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ますこ
1年間フランス・オルレアン大学語学留学 フランスに魅せられて2012年ワーキングホリデーにて再渡仏 その後フランス人パートナーとPACS そして2014年3月、Vie privée et familialeを取得。 2016年10月に結婚しました。 現在オーベルニュ地方在住、市役所関連機関にてCDDで働いてます。 ライティング業務はお休み中。 フランスでのリアルな生活やフランス旅行に役立つ情報 そして在宅ライティングに関することをご紹介します♪
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2015年01月09日

私はJe suis Charlieにはならない







多くの人に衝撃を与えた、シャルリー・エブド社の襲撃事件。

フランス各地ではデモが行われています。


私の住むMontluçonモンリュソンでもご覧の通り。

見えにくいですが、奥にあるお城のすぐ下まで人であふれかえっています。

20150108_182828.jpg


お店には「Je suis Charlie」のポスターがいたるところに貼られ、

Facebookの画像もみんなJe suis Charlie。














ですが、残念ながら私はJe suis Charlieにはなりません。


今回起こったことはもちろん悲惨なことだし、

表現の自由を奪う事は許されません。

どんなことがあったとしても、人の命を奪ってよい理由なんてない。


亡くなった警察官のことを考えても胸が痛む。




でもこのシャルリー・エブド社の風刺画を見たことがあるフランス人、そして日本人はどれくらいいるでしょうか。。


私は彼らの風刺画は大嫌いです。


Strips Journal

牛肉の汚染が広がる 「でも排泄物から広がる汚染問題は解決した」


Strips Journal

放射能による海洋汚染:日本人は本マグロ(=Thon rouge赤いマグロ)を食べない 「緑すぎるよ!」


Strips Journal

福島での東京電力のイメージ回復戦略 「間もなくQuick(フランスのファーストフード店)完成予定」






これらの画像を見てもなお、「Je suis Charlie」と言えるのであれば、それでも良いでしょう。

テロに屈しない姿勢は大切です。

亡くなった方への冥福を祈ることも重要。





でも、私はJe suis Charlieにはなりません。


対テロリストという意味ではフランス国内での団結力はすさまじい。

でもこのテロを政治戦略に生かそうと企む人もいますし。

話題になればなるほど、テロリストの思う壺?


(ってことはいちいちブログに取り上げている私も…)




兎にも角にも、一刻も早く犯人が捕まることを祈るばかりです。


そしてこれ以上の争いから脱する術はないものか。


憎しみ合いからは何も生まれない。

そして亡くなられた方々に、心からの冥福を。







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この記事へのコメント
パリ子 さん

こんにちは!
コメント有難うございます!

パリ子さんの「自由に鈍感」というフレーズを見て、
思ったのは、何も自由に限ったことではないのかな、ということです。

例えば文化だったり、歴史だったり、社会の仕組みだったり言葉の語源だったり。
欧米エリアの人に比べたら、自国のことに関する知識は全体的に乏しいのでは?

今回のことが問題になるのは、
「自分がされて嫌だと思う事はしない」とか
「相手の気持ちになって考える」とか
日本人の基本的な考え方の焦点が【周囲】に向いているからかもしれませんね。

だから、平等に風刺していたから、ということではなく
「自分がキリスト教で、こういう風に言われたら嫌だろうな」とか
「自分がイスラム教で、こんな表現されたら頭にくるな」という風に考えるわけです。

それが法王だろうがオランド大統領だろうが同性愛者だろうが、矛先がどこであっても、全方面にバランス良く矛先が向かっていても関係ないのです。

問題提起の一つの手段としての風刺画ですが、タブーなく取り上げていた部分は評価されるべき点でしょう。

ただ、

「矛先が自分に向かっていたら絶対嫌な気持ちになったはず」と簡単に想像がつくことを、ちょっと誇張気味にやっているということ

そこに多くの人が(主に日本人)嫌悪感を感じているのではないでしょうか。

別に風刺をする分には構わない。でもそこに少しでも相手に対する配慮があったらまた意見は違ってきたのかもしれない。そう感じずにはいられません。
逆に風刺の内容が過激化してきたからこそ、問題視されることも増えたという側面もあると思うのです。
(もちろん過激化することでよりわかりやすい問題提起となるということもあるでしょうが。)


またパリ子さんは【シャルリーは必ずしもシャルリー・エブドを指すのではない】とおっしゃっていますが、それと同様に、
【シャルリーと掲げている人たち全員が表現の自由を守ろうとしている人たちとは限らない】と思うのです。

ですから中には報道に誘導されるかのようにデモに参加した人も多かったのではないかと推測しています。

この辺は人の感覚によるものですし、さまざまな意見があると思いますので、あくまで一般人の考えの一つとして捉えて頂ければ嬉しいです。

貴重なご意見、有難うございます!!
Posted by ますこ at 2015年01月16日 09:45
Ryoka さん

わーーやっぱり大げさって言われた—( ;∀;)
ってすみません、二日徹夜の寝不足でテンション高めです(笑)

そして今回の件、日本人の間ではスタンダードですか…ね?

