人と自分は違う=個性
なのだから、私達はわかり「合う」という事はできないことになるのではないでしょうか?
わかる!!
これは言えるけど、自分とは違うところに文句を言っちゃだめなわけですよ。
相手の言うこと、行うことは「静観」するのが正しい訳ですよ。
けどさ、人間ってそんな寛容になれるものですか?
なれないからこそ、先代の人たちは「個性は奇抜」と銘打ったわけですよ。
出来てるのかね?
寧ろ、日本人は大人数に安心する性質があります。
大人数に安心している時点で「個性」ではないことになりませんか?
恥ずかしがらず「やろう」とか言うけど、
寧ろ、あえて、逆に。。
派手な個性の押し売りや営業をやめてもらいたいんです。
個性って地味でも「個性」だから。
私と違っても良い。
って言ってもらいたいんです。若者には。
そんなこんなだからこそ、「差別」っていう言葉は悪い意味じゃなく捉えたい。
「差別」って言葉は、奴隷制度があったから忌み嫌われているけど、ポジティブな方向で考えれば、「受け入れよう」になっていけるじゃないですか。
わかり「合う」必要性はない。
わかってくれてれば良いのです。
あの子にはあの子の
私には私の
価値観があることを受け入れてほしいわけです。
あいだみつおの言った言葉は言いません。
どこかで、頑張っちゃってる子がいる気がしますし、勘違いしてる子もいそうだなぁ。
と、いうお話です。
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