ラマザン、断食月について

どうもメルハバ!



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今回は僕が経験した「ラマザン」についてです。日本では「ラマダン」と言われてますが、要は断食月です。

このラマザン期間中に行うことは至ってシンプルです。

日の出から日の入りまで一切の飲食を絶ちきるだけです。ね?簡単でしょう?(笑)
てはなぜ断食するのか?目的はいくつかあります。

「我慢することを理解する」
「貧しい人の気持ちを理解するため」
「食べ物が食べれる喜びを再確認するため」

等です。トルコ語で「断食する」ことを「Oruç tutmak (オルチュトゥトゥマク)」と言い、「断食」だけだと「Oruç(オルチュ)」です。これは日没と同時に解除されます。
一つハッキリさせておきますが、1ヶ月間何も飲食しないのではなく、1ヶ月期間中の日中飲食しないだけです。ですので日の出前の早朝と夜は皆ご飯食べます。早朝の食事は「サフル」と言い、これを逃すと日中耐えるのがキツイです。夜ご飯の時間は「イフタル」と言い、これがまたお祭りのようで楽しいので、毎日みんなこれを楽しみに耐えています。

そして実は、我慢するのは飲食だけではありません。怒るのもダメです。ケンカもダメ、相手を傷つけるのもダメだし、ぶっちゃけ性行為もダメです。これらを日没前にやると、ハッキリ言ってその日のオルチュは失敗です。まあ夜になったからって人を傷つけていいとかはもちろん無いですよ。
で、1ヶ月連続で続けないといけないので、1日たりとも気は抜けません。

断食は日の出前の段階から始めます。僕がいた時期のラマザンは、夏の時期の一番キツイ時期でした。毎日だいたい夜中の3:20から始まり、夜の20:50に日の入りを迎えるので、実に17時間半な〜んにも口にしません。
まあ間に寝る時間があるので、実際は12-13時間くらいです。

このラマザンは、毎年行う時期が変わります。イスラム教独自のヒジュラ歴という暦に沿って行われるので、毎年だいたい10日くらい早まります。ですので時期によっては日没が早い冬に行う場合もあり、その場合は少しだけ楽になります。期間も一か月あるので、毎日数分時間が変わります。

ちなみに世界で一番長く断食しなきゃならないのは北欧に住んでる人達で、約20時間、ひょっとしたらそれ以上だったかもしれませんが、一日のほとんどを断食してるそうです。なぜなら白夜でほとんど日が落ちないからです。
これはトルコにいたときニュースで、「世界で一番尊敬すべきラマザンを過ごす同胞」みたいなタイトルで紹介され、スウェーデンに住んでるトルコ人達を紹介してました。20時間ですよ?信じられますか?日本で普通に生活していて、20時間も飲み食いできないなんて状況は滅多にないでしょう。
もう彼らには脱帽するしかありませんが、彼らにとってはそれが当たり前になります。

このオルチュは皆が皆やっている訳ではありませんが、断食してない人達はしている人達の前でご飯を食べたりしません。極力避けます。僕も昔働いてた職場で、同僚のトルコ人が断食しているのでいつも別な場所で食べていました。

が、一度こんなことがありました。

朝バスに乗ってるとき、あろうことか乗客の一人がパンを食べ始めたのです。それを見た乗客達が怒り、バスから叩きだしたのです。あれは端から見て僕も「Ay?p(礼儀知らず)」だなと思いました。わざわざ見せつけるように食べていたので、見ていて見苦しかったです。

バスのエピソードはまだあります。
これはいい話で、ある日バスに乗っていて日没の時間になると、突然バスの運転手がバスを停めて降りて行ってしまいました。どうしたのかと思ったら、近くのコンビニ的なところからパンとジュースを買って来たのです。それで食べながら運転を再開するんですが、誰も咎めません。日本だったらクレーム沙汰でしょう。しかも妻が言うには、買ってきた食べ物を乗客に分け与えることもあるんだとか。素晴らしいことです。

トルコの面白いところは、国民の9割がイスラム教徒でありながら、やっている人は半々位なんじゃないかと思います。やらない人は、日中でも普段通りご飯食べるし、人によってはお酒も飲みます。しかし、最近のトルコはそういう人達を忌み嫌う風潮になりつつあるように思います。宗教の強制というのは、本来イスラム教の教えに反することなのですが、きちんと行っている自分たちが正しいから何をしてもいい的な考えを持つ人も残念ながらいます。

一度ひどいニュースを目にしました。
ある韓国人が経営しているバーに、ラマザン中にお酒を提供しているとのことで、数人の男が押しかけてお店を滅茶苦茶にしていったのです。その韓国人はあまりのショックに、泣きながら店をしめて母国に帰っていったそうです。見ていて痛々しかったし、外国人だから何も言い返せないだろうとタカをくくってやったのは明白なのがまた胸糞悪い事件でした。なぜなら期間中にお酒を提供しているバーなんてごまんとあるからです。トルコ人が経営しているお店だったら、言い返すと面倒なことになるから絶対に押し入らないでしょう。

お店といえば、この期間中は流石に食事をする人が少なくなるので、レストランが閉まっている確率が高いです。ショッピングモール内にあるレストランは開いていますが、個人経営のお店はほとんど閉めます。それは田舎に行くほど顕著で、一度カッパドキアのウルギュップに行ったときは広場にあるお店がすべて閉まっていました。

終わりが近づいてくるころ、ラマザン月の中で一番大切な「カディル・ゲジェスィ」がという日があります。この日は一か月の中で一番神聖な日で、「千の日よりも重要な一日」と言われています。この日に断食する者の願いは全て受け入れられるとも言われ、普段断食をしない人でもこの日はする、という人がいます。僕も興味本位で一度やってみたいと相談したら、友達の勧めで人生で初の断食はこの日に行いました。

僕はこの断食は、日本の人も一度やってみるべきじゃないかと思います。そうすれば、食べ物の有難さを再確認し、心がもっと豊かになるんじゃないかと思っています。日中我慢し、夜のご飯を一口食べた時の感動は忘れがたい思い出です。今回はラマザンの概要+αを説明しましたが、次回は僕の初断食の体験等を含めて更に驚きのラマザンをお届けします。

どうぞお楽しみに!それではホシュチャカルン!





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posted by エミル at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

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2019年01月30日

第5章:居合道と親友との出会い

どうもメルハバ!
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今回はトルコストーリーの第5回目で、人生を変えた居合道との出会いについてです。
まだ読んでない方は、第1章から読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0

猛プッシュの甲斐あってやっと会社から滞在許可証が発行され、これでやっと安心できると思っていましたが、一つの理由から僕は余り元気がありませんでした。

それは自分の中に、外国人に伝えられるような日本的要素がないんじゃないかと感じていたからです。
イスタンブールに来てからずっと思っていたのですが、ここにきてそれが凄く気になり始めます。

もちろん日本で生まれ、日本で育ち、母語も日本語ですが、何か日本特有の文化を体現するような特技があったわけではありません。
ていうかどちらかというと、ゲームばかりやっていたいわゆる「オタク」に近い感じでした。それを無駄な時間とまでは言いませんが、もっと別なことに時間を割けば良かったと思っています。