日本在住の日本人はそうかもしれませんが、
在仏日本人の方々は結構シャルリーな方々も多いですし
実際敢えて口に出さない方も多いかと思うので、その辺は微妙かもしれません。


それに、日本語での報道も偏ってますからね(笑)
そのうえRyokaさんみたいに誤訳の件を取り上げて下さる方がいなかったら
フランス語を話さない日本人には伝わりませんしね。

こちらこそ、コメント頂けて本当に嬉しかったですよ!
またRyokaさんのブログも覗きに行きますね!!
Posted by ますこ at 2015年01月16日 08:24
A さん

真面目で誠実だなんて、お褒めのお言葉有難うございます!
調子に乗ってしまうではないですか…(笑)

パリのデモの時にも、
「Je ne suis pas Charlie」だったり
「Je suis humain」
「Je suis juif」
なんだかんだで色んなバージョンがあったみたいですし
少しずつですがフランス人の中にも色んな意見があることがわかってきましたね。
よくよく考えればフランス人って移民も多いし、国籍も割と簡単に取れるので
Aさんのおっしゃる通り、フランス人全体が同じ意見ということはあり得ませんよね。

そして本題からは外れてしまいますが、、、
Aさんの同僚の女性のリアクションの可愛さ!!!
何だかとてもほっこりしました☆
Posted by ますこ at 2015年01月16日 08:22
こんにちわ。私も日本人の多くが者ルリーではないという傾向に驚きました。私はフランスで公法を勉強していて感じるのが、日本人は「自由」に鈍感だということです。自分たちの手でつかんだのではなく、いつでも棚ボタナで手に入ったからでしょう。フランスでは、フランス革命以降、民衆が少しづつ「自由」を手に入れていきましたが、それでも現在に至るまで何度も憲法裁判所や人権裁判所で「自由」を確認しています。その自由には、「教育を受ける自由」や「信教の自由」や「結社の自由」などいろいろありますが、こうした自由はすべて長い年月をかけて確保してきたものです。
そして、今回の「表現の自由」ですが、確かにシャルリー・エブド等読んだことも買ったこともないフランス人の方が多かったはずですが、シャルリー・エブドを擁護した。なぜか。それは自分たちが積み上げてきた自由を奪われるのが怖かったから。誰かが気に入らないからとそれをタブーにしていたら、そのうち社会はタブーばかりになってしまう。シャルリー・エブドはイスラム教だけでなく、キリスト教をも切り込んでいました。例えば、同性愛者の健康を認める法律が成立した際には、確か法王が裸の男性と抱き合っている絵が掲載されていました。大統領だろうと富豪だろうと、誰でも彼でもタブーなく攻撃していました。確かに絵柄はお世辞にも上品とは言えず、挑発的でしたけど。
シャルリーは必ずしもシャルリー・エブドを指すのではなく、「小さな情報発信人(勿論個人も含まれる)」のことです。「Je suis Charlie」を掲げて行進した人たちは、自分自身の表現の自由を守ろうとして立ち上がった人たちです。
Posted by パリ子 at 2015年01月16日 00:07
こんにちわ。私も日本人の多くが者ルリーではないという傾向に驚きました。私はフランスで公法を勉強していて感じるのが、日本人は「自由」に鈍感だということです。自分たちの手でつかんだのではなく、いつでも棚ボタナで手に入ったからでしょう。フランスでは、フランス革命以降、民衆が少しづつ「自由」を手に入れていきましたが、それでも現在に至るまで何度も憲法裁判所や人権裁判所で「自由」を確認しています。その自由には、「教育を受ける自由」や「信教の自由」や「結社の自由」などいろいろありますが、こうした自由はすべて長い年月をかけて確保してきたものです。
そして、今回の「表現の自由」ですが、確かにシャルリー・エブド等読んだことも買ったこともないフランス人の方が多かったはずですが、シャルリー・エブドを擁護した。なぜか。それは自分たちが積み上げてきた自由を奪われるのが怖かったから。誰かが気に入らないからとそれをタブーにしていたら、そのうち社会はタブーばかりになってしまう。シャルリー・エブドはイスラム教だけでなく、キリスト教をも切り込んでいました。例えば、同性愛者の健康を認める法律が成立した際には、確か法王が裸の男性と抱き合っている絵が掲載されていました。大統領だろうと富豪だろうと、誰でも彼でもタブーなく攻撃していました。確かに絵柄はお世辞にも上品とは言えず、挑発的でしたけど。
シャルリーは必ずしもシャルリー・エブドを指すのではなく、「小さな情報発信人(勿論個人も含まれる)」のことです。「Je suis Charlie」を掲げて行進した人たちは、自分自身の表現の自由を守ろうとして立ち上がった人たちです。
Posted by パリ子 at 2015年01月16日 00:07
またまたRyokaです。

はっきり言います。

福島の現状を日本全国やアジアにまで広げて解釈するのは、大袈裟すぎます(笑)

海洋汚染はそのうちその規模になるかもしれませんが・・・

とにかく、私は、福島を始めとするホットスポットには住むべきではなく、政府が帰還を推奨しているうちは、誰かが警鐘を鳴らさなければならないと思っているので、ときどきブログでもフランス語の記事を訳したりしているわけです。


風刺画に関しては、ここ数日、ますこさんのブログに限らず、色々な日本語のブログやツイッターの意見を読んでみましたが、どうやら、ますこさんたちの考えが日本人の間ではスタンダードだということがわかりました。

