カナダ人の合気道家ダニエル先生に散々投げられ、押さえられたウメ(主人公の男の子)はこの言葉を言われます。
試合というものは、勝ち負けを競い、勝敗を争います。だから合気道は試合をしないのです。
柔道の開祖嘉納治五郎先生は、稽古に「乱取り」を取り入れ、その弟子たちは古流柔術との試合で圧倒的な力を見せるようになりました。
しかしいつしか柔道どうしの試合が行われるようになると、試合に勝つことを目的とした稽古に変わっていったと嘆いたそうです。
試合では使えない技、反則を取られる技は淘汰され、「稽古」は「練習」と呼ばれるようになる。
晩年の嘉納治五郎先生はその様を残念に思っていたらしく、合気道の開祖植芝盛平先生の演武を観て「これこそが(私の求める)柔道である」と言ったそうです。
・・・つづく。
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