しかし、後悔先に立たずなのでどうしようもなく、加えて仕事面でも言葉の壁の問題や、まだ慣れきってないので失敗が続き悶々とする日々を送っていました。


そんな時、友人から一つの誘いを受けます。それは近所の合気道道場に、居合道の先生が来ているから見に行こうというものでした。

この時の僕は無知丸出しで

「居合道?剣道じゃなくて?」

なんて質問を返すくらいですから、この時初めて居合道というものを知ります。
お前本当に日本人かよ(笑)
と突っ込まれますが、日本人だからってなんでも知ってるって訳じゃないのに・・・しかしトルコ人はそんなことはお構いなしです。
とまぁさて置き、ちょうど何もすることなかったし、何かアクションを起こしたいこ思っていたので、友人に誘われるまま見に行くことにしました。

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その日の週末、アジアサイドのカドゥキョイ地区にて友達と待ち合わせ、その道場に向かうことにしました。
道場に付くと、ちょうどその日は別な道場との合気道も混ぜた稽古兼演舞会だったようで、大勢の屈強な体格のトルコ人で溢れていました。

そんな中、僕の運命を変える先生が現れます。

その先生は範士八段(当時は七段)、合気道と居合道を教えている方で、ここの道場と提携してトルコに武道を教えに来られているとのこと。

僕は日本にいたときは全く武道経験がなく、せいぜい体育の授業でやった柔道程度です。
なので本物の武道の先生に初めて会ったため、凄く緊張しました。

先生は初め、まさかこんな所で日本人に会うとは思っていなかったからか、少し驚かれていました。挨拶をし、二三質問をした後、僕らは見学者の席に移動して演舞が始まるのを待ちます。まずはトルコ人の合気道有段者からの演舞でした。次に居合道の演舞が始まり、この時初めて居合道というものを目にします。刃の入っていないにしろ、見た目は本物の刀のような居合刀を使っての演舞は

「中々カッコいいじゃないか」

というのが第一印象でした。そして低段者からの演舞を経てついに先生の演舞の番が回ってきたところで、僕は衝撃を受けます。

演舞が始まると、僕は先生の演舞に見とれていました。

先生は荒木流という大小二本の刀を使う流派の演舞を披露され、その演舞が時に静かに、しかし時に獰猛に襲いかかる虎の様な動きをする演舞だったのが、僕のハートに火をつけました!

そしてその演舞を見た瞬間思ったのは、「僕が求めていたものはこれだ!」ということです。
あの時ほど何かをやりたいと思ったことはないかもしれません。と言うより、「これは僕がやるべきことだ」といった使命感に似た感情が沸いていました。

演舞終了後、僕は居ても立ってもいられず、先生の傍に近づきすぐに弟子入りを懇願します。もう内から沸く衝動を抑えられませんでした。


これが僕と居合道との出会いです。


それから次の週に早速稽古に入りますが、日本でまともに武道をやったことがない僕は、最初のころ袴の履き方も分からなかったのでまたしても「本当に日本人か?」とからかわれます。

「日本人なのに何で履けないんだ?」とか
「武道やったことないってそれでも日本人か?」

等好き勝手言われたので、最初のころは正直恥ずかしかったです。
ていうか逆に、日本人の中にどれだけきちんと袴の履き方知ってる人がいるのか僕が知りたいくらいです。

しかし、ここでまた一つ問題が発生します。その当時僕はまだトルコ語が流暢ではなく、指導を受けても内容がよく分からないということです。もうそれこそ見様見真似でやるしかなく、上達はなかなかせずにまたしても悶々とした日々が始まります。日本人の先生は、日程の都合で合同演舞の後にすぐに日本に帰国してしまい、まともに指導をいただくことはできないまま始まったので袴の履き方もこれでいいのか自信がありません。この時期はやっていてもの凄く滑稽だったと思います。


そんな状態で2か月ほど稽古を続けましたが、ここで生涯の友と呼べる人物と出会います。


ある日、いつものように稽古に来ると、見慣れない人物が来ていました。挨拶しようと思い近寄ると、彼も僕に気付いて

「日本人ですか?」

と、日本語で話しかけてきました。彼の名はエルデムといい、最近まで怪我で休んでいたそう。なぜ日本語が話せるのか理由を聞くと、彼は剣道と居合道をもう10年近くやっていて、本場の道場で学ぶため日本にも滞在したことがあるんだとか。

それからの稽古は本当に素晴らしいものになりました。

エルデムのお陰で稽古仲間達とのコミュニケーションが取れるようになり、分からないことは彼が通訳となって助けてくれたので、稽古後は皆でご飯食べに行くようになるなど充実した時間を過ごすようになります。

その後も様々な苦楽を共にした彼は、僕にとって本当の兄のような存在になります。

一度こんなことがありました。

道場側のトラブルでメンバーが離散し、僕らも道場を離れて途方に暮れた時期がありました。僕ら二人しかおらず、実に半年近くまともに稽古ができない中、お互いに解決策を探してようやく環境を整え、居合道のグループを作りました。そういう経緯もあって、僕らはお互い信頼しあう親友となりました。
このグループは僕が日本に帰った後ももちろん継続しており、時々来日して一緒に先生から指導を受けることが可能になっています。
僕はというと今は毎週道場に通い、このブログを書いている2週間後に四段の審査が控えており、その3か月後には全国大会に出場するため京都に行くことになっています。

この居合道との出会いは、本当に僕に様々なものを与えてくれました。

生涯を通してやり続けられるものであるし、日本人としての誇りも手に入れ、以降トルコで日本関連のイベントにて演舞を行ったり、そしてなんとトルコでCMにも抜擢されます。次のストーリーでは、そのCMについて説明したいと思います。











posted by エミル at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月27日

トルコ生活の後遺症

どうもメルハバ!

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日本に帰ってきて約1年半が経ちましたが、トルコで濃い〜〜6年半の生活を送った僕にはある後遺症が残りました。

日本人に見られないんです(笑)

冗談じゃないんです。

例えばこないだ家電屋で買い物してるとき、こんなことがありました。

ちょうど妻にiPhone買ってあげたくて見に行ったら、キャンペーン中とのことで早速店員さんに説明をお願いしました。途中会話が弾み、雑談もしながら多分20分くらい話してたと思います。もちろん日本語でです。

そして購入を決め、早速契約の段階に入ると突然店員さんに

「滞在許可証はお持ちですか?」

と聞かれました。一瞬なんだか考えましたが、妻の許可証を見たいのかと思い妻を呼ぼうとしたら続けざまに

「いえ、お客様ご本人様のです」

???はい???

3秒くらい考えてようやく理解しました。店員さんは僕を外国人だと思っていたようです。これにはガチで混乱しました。
そして自分が日本人だと伝え、免許証を見せた時点で店員さんもようやく理解し

「大変申し訳ありません。アクセントがちょっと日本人っぽくなかったので、別なアジアの国の方だと思いました。どうりで日本語がお上手だと思いました」

僕は声を上げて笑いました。これはかなり反則級のジョークです。一応腐っても日本人だから、これは想定してませんでした(笑)

同じように久しぶりに会った友人にも、喋りが日本人のアクセントっぽくないと言われたので、本当にヤバいんだと思います。

プラスこんなことも言われてしまいます。会話中僕は、両手を広げたり(?←こんな風に)
身振り手振りを交えながらオーバーなリアクションをします。もう癖になってるので、今から直すのは多分無理です。ぶっちゃけこれは、トルコ人からというよりは、トルコ在住中に会ったイタリア人の影響が大きいんですがね(笑)

だからなのか、そもそもの雰囲気が違うからか、日本人に英語で話しかけられることもあります。横に妻がいたら、もう完全に外国人に成りすませます。

こんな経験もあります。妻と一緒に出先でレストランに入ったとき、入り口でウェイターさんに英語で案内されました。そんなことされると想像してなかったので、不意討ち食らって混乱し、日本語がすぐ出てこなかったので尚更外国人っぽく見られたんじゃないかと思います。