シャルリーとそうでない人の割合が日本とフランスで逆転している感じです。

反対意見としては、「ムハマンドの風刺画は挑発以外の何ものでもない」とか「表現の自由にも限度がある」というのがほとんどでした。

私も同じ日本人なので、そういう考え方を理解できてもよさそうなものですが、残念ながら未だにシャルリーのままです。

フランスに感化されたと言ってしまえばそれまでですが、シャルリー・エブドの生存者のインタビューやゲスト出演番組などで話を聞けば聞くほど、彼らの存在価値を実感してしまいます。そして、フランス語がわからない人には、その辺の感慨深さをわかってもらえないのが悔しいです。

今日発行される最新号の表紙もLUZの描いたムハマンドだそうで、シャルリー・エブドも当然シャルリーのまま。

私としては、ムハマンドや原発事故以外の風刺画で、日本人にも是非笑ってほしいと思っているのですが・・・ってひつこいですね。

この続きは自分のブログで発散することにします(笑)

反対意見を拒絶することなく一生懸命考えてくださって、ありがとうございました。

では、また次の機会に
Posted by Ryoka at 2015年01月14日 09:14
ますこさん、真面目でご誠実な方とお見受けしました。

今になって、フランス人も随分冷静になってきたような気がします。「Je ne suis pas Charlie」についても、話し始めましたね、ラジオでは。

相手の神聖な不可侵に踏み込むことが自由になってしまったら、何が道徳なんでしょうか。

風刺画がそんなにメタファに富んだハイブロウなものだったら、ますこさんのお書きの通りで、受け手には「表現の自由」は許されないことになりますし、その真意がわからない者はアンシヴィリゼと一蹴されてしまうのでしょうか。それでは庶民派メディアではないということですね。

今朝はフランス人ソシアリストの友人と話す機会がありましたが、彼らとて憤慨していました。「実際、この十年のシャルリー・ヘブドのデッサンはメシャン(意地悪)だった。これは事実だ」と。

今日は仕事に行ったら、ひとりのフランス人女性の同僚が「ちょっとちょっと、シャルリーじゃない人はここにいないわけ?私ひとりなの〜?さびしいわ〜」と言っているので、「ここにシャルリーじゃない人間がいるよ」と手を上げると、「わぁ、うれしい!」(笑)

一概にフランス人全体が同じ考えではないと、私には見えます。


Posted by A at 2015年01月13日 06:29
A さん

コメント有難うございます。
フランスにお住まいとの事、やはり色々考えさせられることがありますよね。

シャルリー・エブドに関してはネット上でも色んな議論がありますね。
「表現の自由」と、「表現の自由という名の言葉の暴力」など。

正直、その線引きは難しいですし、日本人的には「ナシ」でしょう。
でもフランスではそれが普通と思う人が多いのも事実です。

今回はフランス対イスラム過激派という構図ですが、中には関係のないイスラム教徒が巻き込まれる事件も起きていますし、何とか鎮静化してくれることを祈っています。

因みに私のフランス人の友人の何人かは、FBのプロフィール画を
「Je suis Charlie」から元の画像、もしくは真っ黒の画像へと変更しています。
(デモ行進前に行われたものが殆ど)

私の意見は一切伝えていませんが、色んな報道を見るうちに考えることがあったのかな、と勝手に解釈しています。
ポジティブすぎですかね。。
Posted by ますこ at 2015年01月13日 04:23
カル さん

ナイジェリアの件、本当にショックでしたよね…
洗脳しやすい子供が戦争やテロの道具になってしまうこと、そしてそれを平気で行う大人たちの存在…
これ以上悲しい事件やテロが起きない事を祈るばかりです。。

私はJe suis CharlieよりJe suis Ahmedの方がしっくりくるかも知れません。
でも私たちは遺族の声を一切知らないまま、デモやJe suis Charlieを使っていますよね。
彼らがどう思っているのか、そこも気になります。
Posted by ますこ at 2015年01月13日 04:12
Ryoka さん

お返事有難うございます。
しつこいだなんてとんでもない!私こそ何度もすみません、しかも長文で(笑)
寧ろRyokaさんのお蔭で考える機会が増え、学ぶ事も多く感謝しております。

放射能汚染に関する情報、今更ながら少しネットで調べました。
探し方が悪いということもあるのでしょうが、
正直、わからないことだらけです。

奇形植物や動物が増えているという共通点はあるものの、
日本では植物の巨大化が嘆かれ、チェルノブイリでは植物の成長が遅れるということが報告されている。
チェルノブイリの事故では報道されていないだけでギリシャやイタリアまで汚染されているという。
もっと深刻とされる日本の原発事故、より慎重な情報を尊重するならば
東京はもとよりアジア全域から人が脱出する事を考えなければならない。

では最終的には日本をなくすことしか選択肢に残らなくなってしまうのです。
日本がなくなる…私は考えられません。

仮に東京の住民を全員避難させることを考えても、非現実的です。
都市機能、大型企業、商業施設が集まる場で、
仕事や教育現場を失って(国内とはいえ)移住することがどれだけ勇気のいることか。
ましてや日本は就職難。

…ちょっと大げさですかね。誇張してすみません。

多くの日本人が、「日本がなくなる」ことを考えられないと思います。
どこか他の国に移住しなければならない、お金もない、どこの国にいったら良いかもわからない。
でも日本には友人や家族が居て、生活があって、仕事があって、ふるさとがある。
確かに病気になるリスクはあるかもしれないけど、他に住んでいる日本人も沢山いる。

