宝塚歌劇団の海外公演の歴史



宝塚歌劇団の海外公演は、1938年に始まりました。当時はまだ「宝塚少女歌劇団」と呼ばれていた頃で、国際情勢が悪化し、戦時色が色濃くなった中で、「訪独伊芸術使節団」として、ドイツ、イタリア、ポーランドの3ヶ国を巡演しました。メンバーは天津乙女さんなど30名で、『三番叟』『紅葉狩り』『棒しばり』『五人道成寺』『豊年踊』などの和風の演目を上演しました。

翌年の1939年には、「訪米芸術使節団」としてアメリカに渡りました。ホノルルやサンフランシスコ、ニューヨークなど9都市で公演を行いました。メンバーは小夜福子さんや春日野八千代さんら40名で、こちらも和風の演目を披露しました。

1942年から1944年にかけては、中国・満州を巡業しました12。これは日本軍兵士への慰問が目的の公演でした12。メンバーは天津乙女さんや初音麗子さんら36名(1942年)、花里いさ子さんや富士野高嶺さんら40名(1943年)、初音麗子さんや春日野八千代さんら23名(1944年)でした。

終戦後、海外公演が再開されたのは1955年のことでした。第1回ハワイ公演として、天津乙女さんら20名が参加しました。その後も1956年と1957年にハワイ公演が行われました。

1959年にはカナダ・アメリカ公演が行われました。天津乙女さんや寿美花代さんら42名が参加しました12。

1965年には第2回ヨーロッパ公演が行われました。パリで真帆しぶきさんや甲にしきさんら52名が出演しました。ここで初めて洋物のショーを上演しました。

1966年には第4回ハワイ公演が行われました。

今日はこの辺りまで。






posted by datad1222 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2023年10月31日

この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12283563
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: