池田さんは2代目の長男として下関で育ち、関西の大学を卒業後、海外生活などを経て地元に戻った。28歳で店を手伝い始め、経営を継いだのは40歳前後。県産日本酒を楽しむイベントを主催するなど新たな取り組みも始めたが、量販店との値下げ競争にはあらがえず、2013年に閉店した。
閉店後は保安警備や予備校の職員などを勤めたが「酒や北市屋への思いは捨てきれなかった」と振り返る。日本酒のイベントは閉店後も定期的に続け、客の提案で名前は「北市屋酒縁(しゅえん)の会」に。県産日本酒と地元食材を使ったコース料理を提供し、多いときには40人が参加していた。
酒屋育ちで海外生活の経験もある。地元も外国も問わず、来た人が日本酒を飲んで交流できる場所を地元に作りたい気持ちがあった。複数の友人の「酒を扱っているときが一番生き生きしている」との言葉に背中を押された。それまでの仕事に区切りを付け、昨年7月15日、酒場として店を復活させた。
酒場の名前は「sake bar北市屋」。元の店舗を改造した店内は昔ながらの角打ちの雰囲気が漂う一方、英語メニューを置き、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で日々、仕入れた酒やつまみを発信している。
復活からもうすぐ1年。「お客さんはまだまだ少ない」と苦笑するが、リピーターは確実に増えてきている。「帰っていくお客さんの顔を見ると、進んでいる方向は間違っていないと確信できる」と力強く語った。
量販店と値下げ競争の末
「町の酒屋さん」は1998年から段階的に実施された酒類販売の規制緩和により、ドラッグストアやスーパーなど量販店との値下げ競争を強いられ、全国的に経営が難しくなった。量販店は、ビール各社から支払われる販売奨励金(リベート)などを原資に、ビールを「目玉商品」として安く売り、集客を図っていたからだ。酒類の小売業者が加入する全国小売酒販組合中央会によると、2003年度に11万7878人(うち休業が5241人)いた組合員は今年度、4万4849人(同1258人)まで減った。昨年6月には量販店による過剰な安売りを規制する改正酒税法が施行された。だが閉店した下関の組合員は「いまだに量販店の販売価格が、個人酒店の仕入れ値より安い」と嘆いている。
https://mainichi.jp/articles/20180705/ddl/k35/040/379000c
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