この「日本」を、福島に当てはめてみて下さい。

福島が好きで、福島で生活を続けたい人々。
リスクがあるのを承知で暮らしている人、他に選択肢がなくて暮らしている人。
楽観視している人。
移住できる人々、したかった人々はもう移住しているはずです。
(移住が悪いとか、福島に残ることが美学だといいたいのではありません。)

Ryokaさんは福島からの移住を勧める事が彼らにとって最善の方法であると考えているし、
私は現状打開策を見つけることや福島で暮らすと決めた人々を支援をすることが最善の方法だと思っている。

お互いの考え方は違うけれど、Ryokaさんの福島への熱い想いが伝わってきて、私はとても嬉しかったです。

…伝わりますでしょうか?(笑)
ホント、文章が下手くそですみません。

さて、もう一つの話題、風刺画についてです。

まず、誤解を生んでしまって申し訳ないのですが、
私はデモに関しては反対意見は持っていません。

だからフランス全体が一体となって団結しテロに立ち向かう姿勢には感動しました。
(逆にこれだけの人が集まるパリはテロリストの格好の獲物だから危険だな、とも思いましたが。)

好き、嫌いの話は「風刺画」に対するものであって、
デモに対するものではありません。
実際、自発的にデモに参加する人々の全員が「Je suis Charlie」を掲げているわけではありません。
私だったら「Je suis Charlie」を掲げずにデモするという話です。

まるで「Je suis Charlieではない」と発言する事が、そのプラカードを掲げない事が今回のテロを擁護しているかのように、
そしてシャルリー・エブド社を否定しているように捉える方も中にはいらっしゃるようですが、
決してそうではないのです。

だから今回コメントを下さる方々が口々に【テロ行為は当然許されないもの】と一言必ず加えているのです。
そんなの当たり前なんだけど、付け加えずにはいられない。勘違いされかねないから。

「Je suis Charlieを掲げない人=テロ擁護?」という構図があるから。

シャルリー・エブド社やカナール・アンシェネ社が築き上げた風刺画を否定したいのではない。
ただ、嫌いというのは好みの問題です。
だからいつも「私は」と入れて言っていたのです。
好きな食べ物、好きな色、好きな服のデザインがあるように
10人いたら10通りの考え方があってよいはずなのです。


Ryokaさんは
「風刺画は深読みしなければなりません。それができない人は見るべきではないとも言えます。」
とおっしゃっています。

ではシャルリー・エブドは一部の教養高い、理解力のある人々のみに向けて風刺画を描いていたのでしょうか。
残念ながら私には深読みができませんし、それが出来るほどの十分な教育は受けていない…というか十分な思考能力がありません。

だから彼らの風刺画は苦笑いすらできないものが殆どだし
Ryokaさんが説明して下さった「全ページ白紙の号」に関しても理解できません。
(本当にすみません。私ごときがこんな難しい話題に言及するべきではなかったのかもしれません。)
被害を被ったのがシャルリー・エブド社自身だったからでは?としか思考が及びません。

あっネットで見つけました(笑)
自己検閲ですか…。
うーん、わかるようなわからないような。

ここで私なりの解釈を少し。

今回の風刺画の件、私のように理解力の足りない人には「表現の自由」は与えられないということになります。

私は風刺画を見て嫌悪感を感じる。
でもそれは深読みが出来ないから仕方ない、風刺画を見るべきではないし、そういう事に関しては語るべきではない。
確かにそうかもしれません。

しかしそれではジャーナリストは理解力ある頭の良い人たちだけに向けて情報を発信しているという結論になってしまうし、
異なった解釈をしてしまうと「それは違うんだよ」と否定される。

つまりジャーナリストには表現の自由があっても一般人には解釈の自由がないということになってしまう。


例えば風刺作品を、絵画を例に考えると、


ピカソの絵の良さがわからない私。でも興味があって鑑賞する。
うーん、やっぱり好きじゃないな、と感じる私は、その想いをピカソ好きの友人に伝える。
すると「お前はわかっていない、解釈が違う」と言われてしまう。
そしてピカソの絵を見るべきではないと言われてしまう。
では、私は大好きなミレーの作品を観るに留まり、ピカソ好きの友人とは議論する余地すらない関係となってしまう。


決してそんな単純なことではないと思うのです。
ジャーナリストたるもの、権力に対するものはもちろんですが多くの一般市民にも情報は向けられているはずですし、
過激な風刺作品を描くことで多くの批判を浴び、
そこから出るさまざまな議論で国を良くしていく、危険性を訴えるという側面もあると思うのです。
(実際、批判されることはわかっていたはずです)
だから、私のように正しい解釈が出来ない人が出てくることや、嫌悪感を持たれることも想定内だったはず。
宗教や原発をテーマに掲げたら世界的に注目を浴びることもわかっていたはず。

それでも自分たちの意志に従って風刺画を描き続けたのは、表現の自由と共に「世界には色んな考えを持った人が共存している」という現状を浮き彫りにする目的もあったのではないでしょうか。
これは深読みしすぎでしょうか。(寧ろ浅い?)