ここまでは、他の外国に住んだ人も同じようになるかもしれません。


ではトルコ特有の後遺症は何かというと、、、まず最初に挙げられるのは 踊るようになったことです。これはたぶん結婚式に参加しまくったからで、毎回みんなに混ざって踊り倒してたので何かの拍子にすぐに踊りだします。トルコの音楽流れた時にはもう止められません。反射的に体が反応します。

次に挙げられるのは、朝、仕事を始める前には 必ず紅茶、チャイを飲むようになったことです。トルコでは仕事の前にチャイを飲んでからじゃないと始まらないので、それが体に染みついてしまいチャイを飲まないとまったくやる気が出ない体質になってしまったのです。コーヒーじゃダメです。熱いチャイじゃないとダメなんです。これ大事。
チャイ関連でもう一つ、僕は真夏にも熱いチャイを飲むようになりました。トルコ人は夏でも熱いチャイを飲みます。そうすると逆に熱さを忘れられるからで、本当に効果があります。

そして最も影響があるのが、車に乗った時です。運転中しきりに トルコ人のように喋るようになりました。特にあおり運転なんてしてきた車がいた日には

「なにやってんだこのロバの〇〇〇野郎!」
とか
「アッラーが罰を与えないように祈っとけや!」

等々、ここでは紹介できないくらいいろんなこと言いつつ、手を上げてリアクションします。あ、でも運転自体はちゃんとマナー守ってます。決して人に危害を与えるような運転はしてません。ただイラっと来たらすぐに口に出すだけす。なので勘弁してください。だってそうするとスッキリするんですよ。何事もため込むのは体に悪いです。皆さん解放しましょう!

いろんな後遺症がありますが、ぶっちゃけもう直らないでこれでもいいかと思ってます。だって誰にも迷惑掛けてないし、それがもう「僕」そのものなので、今後も大いに楽しもうと思っています。その方が楽しいし、彼らの文化に触れた証ですからね。



エルセーヌ

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posted by エミル at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月25日

ラストプロテクター(トルコのドラマ)

どうもメルハバ!


最近ちょっと妻と一緒に見てるドラマがあります。これです↓↓

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ラストプロテクター です。

トルコ産のドラマで、今トルコでも話題になってます。トルコ語では 「Hakan Muhaf?z (ハーカンムハフズ)」と言い、直訳すると「守護者ハーカン」となります。

あらすじは何処にでもいる無鉄砲でチャラいトルコ人の若者ハーカンが、あることをキッカケに古代より伝わる胴着を手にいれます。そしてそれを狙う組織に付け狙われ、自分がイスタンブールの守護者だということに気付き、暗躍する不死者との戦いに巻き込まれていく。。。という現代ファンタジーな内容です。

最初にこれがNetflixのオススメに出たとき、僕はトルコのドラマだと気付きませんでした。しかし、よく見たら、何処かでみたことのある俳優だったのでよく見ると チャーアタイ・ウルソイじゃありませんか!
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彼は妻曰く、トルコ三大実力派イケメン俳優の一人なんだとか。僕も名前は知っていたし、トルコにいたときに一度見たトレンディドラマに出てたのを見て確かにいい演技する人だなと思ってました。
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甘いマスクと鍛えた体、そして典型的なトルコ人男性特有の「Delikanl?(デリカンル)」いわゆる男らしさ的特徴が上手くミックスした俳優です。ちなみにこの説明は妻から見た彼の特徴です(笑)

この特徴は、ほぼすべてのトルコ人女性から見た理想の男性像に当てはまります。特にデリカンル的要素は大事で、僕的にこのデリカンルを解説すると、強さと勇敢さを同じポケットに入れ、且つ仲間を大切にし、女性には優しいという。。。要は「男」ではなく 「漢」 です。

話が反れましたが、そんな俳優を起用しているので期待は大でした。しかもかなりちゃんとした内容っぽいので、まさかアメリカにでも進出したのか?と思っていましたが、全編トルコ語で物語の舞台も思いっきりイスタンブールなので妻もびっくり!

なので早速二人して見始めたところ。。。これがまた良くできてる!

ストーリーもイスタンブールの歴史的背景を上手く織り交ぜ、観光名所を駆け巡ります。
特に不死者を倒す武器を手に入れる為に探し回ってるときに、高台にある有名なスレイマニエモスクに訪れた際、入り口から荘厳なモスクに足を踏み入れると同時にお祈りのエザンが鳴り響くシーンは、懐かしさと神聖な雰囲気が相まって感動すら覚えました。それと同時に、ちょっとトルコに帰りたくなりました。。。
そしてすぐさま上空からモスクを撮影した映像を差し込むのがまたいい演出です。

冒頭も僕のお気に入りです。
ハーカンが家からあの有名なグランドバザールに向かうとこから始まるんですが、そこに至るまでの近所の人達のやり取りが素晴らしくトルコを感じさせます。そしてすぐさまテンポの良い曲に合わせてイスタンブールの名所を映像で紹介、更にバザール到着後のハーカンの仕草やバザール内の顔見知りとの挨拶、会話に至るまでの全てが「トルコの日常風景」そのものです。ここまでコテコテな会話はしませんが、僕もこんな感じで日常に溶け込んでました(笑)

懐かしいのがトルコ語特有の悪口で、これらを「Küfür(キュフル)」と言います。これは基本地上波だと放送禁止用語なのでピー音が入りますが、Netflixなのでそんな規制はありません。なので会話の中に自然と出てくるし、逆にこれを会話に組み込まないと まったくリアルじゃありません。
それほど日常会話にいつも使われている言葉なので、久しぶりに生の会話が聞けてこれまた懐かしさがこみ上げてきました。だって僕もよく使ってたし(笑)

あ、もちろんですが悪口を覚えることはお勧めしません。使う場面とタイミング次第ではジョークとして面白がられますが、そうでなければやはりケンカに発展する可能性大なのでやめましょう。

そして僕らにとって特に面白かったことが、ほぼ全ての場面が日常生活の中で訪れた場所だということです。トルコのドラマはよく、シーンとシーンの繋ぎにイスタンブールの風景を入れるんですが、その度に「ここは○○地区じゃないか?」と場所当てゲームが始まります。普通のシーンでも、通りの名前や見える建物から撮影場所を推測したりと、こちらの方が僕は楽しかったです(笑)
日本の番組でトルコを紹介する時は、決まった所しか行かないし映さないので、このドラマ見てるときはローカルな場所が出っぱなしで終始ニヤニヤしてました。

アクション有り、美女とのラブシーン有り、そして魅惑のイスタンブールを垣間見ることができるこのドラマは、トルコが好きな方、そして興味がある方必見です!



heteml



posted by エミル at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月18日

トルコのバレンタイン

どうもメルハバ!

