「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。 「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。 すなわち、「知性」とは、容易に答えの見つからぬ問いに対して、決して諦めず、その問いを問い続ける能力のこと。 ときに、生涯を賭けて問うても、答えなど得られぬと分かっていて、それでも、その問いを問い続ける能力のこと 。
一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。 人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。 そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものであろう。
「割り切りとは、魂の弱さである」 この言葉は、厳しい言葉。 しかし、まぎれもなく、一つの真理を突いた言葉でもある。 たしかに、我々の精神は、その容量を超えるほど難しい問題を突き付けられると、その問題を考え続けることの精神的負担に耐えかね、「割り切り」を行いたくなる。 問題を単純化し、二分法的に考え、心が楽になる選択肢を選び、その選択を正当化する理屈を見つけ出す 。
すなわち、精神が「楽になる」ことを求め、「割り切り」に流されていくと、深く考えることができなくなり、「答えの無い問い」を問う力、「知性」の力が衰えていくのである。前者の「割り切り」の心の姿勢は、心が楽になっている。 しかし、後者の「腹決め」の心の姿勢は、心が楽になっていない。
臨床心理学者の河合隼雄が、かつて「 愛情とは、関係を断たぬことである 」との言葉を残しているが、まさに、その通り。
実は、人間の精神は、歳を重ねるにつれ、エネルギーを高めていく 。 しかし、我々が意識と無意識の境界で抱いている「人間の精神は、歳を重ねると、エネルギーが衰えていく」という 強固な「固定観念」によって、実際に、我々の精神は、歳を重ねるに従って、エネルギーが衰えていく 。
自分の能力を少し超えたレベルの仕事に集中するという時間を、 定期的に、継続的に、数年間というオーダーで持つ。
「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。 「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである 。
例えば、「直観力」「洞察力」「大局観」などと呼ばれる能力。 これらの能力は、「知性」と呼ばれる能力の重要な核を成しているが、これらは、「職業的な勘」や「プロの直観」などという言葉があるように、永年の「職業経験」や「現場経験」を通じてしか掴めないものである 。 そして、直観力、洞察力、大局観だけでなく、実は、「知性」と呼ばれる能力の核心は、「経験」を通じてしか身につかない、人間としての極めて高度な能力なのである。
しかし、残念なことに、最近の世の中を見渡すと、この「知識」と「智恵」を混同するという病が広がっている。 すなわち、「知識」を学んで「智恵」を掴んだと思い込む、という病である。
「野心」とは、 己一代で何かを成し遂げようとの願望のこと。 「志」とは、 己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託する祈りのこと 。
哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである 。
【感想】
知能と知性というのは全くの別物であり、後者は経験からしか生まれ得ない、非常に高度なものである、というのがこの本の核となるテーマになっている。様々な人生経験、職務経験を踏まえて、答えなどないと分かりつつも考えに考え抜いて最適解を導き出す力───それこそが知性であり、本などで得た上っ面だけの知識ではたどり着けない領域。この知性を磨いていくことで、人生がより豊かになっていくのは間違いないと感じた。マルクスの「哲学者たちは、これまで世界を「解釈」してきたにすぎない。 大切なことは、それを「変革」することである」という名言も心に沁みた。
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