日本を出て、海外で学位取得を目指す人が増えています。特に近年、顕著なのは博士課程への留学です。海外の大学院の博士課程は入り口は割と楽ですけれど、入ってからが大変です。自分も含めて周囲のPhDの学生はみんな入学してから辛酸を舐めました。日本の大学の方が教育に力を入れているので、学生の面倒見は良いように思います。英語圏の大学では、特にメンタルをやられる人が多くて、カウンセリング室は予約が満杯だったことを覚えています。ただ、これは博士課程だけではなく、海外の名門校にはよくある話だと聞きました。世界から秀才が集まってくるような大学だと、競争も激しく、自分よりも優秀な学生も多い、授業や課題の内容も難しい、ということでメンタルに不調をきたすようです。名門大学に留学することの辛さはあのモーリー・ロバートソン氏もTV番組で告白しています。
モーリー・ロバートソンが母校ハーバード大を訪問 タフな学生生活を振り返る「生き抜いてよかった場所」 https://www.ntv.co.jp/anothersky2/articles/2189gjzb6edv7v2rbqx.html
これには大学に求められる役割の違いもあります。英語圏の大学、特に大学院は研究機関としての位置付けが強く「日本の大学=教育機関」とはかなり意味合いが違うと思いました。学生は(研究者としての)自立を求められるので、アジア系の学生でこの文化についていけない人々は時々見かけました。学生のケアは教員ではなく、カウンセリング室や学内の別の組織が担っているのが一般的だったようです。
私は日本と海外の両方の研究者をツィッターでフォローしていますが、日本の大学教員の方々が授業や学生のことに関して割合、頻繁に呟いているのに比べ、海外の大学の教員は自分の研究のことが中心で、学生や授業について言及している人はほとんど見かけません。これは学内の様子を反映していると思いました。
先日Clubhouseに集まっていた米国留学中の大学生が「卒業後は日本」と言っていたのは、こういう孤独や自立を求めらる米国の大学の文化が性に合わなかったのではないかと思います。博士課程でいえば、具体的な研究テーマを指導教官が示唆してくれないことが、アジア系の学生にはきつかったようです。
また、アカデミック・スキルに関する異文化間の教育レベルのギャップの問題もありました。英語圏の大学の教員は博士課程に所属するアジア系他留学生が本国でCritical Thinking やアカデミック・ライティングの基礎訓練を受けていることを前提として接していました。しかし、彼らが自明の理として考えている教育はアジア圏では異質のもので、このギャップを埋めるのに苦労している学生を数多く見かけました。実は博士課程を途中で退学しなければならないケースで多かったのが、経済的理由以外ではこのCritical Thinkingの要件をクリアできなかった場合が多いように思いました。特に米国はMPhilからPhDへの移行試験が厳しく、ここで脱落する人がかなりいるようです。
また、論文の執筆には日本語・英語を問わず、論理的思考・叙述の訓練を受ける必要があります。日本人は基礎教育、大学教育双方でライティングに関して学習する機会が殆どありません。上記の記事でモーリーさんもハーバード大学での論文執筆の難しさに言及しています。これは大きな問題です。以下の記事で詳細を説明しました。
アカデミック・ライティング: なぜ訓練が重要なのか
https://note.com/globalagenda/n/n2589ef5f9d01
今、開いている複数の講座は自分自身が「博士課程を始める前に知るべきだったこと」を伝えるために、自省も込めて主宰しています。以下はこんなコミュニティが欲しかったという思いから企画しました。
[Writing Cafe] 英語論文&アカデミック・ライティング・グループ—説明会第4回&ワークショップ@オンライン 2/20(土)20時〜
https://note.com/globalagenda/n/ndb916f0e4160
これからも研究や論文に関する情報発信を続けますので、ご関心のある方はフォローをよろしくお願いします。
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