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今回はトルコでの2月14日についてです。


最初に言いますが、日本みたいにチョコをあげるなんてことはありません。
これやってるのって日本や韓国等の一部のアジア諸国だけなんですよね。

トルコでは「 Sevgililer günü(セヴギリレル ギュヌ)」と言い、ヨーロッパ諸国と同じく「恋人達の日」となっています。何をするかというと、恋人同士や夫婦同士で食事に行ったり、お互いに何かプレゼントを渡したりして素敵な時間を過ごします。日本のように女性が男性にチョコをプレゼントするなんてことは一切ありません。むしろ男性が何かあげる割合いの方が高いと思います。男性があげる物はだいたい相手の名前が入ったネックレスやイヤリング、ハート型の純金のネックレスなどを渡す人が多いように思います。日本のチョコをあげるという文化は、日本のお菓子メーカーが商業目的で作り出した文化なので、イマイチ僕は共感が持てませんでした。

どうでもいい話ですが、日本にいた時僕は 義理チョコ以外もらったことないです 。しかも初めてもらったチョコはウ○コの形をしたチョコでした。アレはどういう意味だったのか今でも時々考えます。。。

日本では苦汁をなめましたが、トルコに行って妻と付き合うようになってからはハッピーです。向こうのスタイルに合わせるようになったので、チョコの呪縛から解放されたのです。そしてチョコの代わりにやることは、普段よりもちょっといいレストランで食事し、気の聞いたプレゼントをして喜ばせる。。。なんて感じで終日二人っきりで過ごします。僕的には、チョコをあげるよりもずっと甘い時間を過ごしてます。

しかも!なんと今では、妻も日本の文化を知ったので毎年手作りのチョコをプレゼントしてくれます。でも、もちろんそれで終わらず、二人っきりで昔と変わらずデートもかかしません。

あ、僕は別にチョコをあげるのに意義を唱える訳じゃありません。むしろ僕もチョコは好きです。世界中の誰もがチョコの誘惑からは逃れられないんです。でもそこで僕はこう考えます。バレンタインデーだとしても、最初からチョコありきで考えなくてもいいんじゃないか、と。

こう考えて下さい。コース料理で考えるなら、あくまでもチョコはデザートの位置に値するもので、あったら嬉しい程度のものなんです。一番大事なメインディッシュは、 二人で過ごす楽しい時間です。

日本だとチョコをあげなきゃ始まらないみたいな雰囲気なので、なによりもまず先にチョコを求めますよね?僕は逆でもいいんじゃないかと思います。楽しいデートをして一緒に食事したりして過ごした後、締めとして最後にお互いチョコとかクッキーを渡せば。。。パーフェクトシチュエーションの出来上がりです

一度に両方楽しめば、ホワイトデーにわざわざ気を使うこともしなくて済みます。お金も浮くから一石二鳥です。
こんなバレンタインデーを過ごすのもいいんじゃないでしょうか?

それではホシュチャカルン!











2019年01月16日

第4章:仕事と家と警察と

どうもメルハバ!

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今回は波乱のイスタンブール到着1日目が過ぎ、仕事や住居、そして警察とのドキドキのやり取りについてです。まだ第一章を読んでない方は、下記のリンクからどうぞ
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0

朝、目が覚めると真っ先に実感したことがあります。それは本当にトルコでの生活が始まり、昨日の出来事は夢ではなかったということです。到着初日に思いがけないハプニングに逢いましたが、直ぐに切り換えて会社に行く準備を始めます。

ホテルで簡単な朝食を済ませ、早速会社へ向かいます。幸いホテルから地下鉄駅まではさほど距離もなく、すぐに最寄り駅を見つけました。向かうはヨーロッパサイドの中心部である「タクシム広場」です。

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広場に到着すると、朝の通勤時間帯なので人が多いこと多いこと。スーツケースで移動するのは大変でした。広場から歩いて約10分、ようやくオフィスに到着します。通り沿いには似たようなビルが建ち並んでいるので、最初見つけるのに苦労しました。

オフィスに入ると、受付の人が僕を見て誰だかすぐに分かったようで、そのまま社長部屋に通されます。

「よく来てくれましたね、イスタンブールにようこそ」

社長は身長190cmはある大柄な人で、目も青く、一度見たら忘れられない人物です。

「今日から私たちの家族です。頑張って下さい」

と言われ、すぐに日本人スタッフがいる部屋に案内されて引き継ぎを始めるように指示されます。

「その人に全部聞いてください。後は任せます」

そう言って去って行ってしまいました。

そんだけ?!

かなり急展開だなと思っていたら、衝撃の事実が待っていました。この日本人スタッフの人は今日付けで辞めるそうです。
だから急いでいたんだ。。。
なんと知識ゼロの旅行業を、いきなりぶっつけ本番でやることになりました?
一応引継ぎ(と呼べるかは謎)を行いましたが、覚える事が多すぎてさっぱり分かりません。これから覚えなきゃいけないことの多さに汗が止まりませんでした。当たり前だよなぁ
途中、新しい日本人が来たとの噂を聞いた他の部屋のトルコ人達もちょくちょく挨拶(もとい野次馬)しに来てました。そこで気付いたことがあります。それは明らかに美女が多いということです。
色白で青い目の女性、金髪碧眼、褐色の肌に流れるような美しい黒髪の女性。。。社長いい趣味してんな

もちろん男性スタッフもいますが、こちらはみんな至って普通。やはり社長は確信犯です(笑)

もう一つ気付いたことがあります。それはなぜか自己紹介をすると笑われるということです。なぜだか分かりませんが、特に自分の名前を憶えてもらうために短く「マサ」と名前の省略を言うと面白がられます。そんな中、ちょうど日本語が分かる人がいたので(この人も美人)聞いてみると

「”マサ”はトルコ語で"机"という意味なの」

うそーん・・・

僕は初対面でみんなに「机」と記憶されてしまったようです。とにもかくにも、こうして本当にイスタンブールでの仕事が始まりましたが、もっと大事なことがあります。それは。。。住居を探すことです。

当たり前ですが、来たばかりなので住む場所がありません。家探しをしたいところですが、言語が分からないのとトルコの賃貸システムがどうなってるのか分からなかったので、これは切実な問題でした。そこで思い切って社長に相談すると。。。なんと滞在するホテルを準備するようスタッフに指示をしてくれました!
とりあえず2週間だけですが、そこまでしてくれるなんて全く想像してなかったのでちょっと感激です。と言ってもずっとホテルに滞在するわけにもいかないので、首の皮一枚なんとかなったという程度です。引き続き住む場所を見つけなければいけませんが、とりあえずプライベートな場所を確保できたし、もう今日は休もうと思い退社しました。

それから約一週間後、ようやくこの仕事の内容が少しずつ分かってきました。僕の仕事はいわゆる「ランドオペレーター」という仕事で、日本から来た旅行グループの行程管理を行う仕事のようです。トルコを旅行中、グループで何かあった場合そのサポート及びレポートの作成、場合によっては例えば病気になったお客さんを現地の病院に連れて行って通訳を行う、パスポート紛失時は現地の領事館に行って、渡航書の発行手続きを手伝うなど、やることは多岐に渡ります。時々グループの様子を見に、イスタンブール観光中のグループが立ち寄るレストランに赴き、ガイドや添乗員と話すこともあります。そんな業務を行っていたある日、一人のガイドと出会います。

その人はベテランの日本語ガイドで、名前は「オカン」です。ちなみにこれは何の変哲もないトルコでは普通の男性の名前です。で、話すとウマが合い意気投合。自分が置かれている状況を説明すると、ちょっと考えた後、嬉しい提案をしてくれました。なんと知り合いに中国に留学する人がいて、戻ってくるまで自分の家を見ててくれる人を探してるんだとか。
なので話をつけてくれることになり、後日その人と会うことになりました。なんとその人も日本語ガイドをやってる人で、同じ会社に所属してるので僕のことも知ってたようなのです。
それですぐにトントン拍子に話がまとまり、会ってから2日後には僕はその人の家にやっかいになることになりました。