私は今回、自分の意見をブログに載せることに抵抗がありました。
批判ばっかり、もしくは白い目で見られると思ったから。

でもこうやって同意見の人、反対意見の人と話す機会が得られたこと、
とても驚きました。

しかもRyokaさんは反対意見にも関わらずコメントを残してくれました。
決して私の文章の稚拙さや理解力のなさ、愚かさを笑う事なく。
そしてわかりやすく問題提起してくれています。

現にRyokaさんはこうやって、私に風刺画のなんたるやを教えてくれようとしてくれていますし。
私は私で、自分の思っている事を伝えようとしている。

基本的に考え方は違うのかも知れませんが、Ryokaさんのお蔭で多くのことに気付かされ、また考えるということの大切さを思い知りました。
自分の知識のなさや思考力の欠如にも。

…結局、まとまりのない終わり方になってしまい本当に申し訳ないのですが(笑)、
貴重な経験をさせてもらい、本当に感謝しています。
また何か気になることがあったら遠慮なくコメントして下さいね。
あまりにも長くなってしまったので、このへんで終わりにします。

基本的にはくっだらない事しか書かないブログで恐縮ですが、
今回のことに限らず、また機会がありましたら是非コメント頂けると嬉しいです。
Posted by ますこ at 2015年01月13日 04:01
在仏です。

ラジオでジャーナリストが、「Je suis Charlieのデフィレに行く人の8割はシャーリー・ヘブドを開いたこともない。皮肉なことだ」って言ってました。

今日見てる限りでは「周りがやっているから」「親についていっただけ」みたいな子供たちもいましたけどね。

シャーリー・ヘブドのやっていることを全肯定したら、アラン・リュキエの冗談も許されるんでしょうか。
Posted by A at 2015年01月12日 04:59
私は日本人なので福島の風刺画に反応しました。足や手が何本もあるデッサンを見て嫌な気持ちにもなりました。あの絵は日本でも取り上げられたので福島在住の人達などはかなり傷ついた事と思います。
Ryokaさんのコメントのように風刺画は大きな権力などに向かって発信されているものでしょう。でも雑誌なので掲載されている以上一般の人達も多く目にするものです。自分たちに関連することをみんながみんな冷静な目では見れないと思いますが・・・。
宗教関係なども同様に自分の信心することを過激なデッサンで書かれたら背中をそむける人の方が多いのではないのではないでしょうか。
実際にシャルリ・エブドは売れなくて資金繰りに困り休刊になる直前だったようですし。

Je suis Charlie は既に今回のテロ全体のスロ−ガンの様な扱いになっていますが、被害者の中にはJe suis Charlie という扱いに同意出来ない人もいるんじゃないか?と勘ぐっております。


これらの事は≪だからといって暴力を振るわれたりテロリストに殺されてもいいわけじゃない!≫というのを大前提としてコメントさせていただきました。
10日にナイジェリアで起きた10歳ほどの女の子に爆弾を巻き付けて爆発させ多くの死傷者を出したように過激派はより一層悲惨で非道な方向へ向かっています。絶対に許されない行為です。
追悼行進には参加しませんが被害者全員に対して祈り喪に服します。
Posted by カル at 2015年01月11日 19:51

度々失礼します。

Ryokaです。

それだけでブログの記事なりそうな丁寧なコメント返し、ありがとうございました。

返事の最後に質問されたので、しつこいですがまたコメントします。

福島には行ったことはありません。

でも、福島の人々、特に子供たちが、健康で安全な生活ができることを心から願っています。

政府の情報統制のせいで、正確な情報が一体何なのかわからない状況にあるのは確かです。
でもだからこそ、より慎重な情報を基に動くべきだと私は思います。

甲状腺がんで子供が苦しんでから、白血病で家族を失ってからでは遅いのです。

「今更何を言っているんだ?」と言われそうですが、今からでも救える命は沢山あります。
福島に居続けるより、移住したほうがいい。

福島に限らず、その他の放射線量の多い地域に住む人もしかり。

本当に彼らのことを思うのであれば、移住を勧めるのが賢明ではないでしょうか?

そのためには、当然資金が必要になるわけですが、住民を帰還させることで賠償金の支払いをストップした政府が腹立たしいです。

今日本で起きていることは、すべてが繋がっています。政治を監視していないと、国民はそのうちもっと酷い目に遭わされます。


風刺画の話に戻します。

フランスは個人主義の国です。

日本人のように相手の出方を見てから行動する人はほぼ皆無と言えます。

なので、「周りがやっているから」という理由で集会に参加するひとは、フランス人の中にはいません。

そして、子供はともかく、大人でCharlie Hebdoの風刺画を見たことがない人もいません。
その中にはCharlie Hebdoの風刺画が好きではないフランス人もいますが、それでも集会に参加します。

