それでも
その「いやな現実」と
自分の思うこと願うこと
願って望んでいることは
まったく 無関係なんだな
願っているのに
望んでいるのに
ぜんっぜん 叶わない
いやな現実しか見えてこない
こんなじゃ
いやな感情のまま
つまらん!!
ずっとその繰り返し
思い通りになっていない現実に
むきになって
そこばかりに集中して
どうにかその現実が変わってほしくて
でも辛い
いつも悔しい苦しいもう面倒!!!
何が見えても
まったくもってそう思えなくても
望むことはなんだろ
本当に望んでいることって
「楽しく過ごす」ことだ
嫌なもの見せられて
つまらんつまらんむかつくむかつくって
感情になってしまっても
そのことと
望む自分
在りたい自分が感じたいことは
無関係
まったく
その「嫌な現実」には
なんの力もないし
影響を受ける価値もない
嫌だなと思ってしまっても
「自分はどうしたいのか」
どんなふうになりたいのか
望むことはなんだ
楽しいものを観て
楽しく過ごしたい
嬉しいと思いたい
見えてるものはつまらんものでも
そこに
「楽しく過ごす」を探さないでいい
そこには
望まないもの(にせもの、まがい物)しか
写っていないんだと思う
だからそれ見ながらイラつきながらでもいい
それとは関係なく
「楽しい」と思うものを
見つけるくせをつけよう
そのつまらんもの見なきゃならないなら
そのニセモノを流しながら
「楽しい」と思えることは
なんだろ
ニセモノに「楽しい」を求めない
自分にとっては
美味しいものだから
食べたかった美味しいものを
用意して
つまらんニセモノ流しながら
イライラしながらでも
たまに
「おいしい!」と感じる時間を
増やしていく
少しずつでも
「美味しい」の数分に
集中してみる
とにかく
そのつまらん現実と
望む自分の在り方は
無関係
思い通りにならないのは当然のこと
だって
ニセモノなんだもんね
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