渡りに船とはこのことです。オカンに会わなかったら多分2週間経ってもまだ住むとこ見つかってなかったと思います。ホントどこで誰にお世話になるかわかりませんね。
住むとこも見つかり、ようやく落ち着ける環境が手に入りました。住むことになったアパートは、タクシム広場までバスで約30分くらいの距離があるところで、歩く時間も合計すると家から会社までは50分といったところです。面白いのがアパートの大家さんで、イスタンブールに30年住んでいるジョージア人のおばさんでした。何かにつけては僕を心配して世話を焼いてくれるいい人で、たまにジョージア語教えてもらったりして一緒に紅茶を嗜んだりもしてました。

がしかし、このアパートがある場所で唯一気になることがあります。それはイスタンブール警視庁が目の前にあることです。別に悪いことは一切してませんが、トルコの警察はいかついし高圧的だし、いつも周りに武装した警備員がいて物々しいので当時ビビってました。そしてついに予感が的中し、またしても心臓が飛び出る場面に遭遇します。

それはイスタンブール滞在から1か月半が経って間もないころです。何度も滞在許可証や労働許可証の発行について会社にプッシュしますが音沙汰がなく、物凄くやきもきしながら仕事に行っていた時期でした。これで無許可で仕事しているのがバレたら、会社にも罰金が来るし、自分にも何か影響があるかもしれないと心配していた矢先、ついに恐れていたことが起きます。ある朝仕事に行くために家を出て警察署の前を通ると、警察に呼び止められます。
パトカーが僕の脇を通りすぎようとしたとき、突然止まり話しかけてきました。
何言ってるかよく分かりませんが、働いているのか?それとも学生か?と聞かれているのは分かりました。上手く説明できないのでかなり焦り、凄くあたふたして怪しまれます。このまま労働許可が無いことがバレたら、どうなるかは明白です。幸いその日は普段よりもカジュアルな格好で仕事に向かってたので、トルコ語を学ぶために滞在してますとシラをきってやり過ごしました。あれほど心臓が脈打ったのはなかなかないです。

ただ、これがキッカケで会社に猛烈に再プッシュしたら、ようやく本腰を入れて許可証の手続きのために動きだし、数日後には手元に届いたのでなんとか助かりました。今ではあの時警察に職務質問されなかったら、声を上げずに更に申請が遅れただろうとポジティブに考えています。

イスタンブールに来てから2か月も経たない内に起きたことですが、こんなのはまだ序の口です。今となっては笑い話ですが、当時は本当にヒヤヒヤしました。
次回はついに僕の運命を変えたあるものとの出会いについてです。

今回はこの辺で・・・ホシュチャカルン!





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2019年01月13日

人生初の断食

どうもメルハバ!


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今回は忘れもしない、人生で初の断食についてです。ラマザンの用語が出てくるので、分からない方は初めにラマザンについての回を読んで下さい。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/57/0

やろうと思ったキッカケは、なんというか「食べれないという気持ちを共有したかったから」です。あと、単純に興味が湧いたからってのもあります。

それは2年目のラマザン月の後半、僕は休暇でカッパドキアにいました。残すところ後一週間くらいに、久しぶりに友人達に会いに来ていました。親友ブルハンの家に泊めてもらい、最初の滞在の時にお世話になった人達に挨拶して回っていました。

そしたら時期が時期なので、ほとんどの人が断食している訳です。僕の印象では、田舎に行けば行くほどきちんと断食している人たちの割合が増える傾向にあると思います。カッパドキアはトルコの内陸部なので、観光場所以外のローカルな場所はレストラン自体が閉まっている場所が多く、日中はチョコレートにしかありつけない日もありました。で、そこで思った訳です。

オレもやってみたら、こんな食べ物探さずに済むんじゃないか?

最初から食べないと決めていれば、わざわざ探さなくていいという逆転の発想です。
もちろん、最初に言ったとおり興味もあったので、そういう結論に至りました。

という訳で早速ブルハンに相談すると、どういう風にやるか詳しく説明してくれて、そしてこう言いました。

「明日はカディルゲジェスィだから、やるのにちょうどいいと思うよ」

カディルゲジェスィとは、ラマザン月の最後の週にある特別な日で、「1000の夜よりも神聖な夜」と言われていて、この日に断食をした者の願いを叶えてくれると言われています。

そんな日があるなら、是非やってみようかと思いました。初めての断食を神聖な日に行うなんてテンションが上がります。なので朝(夜中?)の食事であるサフルを逃さない為に、早めに寝ようと思いました。

が、僕はサフルできちんとした食事をすることができませんでした。ブルハンが起こしてくれたにも関わらず、いざ食べるとなると全く食欲が湧かなかったので、水だけ飲んで寝てしまいました。なぜだか分かりませんが「半日ちょい食べなくてもなんとかなるだろ」とか甘いことを考えてしまい、そのまま寝てしまいました。これが後の後悔に繋がります。。。

朝、割と遅く10時に目か覚めます。断食明けまで残り時間後10時間半。起きたばかりなのでまだまだまだ余裕です。

「さて、家にこもっててもつまらんから外出するか」

てな感じで挨拶回りの続きの為に、僕の第2のホームタウン「アヴァノス」へ向かいます。まず向かったのは、陶器屋です。 「Venessa seramik」という陶器屋で、最初の2ヶ月半の滞在中ここにも入り浸ってました。到着すると「おー!久しぶりだねー!」と暖かく迎えてくれ「何飲む?チャイ飲む?」と当然のごとくおもてなしされます。

「いや、今日オレ断食してるんだ」

と言ったら全員に驚かれました
普通、イスラム教徒でないとしないことを、そうでない、しかも日本人がやってるもんだから珍しがります。ていうか最初イスラム教徒になったのかと勘違いして祝福されました(笑)

しばらく談笑し、みんなに挨拶したら次の所へ向かいます。次はこの陶器屋のちょうど向かいに面するトルコ石屋 「AGAD 」です。

ここも同じくとてもお世話になったので皆に挨拶し、しばらくぶりに皆と楽しい時間を過ごしました。ここの特徴は、やはり宝石店だからか、美女が多いです。

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こんな感じです。もう美女ばかりです。ちなみに真ん中が僕です。
トルコ人は美人が多いと思います。そしてこの写真を見ればわかる通りいろんなタイプの人がいて、ヨーロッパっぽい人もいればアラブっぽい人、ちょっとアジア系を思わせる人など多種多様です。
で、僕が今日断食しているのを知ると、やはりみんな驚きましたが、理由を話すと

「カッコいい!」とお褒めの言葉をいただきました。

美女たちの応援をもらって少し元気が湧きましたが、時刻は14:00を回り、少しけだるさも出てきましたが、これならまだいけると思ったので次の目的地に向かうためお店を後にしようとしました。
けど、その前に以前から買おうと思っていたトルコ石のアクセサリーを買いました。緑がかった天然のトルコ石を買ったのですが、これがまたどんな場面にも合いそうな雰囲気のネックレスで僕は好きです。
「イフタルの時はみんなアヴァノスのMADOにいるから、その時間にまた会いましょうね。断食頑張ってね!諦めちゃだめよ!」と去り際に更にエールをもらい、次はブルハンが働いている絨毯屋 「Bazaar54」に向かいます。


その絨毯屋までは、もちろん歩いていきますが、歩いている途中ふと思いました。

「水が飲みたい」

でも飲めません。飲んではだめだと自分に言い聞かせ、ひたすら歩きます。この断食で一番つらいのが何かは明白で、水分が取れないことです。食べ物を食べれないのはそれほど苦痛にはならないんです。最終的に水が一番恋しくなります。特に時期が夏なので、なおさら水分が欲しくなります。なんとか歩ききって絨毯屋にたどり着くと、真っ先に目につくのは冷蔵庫に入っているミネラルウォーターです。キンキンに冷えたミネラルウォーターから始まり、コーラ、ジュース、ソーダ、アイスティー達が総攻めで飲めと僕を誘惑しているようです。