それはなぜか

なぜなら、「フランスが攻撃された」と強く感じて心の傷を負ったからです。

ある新聞は、「死者17名、負傷者6000万人」という見出しをつけました。

ルモンド紙は「フランス版 9・11」と形容しました。

フランスの風刺画の伝統を継承するCharlie Hebdoが攻撃されたことは、そのくらいの意味をもつのです。

何十万人のフランス人が自発的にデモに参加する理由はそれだけです。好き嫌いはここでは問題になりません。

私が毎日読んでいる、文芸ジャンキーパラダイスというサイトにこんな言葉が載っています。

「私は貴方の意見には反対だ。しかし、貴方がそれを言う権利を、私は命にかけて守る」

ヴォルテールの言葉ですが、この理論が今まさにフランスで起きていることなのです。

長くなったついでに、原発事故の風刺画の話も掘り返させてください。

ますこさんが載せた風刺画は、日本人に向けて描かれたものではありません。

フランス人の読者に向けて描かれたものです。

フランスの風刺画のなんたるかを知らない日本人が、被害者妄想で勝手な解釈をすれば、それはそれで、今度はCharlie Hebdoが戸惑うでしょう。

Charlie Hebdoの風刺画家は、同時にジャーナリストでもあります。

彼らは、チェルノブイリの事故を間接的に経験し、その影響に関しても精通しています。

福島で事故が起きたとき、彼らの頭に思い浮かんだのは、今も変化し続けるウクライナの事故現場。そこから連想して警鐘を鳴らしたのが、これらの風刺画です。

風刺画は深読みしなければなりません。それができない人は見るべきではないとも言えます。

ちなみに、“シャルリー・エブドが全世界の色んな文化のことまで考慮して作品を作ったこと”は一度だけですが、あります。

ムハマンドを風刺して社内に火炎瓶が投げ入れられ、全焼した数日後・・・

全ページ白紙の、タイトルや見出しだけの号を発行しました。

こういうユーモアに脱帽させられる、それがフランスのCharlie Hebdoなのです。
Posted by Ryoka at 2015年01月11日 18:47
ダリア さん

こんにちは!コメント有難うございます。

私もダリアさんの記事、見ていましたよ!
モカブさんのお話は、凄く辛い気持ちになりました。。
コメントを残そうか迷ったのですが、何と表現したら良いかわからず、
言葉になりませんでした。


風刺の定義って、改めて難しいものだなと考えさせられました。
日本政府や東電を批判するという意味では、矛先が権力者たちに向かっているのかも知れません。
でもそれと同時に、福島の一般人の気持ちや努力を傷つける行為であるという側面もありますし。

チェルノブイリの時の風刺に対する、日本人の反応が今更ながら気になります。
果たして私たちは、福島同様、現地の人たちの気持ちに配慮できたのか?

載せている風刺画ですが、開くたびに嫌悪感。。
やっぱり消そうか迷い中です。

しかしフランス国内の団結力は素晴らしいですね!
日本だったらここまでの結束は見られないと思います。

テロや無差別殺人の撲滅を!!!

私も、フランスの動向と日本の反応、そして現状と今後をしっかり見つめていきたいと感じました。
Posted by ますこ at 2015年01月11日 18:43
ますこさん、こんにちは!
とても読みごたえのある記事、誰かが書くべきことを書いてくれた!と読んでいて心打たれました。
私もブログにこの事件について書きました。で、私も、Je suis Charlieではありません。私も福島の、それも被災者の心を傷つけるような「風刺」は大嫌いだったので。そう、好き・嫌いの問題なんです。正しい・正しくないで言えば、テロや無差別殺人が悪いに決まっていますもんね。
風刺って、政治家や政府や、そして宗教や企業のような権威・権力をクレバーに攻撃するのが素敵なのであって、弱者を傷つけるならただの暴力だと思うのです。
あと、そもそも、Je suis Charlieというなら、過去に一度でも買って読んだことあるんかいな?と思いながらフェイスブックとか見ています。
でも、この事件でフランス人の価値観の、美しい面も見れました。表現の自由を守る、という断固たる意思、結束。
せっかく今フランスにいるのだから、しっかり目を開いてみていこうと思っています、長々とコメント失礼しました。
Posted by ダリア at 2015年01月10日 20:39
Allesklar さん

コメント有難うございます。
旦那様がドイツの方なんですね!
我が家でも良くケンカの種になります…が、
パートナーが大切にしている家族やものに関して同じように言うと
「しゅん…」となりますよ(笑)

『同じ価値観、文化を共有しているからこそ許容されることがある。』
そうそう、そうなんですよ!!

色んな人が混在している世の中で、ネットで簡単に情報が手に入る時代だからこそ、
問題になるのかもしれませんね。
Posted by ますこ at 2015年01月10日 18:35
はじめまして。
私も同意見です。
今回の新聞社の風刺画は、風刺と言うより侮蔑的だなーと思います。風刺という文化がフランスで確立されていたとしても、その文化や価値観が、国や地域を超えて当然受け入れられるべきと考えるのはただの傲慢にしか思えません。同じ価値観、文化を共有しているからこそ許容されることがある。これって結構大事だと思います。
ドイツ人夫を持つわが家でも、しばしば片方のユーモア(だと思っている)が夫婦間の紛争の種になることがありますよ(;_;)
Posted by Allesklar at 2015年01月10日 16:26
Ryoka さん

あわわ!!初めまして&コメント有難うございます!
実はいつもRyokaさんのブログをチェックしているのですが、まさかコメントを頂けるとは…大変光栄です!!

