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posted by fanblog
2021年03月22日
面白いとは何か?面白く生きるには?
満足とは、求めていたものが得られることであり、自分が思い描いた状況に実際になることだ。人間の脳は、頭に思い描いたことが現実になることを欲している。 他書でも何度も書いていることだが、僕は、この状況を「自由」と定義している。自由とは、「思ったとおりになること」「希望したことが現実になること」なのだ
自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。 自由は、自分が計画したとおり、自分が予定したとおりに生きることであり、それが人間の満足の根源でもある 。 したがって、「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いうなれば、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである。
知るために重要な条件は、それまで「知らない」状態であることだ。自分が知らないことに気づくのが、「知る」という体験だといえる。つまり、知ることによって、自分が「欠けた」存在だったとわかる。「知る」ことを体験するまで、知らないことを知らなかったのだ。 知ることは、新しい情報である。少なくとも、その個人にとっては新しい。その意味では、これまでにあった各種の「面白さ」と類似している部分といえる 。
「面白い」生き方をするコツは、同様に、自分が「面白い」ことを思いつくことです。それさえ思いつけば、実行あるのみなのです。多くの人が、実行することが難しい、と考えているようですが、それはまったく反対でしょう。実行することは、誰にだってできます。でも、思いつけない、何をしたら良いのかが、わからないのです。ですから、そこを考えることが第一です。
「面白いことがない」という状況は、「面白いことが思いつけない」状況だ、ということです 。そして、思いつかなくなってしまったのは、面白さを他者から与えられたり、売っている面白さを買ったりといった生活が続いたからでしょう。与えられたものや、買ったものは、一時的には面白くても、いずれ厭きてしまいます。 自分で思いついたものであれば、考えて、思いつく過程でさらに別のことを連想し、つぎつぎと面白さが展開します。その違いに気づけば、与えられるもの、買えるものでは不充分だとわかるはずです。
人から「面白い」とすすめられただけで、「面白さ」がなくなります。「面白い」ものは、自分で見つけるから「面白い」のです。
大勢に買わせよう、と考えるよりも、少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる、安定した商品になる可能性が高い、ということがわかってきた。このため、近年では、そういったピンポイントのマイナな商品が世に出る時代になっている 。
既に述べたようにアウトプットする面白さは、インプットする面白さの何十倍も大きい。両方の経験がある人には、理屈抜きで納得できるだろう。面白いとは、本来アウトプットすることで感じられるものである 。仕事になるためには、質が高いだけではだめで、量が売れなければならない。インプットする人の不足が、これらのアウトプットを支えられない、という致命的な構図がある。
多くの人はネットに捌け口を求め、孤独のバランスを取ろうとしている。これは全然悪い事ではない。これがあるから、1人でも暮らしていける。
面白くないことを寂しいと感じてしまい、いかにも自分は孤独だ、と思いがちだが、その考え方には飛躍がある。そう勘違いしてしまうから、仲間が欲しい、大勢で楽しくやりたいという方向へ行きがちなのだ 。
常に気を付けていることは、自分以外の人の「面白い」を素直に受け取る感受性である。面白いなと思う積極的な気持ちが大切である。隅々まで探して面白さを探す姿勢をいつも持っていること 。
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