ここはブルハンが務めていますが、行くのは初めてだったのですが既にブルハンが僕が来ることを知らせていたので、従業員達は僕が断食していることも知っていて話題になっていました。

「よく来たな、歓迎するよ」
「こんな暑い中よく歩いてきたね」
「断食してるんだって?アダムスン!(男らしいな)」

と早速質問責めに遭いましたが、ぶっちゃけ僕はもう喋る気力がありませんでした。


と、か細い声しか出せません。
時刻は16:00を回っており、空腹を感じる大きなポイントの時間に差し掛かってきました。慣れない僕はペース配分ができず、おまけに早朝のサフルもきちんと食べなかったツケがここで回ってきます。しかし、ここで諦めるのはカッコ悪いので、ひたすら我慢するしかありません。なのでブルハンの計らいで、お店の休憩スペースを使わせてもらうことになったのでそこで静かに座ってじっと耐えます。まぁその間も、次から次へと僕に興味持った従業員の人達が話しかけてくるんですが・・・(汗)

質問攻めの猛攻に耐え、ブルハンも従業時間が終了したので絨毯屋を出ます。この日は比較的来店するツアーグループが少なかったので、空き時間があったからか凄くみんな暇そうでした。だからか、暇を持て余した従業員が僕に群がってくるのは至極当然のことだったのかもしれません。。。

時刻はまだ18:30分です。断食明けのイフタルまでまだ2時間ほどあります。
飢えて死にそうです。。。もちろん死にはしませんが、体中に力が無いし、歩くのも億劫な状態。ここが鬼門です。

「初めての断食だから、誰でもそうなるよ」

とブルハンが慰めます。心の友よ・・・

で、こういう時はどうするかというと敢えて人がいるところに行くんだとか。なのでアヴァノスの住人のたまり場である「MADO」に行くことにしました。
MADOとは、トルコの喫茶店です。そのまま「マド」と呼びますが、名前の由来はもちろん日本の「窓」とは関係ありません。
正解は「 MAra? DOndurmas?(マラシュドンドゥルマス)」の頭文字をとったものです。トルコで有名なのび〜るアイス発祥の地がカフラマンマラシュというところで、トルコ語でアイスはドンドゥルマと言い、それの略です。トルコ全国にあるお店で、カッパドキアの小さな町にすらあるほど大手の喫茶チェーン店です。
アヴァノスの中心にあるクズルウルマク川のほとりにあるので、夜は町の人達のほとんどがその周辺でたむろっています。町の唯一の憩いの場みたいなところなので、行けばかならず知り合いに出くわすほどです。

「ハーイ、断食続けてる?」

と、昼間のトルコ石店の美女たちも既にMADOにいました。もちろん続けていることを伝えましたが、弱っているところを見せるわけにはいかないので軽くあいさつし、少し遠めの席にブルハンと座りました。かなりぐったりしてましたが、ここにブルハンを連れてきた理由がわかって少し楽になりました。それは他の人も断食してるので、みんな食べてないのを見ると勇気が湧いてきます。一人だとどうしても「もう楽になっていいんだぞ・・・」といった気持ちが湧いてきますが、ここではそんなことは出来ません。あとはもう意地です。

ブルハンと当時の思い出を語りながら、そろそろ準備にと「イフタルメニュー」を注文します。このラマザン月には、必ず各レストランにラマザン限定のメニューが用意してあり、おなか一杯になるセットメニューをほとんどの人が注文します。そしてついに・・・


アッラーーーーフエクベル!!!


ついに断食が明けました!!
「まずは焦らず、お水を飲んで下さい」

とブルハンが言うので、飲むと水が体中を駆け巡る感覚がします。五臓六腑に染み渡るとはもうこのことで、今までこんなに水が美味いと思ったことは過去に一度もありませんでした。たったコップ一杯の水がこんなにもありがたいものだなんて日本では考えたことはありません。そしてスープ、メイン料理と食べてみると、どれも今まで食べた料理とは比べ物にならないほど美味しく感じました。トルコによくある料理なのにもかかわらずです。

僕はこの時初めて 食べ物が食べれることの有難さを本当の意味で理解しました。
この断食の本当の意味を理解したのです。

「よく我慢したね。Allah kabul etsin!」とブルハンも褒めたたえてくれました。もちろん美女たちにも(笑)

僕は日本に帰ってきて時々思います。レストランとかに行くと、本当に頼んだものを残す人が大勢いることに気付き、なんてもったいないことをしているんだろうと思います。もちろん不味かったから残したかもしれないし、体調が優れず思ったより食べれなかったのかもしれません。そういう場合は仕方ないと思いますが、それ以外だったらできるだけ食べるか、初めから食べれる分だけ注文してはどうでしょうか?世界には本当に食べ物にありつけない人たちが沢山います。その食べれない気持ちをたった10時間という短い時間ですが、理解した僕から言わせれば、残すというのはその人たちにとっては失礼にもほどがあると思います。

この気持ちはまた別な「クルバンバイラム」というもう一つの行事で更に大きくなりますが、それはまた今度書こうと思います。

それでは今回はこの辺で・・・ホシュチャカルン!




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posted by エミル at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月12日

イフタルだよ、全員集合!

どうもメルハバ!


今回はラマザンで皆が楽しみにしている「イフタル」の思い出です。ラマザンについての概要をまとめたブログを読んでない方は、まず先にそちらを読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/57/0

イフタルとは、断食明けの夕食です。僕がラマザン月が好きなのは、この夕食が楽しいからに他なりません。
なぜなら毎日日没と同時に、一斉にみんな揃って食事するからです。

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これはとある町の通りで行われた夕食会で、テーブルや食事は町の市役所が負担して住民に振る舞っています。毎日ではなく、例えばラマザン初日や「カディルゲジェスィ」など、特別な日にこの規模のことをやります。そうでなくても小規模のテントが、最低でも一地区に一つはあり、そこでは無料でご飯を配っています。なので普段ご飯にありつくのが難しい人にも配られます。

トルコ人達は基本的に家族や友人達と食事をするのが物凄く好きです。とりわけこのイフタルではそれがもうMAXになり、毎日誰かと断食明けの空腹を満たすこのイフタルを迎えた喜びを分かち合います。
期間中は毎日様々なイフタルの過ごし方を体験でき、例えば会社に勤めてれば必ず一度は、社員全員でのイフタルパーティーやります。気の合う友人達と連絡しあってレストランでわいわい食べるのもよし、誰かの家に招待されて一緒に食事をするなんてこともあります。なのでこの時間は毎日お祭りみたいな雰囲気になります。だから楽しいんです。

それでは家庭でのイフタルはどういう流れなのか?イフタルに至る流れもまた、やることがあって面白いです。
まずやることはもちろん食事の準備です。家でイフタルを行う場合は、だいたい自分の家族+親戚との場合が多いので、多めに準備しなければなりません。
味見ができないので料理作る時は経験がモノをいいます。そして特に最後の1時間は空腹のピークなので、時間が3倍位に感じられる試練の時間になります(笑)

家でご飯を作るものは急ぎ足になり、残りの者には重要なミッションを与えられます。

それはこれを買ってくることです。


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「Ramazan pidesi(ラマザンピデスィ)」 です。