残念ながら真逆の意見とのことですが、人の考え方はそれぞれですし、
それでもこちらにコメントを残して下さって大変勉強になります。


さて、風刺画の件ですが、決して私は「風刺画が悪い」と言いたいのではないのです。

だからこそ、Ryokaさんのようにシャルリー・エブド社や風刺画のことをよくご存知で、
かつ「Je suis Charlie」とおっしゃっている人は筋が通っています。
自分の意見をしっかり持っていらっしゃる方々ですし、それを尊重するのも大切だと思っています。
そのためRyokaさんのブログを見た時も、不思議と強い違和感は感じませんでした。

私が違和感を感じるのは、
「周りがやっているから、私もJe suis Charlie」になる人々です。

いや、もちろんテロへの反対意識や表現の自由という共通の意志があるんですが、
ただ漠然と「Je suis Charlie」を名乗ることに抵抗を感じています。

私が今回、シャルリー・エブド社の風刺画をあえてブログに載せたのは、
風刺画という文化自体が多くの日本人には受け入れがたいものであるということを知っていたから。
果たしてどれだけの人間がこの風刺画を知っていて、なおかつJe suis Charlieを名乗っているのかということを知りたかったから。


Ryokaさんは「世の中を風刺しているのであって、人を馬鹿にしているのではありません。」とおっしゃっています。
実はこのフレーズ、私にはとても印象深く感じました。

フランス文化を良くご存知で、馴染んでいるからこそ言える言葉なのではないでしょうか。
これこそが、「文化の違い」なのだと思います。
この風刺画という作品たちは、日本人には理解されにくいフランス文化の一つです。
バカにしているわけではないのかもしれませんが、
「バカにしているようにしか見えないと感じる」日本人が多いのです。

きっと日本人の多くは「いくら風刺画でも言っていいことと悪い事がある」と感じているでしょうし
逆にフランス人の多くは「風刺画なんだから言いたいことを全て吐き出して当然」と感じるのでしょう。


風刺画がフランスの文化の一部分だという事も重々承知の上ですが、
「私は個人的に嫌い」なのです。
それはきっと在仏歴が浅いということだったり、言っていいことと悪い事の区別をいつまでも持ち続けたいという想いだったり。
フランス文化への理解を深めたい想いはあるのですが、ブラックユーモアの類や風刺画は、理解しようと思っても出来ない部分があるのです。

かといってフランスのシャルリー・エブドが全世界の色んな文化のことまで考慮して作品を作る、なんてことは現実不可能なわけですが。

何だか長く、わかりにくい文章になってしまってすみません。。。

つまりは、日本人、フランス人に限らず「Je suis Charlie」と掲げるのであれば、
彼らの風刺作品たちを最低限知っておくべきだ、と言いたかったのです。
ただテレビやネットのニュースに感化されて、鵜呑みにしてしまう人があまりに多すぎることを懸念しているのです。(私もきっとその一人でしょう。)

「ちょっと不謹慎だけど自由を大切にするフランスのほうがいい」と言い切れるRyokaさんの姿勢は本当に素敵だと思います。



因みに福島の件ですが、政府の情報、ネット上の情報、テレビの報道など
現在も情報が錯そうしています。
残念ながら私は、現時点ではネットも政府もどの情報も信じられません。
政府が隠しているのか、ネットが過剰報道なのか判断する基準がありません。

ただ福島では頑張って生きようとしている人々がいること
辛い状況でも故郷と一緒に生きて行くことを決めた人々がいること
生活の基盤を立て直そうと努力している人々がいること

私にとってはそれが全てです。

批判をすることや事実を知ることは大切かも知れませんが、
いま、福島の人々に必要なのは
批判ではなく解決策打開
人的支援や金銭的支援 では?

原発だって、それに代わるエネルギー源が開発されない限りなくならない。
なくしたくたって、解決策がなければ先には進まない。
だって関東全域を停電させるわけにはいかないでしょうから。

福島についてはこれくらいで。
長くなっちゃいましたね。。。我ながらまとまりのない文章、申し訳ありません泣


福島に行かれた事はありますか?
私はとても好きな場所です。
Posted by ますこ at 2015年01月10日 09:01
ちー さん

コメント有難うございます。
あまりキレイにまとまっていない文章にも関わらずいつも見に来て下さっているとの事、
本当にうれしく思います!!

風刺画…ブログに載せたあと、実は消そうかどうか少し迷っていました。
正直なところ、ちーさんのように「苦笑いすらできない」という日本人が多いという事は
安易に想像できたからです。

一つの表現方法として、今後も残っていくであろう風刺画。
それの影響で人の命が奪われるなんてことは言語道断!

でも、ちーさんのおっしゃる通り、Je suis Charlieの他に表現がないものかと思わずにはいられませんでした。

Je suis Charlieと言わないだけであって、
テロに対する嫌悪感や亡くなった方々への想いは一緒なんですけどね。

うーん、何だか考えさせられる事件で、うまくまとまらずにすみません。。


私こそ、本当は日常のくだらないことばかりを書いて、楽しいブログにしたいと思っていたのですが、
つい重い話になってしまい恐縮です。

また懲りずに遊びに来ていただけたら嬉しいです。
Posted by ますこ at 2015年01月10日 07:42
はじめまして

真(ま)フランスの日常の管理人、Ryokaです。

私は、残念ながらますこさんとは全く逆の意見です。

彼らの日本の風刺画は決して大袈裟ではありません。

本当のことを言わないのは日本政府です。

原発事故以来、紫の蟹や茎の太さが3センチもあるタンポポなどが各地で見つかっています。

このブログを読めば、日本人の多くが原子力ムラにだまされていることがよくわかります。  http://kiikochan.blog136.fc2.com/

福島や福島周辺の甲状腺がんの発症数も異常です。去年の時点で事故前の100倍に膨れ上がっています。

フランスのメディアも原発ロビーに屈してほとんど話題にしない中、唯一Charlie Hebdoがこうして実態に近いことを風刺しているのです。特にますこさんが載せた最後の風刺画は、東電の“本性”をよく表していると思います。

