オリエンタルラジオの同期芸人たち
2005年にデビューし、すぐに大ブレイクしたオリエンタルラジオ。
そんなオリラジの同期芸人が集まった。
・トレンディエンジェル
・フルーツポンチ
・はんにゃ
・ニッチェ
・三四郎
この5組とオリラジが、デビューしてからこれまでの歴史を振り返る。
武勇伝期 (2005年〜2008年)
デビュー直後に「武勇伝」というネタで大ブレイクしたオリラジは、3年でレギュラー番組10本を持つ売れっ子となる。
しかもそのうち3本は冠番組だったという、若手芸人としては異例の事態であった。
オリラジの独走状態だったこの頃、はんにゃとトレンディエンジェルは、吉本興業の劇場でのライブでオリラジのバックダンサーを務めていたという。
その当時の映像を見ると、調子に乗って天狗になっているオリラジがいる。
しかし、デビュー直後にあんな売れ方をしたら、誰だって天狗になる気がする。
この時期オリラジは、「365日ライブ」という企画で、毎日ライブをしていた。
あまりの忙しさに中田が精神的におかしくなり、ライブ中に奇行に走ることもあったようだ。
レッドカーペット期 (2008年〜2010年)
オリラジの人気が落ち始め、10本あったレギュラー番組が全て終わった。
そして、はんにゃ、フルーツポンチが頭角を現し始める。
この2組は「爆笑レッドカーペット」や「爆笑レッドシアター」などのネタ番組で活躍し、人気者になる。
特にはんにゃは、「ズクダンズンブングンゲーム」というネタで若者を中心に大ブレイクしていた。
人気が落ちていたオリラジ中田は、「はんにゃにかみついて笑いをとる」という手法を使い、なんとか消えないようにもがいていた。
チャラ男・ヒザ期 (2010年〜2014年)
オリラジ藤森はある日、テレビであやまんJAPANを見て、『この人たちと一緒に何かできないか』と考えた。
そして事務所と相談し、共演が実現。そこからチャラ男としてブレイクしていくことになる。
フルポン村上はアメトーークの「運動神経悪い芸人」でヒザ神としてブレイクする。
しかし周囲からは、
『ブレイクしているのは村上のヒザだけ』
『ヒザにオファーを出したら、村上本体がついて来た』
『村上は、ヒザのバーターだ』
などと言われていた。
THE MANZAI ・ Mー1期 (2014年〜現在)
ニッチェや三四郎がネタ番組やバラエティ番組でブレイク。
そしてトレンディエンジェルはM−1グランプリ2015で優勝した。
一時は低迷していたオリラジも這い上がってきた。
6組とも知名度が上がり、それぞれ活躍している。
とは言うものの、フルーツポンチ亘(わたり)はあまり目立った活躍をしていないような・・・
フルーツポンチ亘の活動
フルポン亘はインスタグラムをやっており、自身のファッションコーディネートに関しての投稿をしているという。
オリラジ中田の調査によると、そのインスタグラムの写真の、亘の立ち方がほぼ毎回同じであるという。
また、「足元はWESCO」という文章がよく登場することも指摘されていた。
※WESCOはブーツのブランドです。
亘の、芸人としての活動はどうなっているのか。
そのあたりは今回の放送ではわからなかった。
オリエンタルラジオ中田の想い
オリラジ中田はデビュー当時、こう考えていた。
『同期の芸人たちは、俺たちオリラジの才能に打ちひしがれて芸人を辞めていく。だから同期とはしゃべらなくていい』
しかし10年後。そこには同期として胸を張って共演できるほど成長した芸人たちがいた。
中田は語る。
『自分の計画は失敗したが、今回こういう企画ができて嬉しい』
『視聴者の皆さんが、一瞬でも嫌なことを忘れられるような楽しいコンテンツづくりを、協力してやっていきたい』
『それぞれの個性を活かして社会に貢献していかなければならない』
『それぞれの適性を見極めて、力を合わせていきましょう』
中田自身もこの10年で大きく成長したようだ。
まとめ
この世代はオリラジが引っ張ってきたと言っても過言ではないのかもしれません。
オリラジがいたから辞めていった芸人もいますが、オリラジに負けまいと腕を磨いた芸人もいるはずです。
同期に限らず、先輩や後輩にも刺激を与えたことでしょう。
あなたの周りにそういう人はいますか?
刺激を与えてくれる人と良い関係をつくって、切磋琢磨していけるといいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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