パンと呼んでいいかピザと呼んでいいか分かりませんが、ここではパンと呼ばせてもらいます。このピザ型のパンは、ラマザンの時期にだけ販売されるもので、味は僕の中では 今まで食べたどんなパンよりも美味しいです。生地が最高に美味しいんです。 これは誇張しているわけではなく、これ以上美味しいパンは見つけるのが難しいでしょう。申し訳ないけど、これを食べた後に日本のパン屋さんで売ってるパンを食べると、まるで ランボルギーニと軽自動車くらいの差があります。
この何も乗ってないパンは、パン本来の味を楽しめるスーパーパンです。出来立てはアツアツ、モチモチでふっくら焼き上げられており、これをどれだけ出来立ての状態で持ってこれるかで夕食の質が変わります。パンには2種類あり、「サーデ(プレーン)」か「ユムルタル(卵かけ)」があり、卵かけバージョンは至高のうまさです。しかし、すぐなくなるか、自分で卵を持ってってお願いしないとダメなのがたまにキズです。
値段は場所によって少し変わると思いますが、2018年時点で2〜3リラでした。

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だいたいの家では女性が食事を準備してるので、残りの野郎共や子供が買いに行きます。僕もよく買いに行ってましたが、女性が買いに行ってるのを見たことがありません。
そして僕はこれに並んでいるとき一度ふと思いました。

「おかしい、ここはトルコだっけ???」

余談ですが、トルコ人は列を守る場合と守らない場合があります。まず守らない場合というのは、 無料で何かを配布している場合です。 その時は本当に獣のように我先に襲い掛かります。公共機関に乗る場合もあり得ます。なぜならバスが定位置で止まらないからです。だから並んでも、一番に乗れるかどうかは運次第です。まぁこれは不可抗力かもしれませんが。
そして横やりを入れてくるのも得意で、銀行とかで自分が手続きをしていても横から「ちょっとこれについて聞きたいんだけど」とか言ってちゃっかり割り込みます。
まぁ僕もやりますがね。

逆に守るのはこういう時で、仮に列に割り込もうとする輩がいた場合は、絶対に誰かが文句を言います。それどころか 全員でそれを阻止すると思います。

そういう場面はいくつかありますが、それをかぎ分ける能力があるかどうかが、トルコサバイバルには欠かせません(笑)

長い列に並び、ようやく手に入れたパンは紙に包んだ状態でもかなり熱いです。冷めないうちに持っていき、あとはイフタルの時間を待つばかりです。
そのころには食事の準備もできていて、みんなテレビをつけてあるプログラムを見るのがお決まりです。

それはこれです。


トルコの大人気イスラム教授「ニハット・ハティップオール」です。この人はラマザン期間中毎日、早朝のサフルと夕方のイフタルの二回生放送を行います。とりわけ夕方のプログラムは、ブルーモスクとかがあるスルタンアフメット広場の特設会場で行われ、日々人々の宗教に関する質問に答えています。その質問がたまに斜め上を行く質問をする人がいて、それにピッタリの回答をする教授を取り上げるのも実は名物だったりします。

このプログラムには各都市の断食明けの時間も表示されているので、教授と人々のやり取りを見ながら時間の確認もできる優れた番組です。「各都市」と書いたのは、街によって断食明けの時間が違うからです。トルコは横に長い国なので、東の地方から順々に断食が明けます。おそらく一番東と一番西の町と差は20分弱だったと思います。日は東から昇るから当たり前ですよね?

みんなテーブルにつき、断食してない人もこの時はみんなと時間を合わせて待ちます。
で、いよいよ時間が来るとついに・・・・


アッラーーーフエクベル!

日没と同時にモスクから断食明けのエザンが放送されます。この時、 イスタンブール中の人が一斉に食事を開始します。 家族と、友人と、近所の人と、様々な場所でいろいろな人がいる中、全てが同じ時間に同じことをします。
これは外食した時に特に感じることができますが、まったく知らない人たちが同じ時間に食べ始めるところを想像してみてください。この一体感は感動します。

僕のトルコ生活最後のイフタルの思い出は、アジアサイドのカドゥキョイのレストランでみんなとわいわい食事をしたことです。店の外まで席を用意し、通り中が人であふれている中での食事は活気があって雰囲気最高でした。
そういう日は僕も断食をしてから食事を食べます。だってその方が美味しいからです。
本当に楽しいイフタルを経験できた僕は幸運です。

さて、今回はここまでです。次回は僕の初の断食体験についてです。僕の人生観を変えた出来事なのでどうぞお楽しみに!それではホシュチャカルン!





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2019年01月10日

恐怖の初ラマザン

どうもメルハバ!

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今回はラマザンについて僕の体験したことになります。まだ読んでない方は、前回のブログを読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/57/0

僕にとってのラマザンは、その年ごとに忘れられない思い出やハプニングがいっぱいです。

今回何よりもまず先に挙げたいのは、記念すべきトルコ生活最初のラマザン初日に味わった恐怖についてです。

それは夜中のだいたい2:30くらいだったと思います。僕は寝ていましたが、ふと何かの物音に気付いて目が覚めます。

それは何だか太鼓のような音で、 ドンタタドンタタ と遠くからですがかなり大きな音が聞こえてきます。
正直こんな時間にどこのアホだと思いました。夜中にあんなうるさい太鼓叩いてるとか、トルコはこんなに非常識な国なのかよ。。。と思いましたし、しかも僕の住んでいたアパートのすぐ横には、イスタンブール警察庁があるので尚更不思議でした。ていうか警察に電話しようかと思ったくらいです。

とか考えていたところ、何だか 次第に音が大きくなってきました。

え?ちょっと待って近づいてきてるじゃん!

急いでベランダに出ると、通りの向こうから爆音太鼓を叩きながら歩いてくるヤツがいるじゃありませんか!


↑↑
もうまんまこれです。こんな感じで近所を練り歩いてます。

そして僕のアパートにどんどん近づいてきます。もう本当にパニックになりました。何か変な集会始める為にアパートを歩き回ってるんじゃないかと思い、本当に怖かったので 木刀持って部屋でじっと待ち構えてました。
冗談抜きで、家まできたらどうしようと思いながら息を殺して待っていると、アパートを通りすぎて行きました。

フゥ〜 とデカイため息をつき、再びベランダに出て確認すると、別な通りに入って行くのが見えました。それで寝ようと思いましたが、もう心臓バクバクでその日は全く眠れませんでした。

次の日、会社に行ってトルコ人の同僚達に話すと

全・員・大・爆・笑

訳を聞くと、その爆音太鼓の男はラマザン名物の 目覚まし係なんだということが分かり、僕は衝撃を受けました。昔、アラームなんてない時代、日の出前の食事(サフル)を食いっぱぐれないように、町内を太鼓を叩きながら練り歩く伝統が今でも残っているんです。確かに目覚まし係が通った後は、通りのアパートの部屋という部屋に明かりがついていました。

「そんなの常識だぞ。当たり前だよなぁ?」
「誰も彼に教えてあげなかったの?かわいそうww」

とか好き勝手言ってましたが、そんなことよりも更に驚いた同僚の一言があります。

「これから一か月間ずっと同じ時間にやってくるよ」

は??