Charlie Hebdoの風刺画は、その名の通り、世の中を風刺しているのであって、人を馬鹿にしているのではありません。(そのことが一部のイスラム教徒や日本人に理解されず問題になっているのですが・・・)

そもそも、フランスにおける風刺画は今に始まったことではありません。フランス革命以来の自由の象徴です。 http://www.asahi.com/articles/ASH181RFWH18UHBI00B.html

私はタブーだらけの日本より、ちょっと不謹慎だけど自由を大切にするフランスのほうがいいです。
Posted by Ryoka at 2015年01月10日 05:40
もんこ さん

もんこさん、こんばんわ!
実は私のフランス人の友人はみなさん「Je suis Charlie」で…
中には同じような考えを持ってくれる人もいるといいのですが。
こればっかりは個人の考えによるものですし、ね。

クレルモンの辺りは、モンリュソンとは比べられない程集会の規模も大きそうですよね…
息子さんを学校に連れていくだけでも何だか緊張しそうです。。。

最近の街全体が息の詰まるような雰囲気、本当に残念でなりません。
もんこさんの「殺すな!」の一言が心にしみます。
Posted by ますこ at 2015年01月10日 05:05
カル さん

コメント有難うございます。
賛同して下さる方がいらっしゃるなんて、驚きと同時に
「私だけじゃなかったんだ」と安心感を覚えました。

カルさんのおっしゃる通り、受付の方やビルのメンテナンスの方、
殆ど報道されていませんよね。
そこにどうも不公平さと腑に落ちない感覚を覚えずにはいられません。

(かといって、私自身も亡くなった警察官にばかり焦点を当てていたことを反省…
カルさんのお蔭で気付かされました。有難うございます。)

ペンという武器は、良くも悪くも使い方次第で世界をコントロールできるもので、
今回はその報道の偏り具合と、それに操られるかのように集まる一般人という構図に恐怖感を覚えました。

ストーリー性を求めるメディアの気持ちもわからなくはないですが、
カルさん同様「なんか変」という感情でいっぱいです。
Posted by ますこ at 2015年01月10日 04:53
私もJe suis Charlieのプラカード、FBのプロフィール写真使用に違和感を覚えていました。
同じ意見の方がいらっしゃり、思わずコメントしてしまいました。

「Je suis Charlie=私はCharlie」というフレーズ。
「表現の自由を守る」という認識で使用されている方も多くいらっしゃるとは思いますが、
どうも、Charlie Hebdoの発信した風刺内容も同時に正当化させているような気がしてなりません。
私は、Charlie Hebdoの風刺画の内容は全然笑えません。
ますこさんが掲載したFukushimaのものももちろんのこと、他のものも苦笑いすらできませんでした。
むしろ見ていてどういうつもりで書いたのか理解に苦しむ、というものばかり。

ひとそれぞれ考え方は異なり、持っている意見も異なるので、それを「自分の意見」として表現し発信する、というのは理解できます。

ですが一方で、「表現の自由」のもと、善良で敬虔なイスラム教徒の心を傷つけているのも確かな事実です。

いずれにせよ、テロ行為というのは許されるものではないので、
国民一人一人が「抗議する」という意思表示をするのは、とても大切なことだとは思いますが、
他のワードがなかったのか、、、というのも、今回の事件で考えさせられたことです。

すみません、いつもますこさんのブログを楽しく拝見させていただいてます。
今回が初コメントなのに、重苦しい意見をコメントしてしまいました。
今回の事件は本当に色々と考えさせられることが多いです。

これからもブログアップを楽しみにしています。
Posted by ちー at 2015年01月10日 04:34
こんにちは、もんこです!

私も「Je suis Charlie」という標語に違和感があったので、使用には踏み切りませんでした。見えてこないだけでたぶん、フランス人の中にも同様に感じている人はいるんじゃないかなーとも思うんですが。
モンリュソンでも集会あったんですね。息子の学校周り、交通整理のお巡りさんもここ数日ピリピリしてらして、何だかお気の毒です。
昨日今日と、各地に事件と暴力が飛び火して、籠城も2件でしたっけ…、早いとこ鎮静化することを願っています…。こんなフランスは悲しすぎます。
Posted by もんこ at 2015年01月09日 23:29
同感です。私も今回の事件の痛ましさ、暴力で報復するという方法に反対ですがフランスメディアの取り上げ方・「Je suis Charlie」のプラカードを掲げている人々には違和感を覚えます。まるで編集者がヒ−ロ−だったかの様。彼らはペンをいう武器で多くの人を傷つけていたのも事実。
(だから殺されていいわけじゃない) でも今回の事件の一番の被害者は受付やビルのメンテナンスで銃撃され巻き込まれた人じゃないかと私は思います。ですがこの辺の人達の事はほとんど報道されず、反感をいつも煽っていた編集関係者だけが英雄のように報道されています。なんか変ですよね。
Posted by カル at 2015年01月09日 18:12
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