東日本大震災発生後に
お世話になった「信州おやき」を紹介します。
東日本大震災以前は、「信州おやき」というのは、
まったく知りませんでした。
「信州おやき」をはじめて知ったのは、
東日本大震災発生後に、数日たってからの
仙台市内で出会いました。
道端で、震災支援で販売しておりました。
すべてのスーパーやコンビ二は、
まったく閉まったまま、食料確保が困難な
状況でした。そんな中で、わざわざ長野県から
食料支援で、仙台市に来てくれていたのが、
この「信州おやき」を販売している方でした。
おやきとは何か?
小麦粉やそば粉を練り、厚手のなべに平たくして入れ、
両面を焼いたものです。
発祥地は北信地方や安曇野地方といわれ、
現在は長野県全域で作られ、名物となっている。
おやきは長野県だけでなく、
日本各地の気候や水利の関係で稲作が
難しかった地方で作られている。
長野県の多くの地域は、急峻な地形や寒冷な
気候ゆえに米の栽培に適さない地域です。
そこで、米の代わりに蕎麦や小麦を原料とした
食品が古くから食べられていた。
おやきはその一つであり、小麦粉や蕎麦粉を
練って作った皮で具を包む。
おやきの具は?
あんの材料には野菜や山菜が用いられるのが
一般的。小豆餡、野沢菜、茄子、おから、きのこ、
かぼちゃ、切り干し大根、野菜ミックス、胡桃など、
様々な種類がある。
野菜や山菜のあんは、
あらかじめ味噌、塩、しょうゆなどで味付けをしておく。
太平洋岸・日本海沿岸と交流が多かった地区では、
塩秋刀魚や鰯など魚をあんに用いることもあった。
おやきの昔と現在の食べ方
小麦粉や雑穀粉の皮であんを包み、
焙烙で表面を軽く焼いて乾かしてから囲炉裏の熱い灰に
埋め、蒸し焼きにした食品だった。
しかし各家庭から囲炉裏が無くなった現代では、
油を引いた鉄板で焼くか、オーブンなどで焙り焼きにする。
長野市中心部など善光寺平(長野盆地)では、
「お焼き」の名前ながら蒸篭や蒸し器で蒸すのが一般的である。
仙台市で売っていたおやき
おやきの中の具が、野沢菜、なす、切干大根、
きんぴら、南瓜、つぶあんの、しめじ五目の
7種類でした。
おやきを食べて見ての感想
野沢菜を食べて見ましたら、はっきり言って
めちゃめちゃ美味しいです。
なんでこんな食材知らなかったのだろうと、
恥ずかしいくらいでした。
肉まんと違って、表面が固く、手にくっつかないです。
手もべたつかないし、唇にくっついたりもありません
でした。食べやすいのがいいですね。
東日本大震災後は、食料がない中で、
「信州おやき」は、手軽に食べれて、冷凍保存で
約60日は持つので、まとめ買いして、少しずつ
食べながら、震災後は生き延びる事ができました。
停電も、東日本大震災発生の4日後に電気が、
通電になったので、電子レンジ使用で、温めて
食べる事ができました。
昔から重宝されてきた食材は、飢えを凌ぐために
作られてきただけあって、東日本大震災発生後では、
食糧難で、飢えを凌ぐ、大きな役割を果たしてくれました。
長野県「信州おやき」の紹介
長野の 「信州おやき」 をつくっている方へ感謝です。
どうも、有難うございました。
見て頂きありがとうございます。
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信州おやき、初めて知りました。
大震災は、日本国内ならどこでも
起こる可能性があるので困りますね。
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