「しかも月に2回、起こしてあげてるお礼としてお金徴収しに来るよ」

ふっざけんなww

後日、本当に家まで太鼓もった兄ちゃんがお金を取りに来ましたが、何も分からない外国人のフリしてやり過ごしました。ていうか睡眠を邪魔されたこちらとしては、払いたいという気持ちは全くないです。

まぁ、その後のラマザン、特に結婚してからは、伝統ということでチップ程度の金額は渡すようになりましたが。。。

これが僕が衝撃を受けたラマザンの思い出その?@です。ただ、今ではその音すら懐かしいです。2年目からは、これが来るとラマザンが始まったという雰囲気になるので、無ければ無いで物足りないです。今でもこの文化はあるものの、年々やる人が少なくなってきたり、騒音として認識する人も増えてきたので年々減っているようです。特に金持ちが住んでるエリアではまず許可しません。もったいないですね。

日本ではありえないことなので、このカルチャーショックは相当なものでした。でも、それはそれで外国に住んでいるんだなという気分にもなったので、これはこれで今ではいい思い出です。また是非、トルコ戻った時はこの太鼓の音で目を覚ましてみたいものです。

次回もまたラマザン関連のことを書きます。次回は断食明けの楽しい食事「イフタル」についてです。

それではホシュチャカルン!




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タグ: ラマザン
posted by エミル at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月07日

居合道についてとその魅力

どうもメルハバ!


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今回は僕が生涯を通してやろうと思っている 居合道についてです。

居合道は、多分武道経験者、特に剣道をやった人でないと耳にすることはあまりないかもしれません。正直に言うと、僕も実際に見るまでは聞いたこともありませんでした。

居合道の前進である抜刀術、又は居合術の起源は戦国時代まで遡り、居合道はそれを現代武道化したものです。
実際に行うことは、居合刀を腰に差し、袴着を着て型(かた)を行います。剣道のように誰かと対戦するような試合はありません。

僕はこの武道をいつ始めたかと言うと、実は トルコに行ってからです。
恥ずかしながら、日本にいた時は武道なんてせいぜい体育の授業でちょっとやった柔道くらいです。
そんな僕がなんで居合道を始めたのか?キッカケは日本からイスタンブールに来ていた範士八段の先生の演舞を見たからです。以来日本に帰国してからも、その先生の道場で続けており、やめるつもりはありません。これについては長くなるので、別にブログを書きます。

居合と聞くと、素早く刀を抜いて技を繰り出すイメージがあるかもしれませんが、本当の居合いの意味は戦闘場面に 「居合わせる」と言う意味です。
もっと砕いて言うと、「日常状態から突然戦闘状態に入る」ということで、突然の戦闘場面に「居」、そしてそれに「合」わせるということです。戦国時代を想像してみて下さい。いつ、戦闘が起きるか分からない状態が当たり前だったと思うし、あの時代の武士達はそういう心構えでいたはずです。なので常日頃から戦闘場面に居合わせていたことでしょう。

居合道の型の一つ一つは、必ず納刀状態から行い、最後にまた納刀して一つの型となります。つまり、敵の突然の襲来に対し反応し、敵を倒す動きを行うのが一連の流れになります。
そして居合道で一番大切なのは、「敵がいることを想定した動きを行う」ということです。ですので切りつける場所や方角、そして当然相手がいる(と仮定する)方向を見なけれならないので、「目付け」もとても重要です。なので昇段審査や演舞大会では、いかに「本当に敵と対峙しているように見せるか」が採点に大きく響きます。

様々な場面を想定した型がありますが、全て共通する動きがあります。それは「抜刀」「切り付け」「納刀」「残心」です。残心とは、技の最後に刀を完全に鞘に納める直前、警戒心を解かず刀に手をかけた状態で数秒周囲に気を張りめぐらせる動作です。これは目の前の敵を倒した後、突然第二の敵が現れた時に素早く対応するための動きとして型に組み込まれています。

型には座った状態から始める型、立った状態から始める型があり、僕がやっている流派では例えば座り技の部では

「前後左右からの敵に反応する型」
「相手の太刀を受け流す型」
「足を狙った太刀を受け流す型」

等があります。

立ち技だと更に動作が激しいものが増え、複数を相手にする状況が主です。

「門の前での戦闘を想定した型」
「連行されている状態から奇襲する型」
「八方から襲い来る敵を倒す型」

更に、特殊な戦闘状況の場合を想定した型もいくつかあります。

「棚の下から奇襲する型」
「狭い通路での戦闘を想定した型」
「暗闇での戦闘を想定した型」

等々、実に多種多様なシチュエーションを想定した型がたくさんあります。

そして居合道には、もちろん様々な流派があります。
僕が学んでいる流派は2つあり、一つは「夢想神伝流」でこちらは刀一本で行います。この流派はとてもメジャーな流派で、僕は居合の基礎を学ぶのに最適な流派だと思っています。
もう一つは「荒木流」という大刀と小刀の二本を使う流派です。これは先生曰く、全国でもやっている道場が少ないレアな流派のようです。この荒木流は僕の先生がやっているからというのもありますが、「二刀流」というところと「レア」というキーワードが僕の心をくすぐったので好んで学んでいます。実際大小の刀を使った豪快な動きの技が数多くあるので、見てよし、やってよしな流派だと思います。

もし、これから居合道を始める方は、流派を選ぶのもそうですが、余裕があれば「連盟団体」も一緒に考えた方がいいです。とは言っても先に連盟を気にして入る人はいないと思うので、あまり深く考えなくてもいいかもしれませんが・・・居合道には複数の連盟があり、僕が加入しているのは「全国居合道連盟」という団体です。
なぜ考えた方がいいかというのには理由があります。僕は前に日本に帰ってきて間もないころ、しばらく家族がいる宮城県に住んでいたのですが、技を鈍らせたくないので近くにある居合道グループに場所を借りて何度かやったことがあります。そのグループは「制定居合」という12本の型のみを行う流派のみをやる連盟に所属しているグループでした。勧誘されましたが、12本しかやらないのは僕には物足りなく感じたのともう一つ、これは人によって意見が違うかもしれませんが、一度入った連盟から抜け出す場合は、取得している段を剥奪するなんてこともあるようなので断りました。

もちろん最初に大事になってくるのは、自分が見て気に入るかどうかだと思います。選ぶ際には当然流派の技を見て決めると思うので、「この流派をやりたい」と思ったらそれをやるべきだと思います。

僕はこの居合道を通じて手に入れたものが2つあります。一つは「生涯を通して頑張れる目標」と、「日本人としての誇り」です。これは外国に行ったから強く感じたのかもしれませんが、この居合道をやることによって自分が日本人だと胸をはることができるようになりました。
なぜなら僕はトルコに行って間もない時期に、「日本人ってなんなんだろう・・・」といつも考えていました。24年間日本に住んでたけど、特に外国人に教えられるようなことが無いように思えてた時期があったのです。もちろん日本人の考え方や、行動原理などは体に染みついていましたが、もっと視覚的に外国人に日本文化を伝えられるものを探していた時に、たまたま居合道に出会ったのです。

世界はすでにグローバル化しており、これから更にもっと外国が身近になってくると思います。今後外国に行く機会や住む機会、外国人と直接交流を持つことが増える中で、居合道に限ったことではありませんがこういった「純日本」的なものを身に付けるということは、僕は英語を覚えるよりも大切なことだと思っています。実際、この居合道を行うことによってトルコで日本関連のイベントに引っ張りだこになり、尊敬の眼差しで見られましたし、現地のTVにも出演しました。

このブログを見て、居合道に興味を持っていただけたら嬉しいです。始めるのに遅くはありません。僕の通っている道場には30代、40代から始めた人もいます。それに一度覚えてしまえば、刀さえあれば一人でもできるのでいくら年をとってもできますし、やはり「心技体」を鍛えるのは素晴らしいことですよね。

今回はこれで失礼します。ホシュチャカルン!




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福島県生まれ。2011年の東日本大震災後、運命のトルコに移住。そこでタレント生活を送り、トルコ人女性と結婚。2017年に家族を連れて日本に本帰国。現在日本に本当のトルコの魅力を伝えるため奮闘中。
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