました。
果たしてパリオリンピックで日本男子バレーボールチームは52年ぶりの金メダルを獲ることができるでしょうか?
大いに期待してテレビ観戦したいです。
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シュミルソン
達郎マニアであります。ついにサンソン超常連になりました。カジュアル、シューズ、コスメ等を扱う小さな広告会社やってます。ゴルフは竹林隆光さんにクラブセッティング90点いただきながら未だに100叩いたりしてます。ハワイでゴルフしてシャワー浴びてビール飲むと寿命が5年延びるというのが持論です。オオーベイベー!
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2024年07月27日

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