正直なところ、「大学」という場所は私にとって「学問をする」ところではなかった。
初めはそういう志がなかったワケではないが、あまりにも講義がつまらなかったし、実用性があると思えなかったのだ。
結果、私の大学生活の半分はワンダーフォーゲル部の活動。
そして4分の1は、生活費のためのアルバイト。
残りがかろうじて勉強・・・という感じで、それはそれなりに充実していた。
そんな中でたった一人だけ、私が毎回夢中になって講義を受けた先生がいた。
その先生は、毎日のように「不登校」や「いじめ」で苦しむ子ども達から相談を受け、「生」の声を聴いては、勇気付け、はげましておられる方だった。
今の子ども達の苦しみ、悲しみ、絶望・・・時には自殺に到るまでの精神状態が、一体、なぜなのか・・・そして、私達がどうすればいいのか・・・そうしたことを、講義の始めに必ず語ってくださった。
私だけでなく、そこにいる学生みんなの心に響いていることが、その表情からうかがえた。時には、涙をうかべている姿さえ見た。
なぜかは分からないけれど、その先生の話を聞いていると、「自分で学校を作りたい!」という想いがもくもくと湧いてきた感覚を、今でも覚えている。
(ちなみに、 広木克行先生といって、数多くの著書 も書いておられる)
それは、講義を受けては私の胸に現れ、時間が経てばうすれ、また講義を聴いては現れ・・・の繰り返しだった。
そして、とうてい実現不可能なように思われるこのまさしく「夢」は、最終的な私の人生の目標として、心の中で、歩いていく道の向こう側に常に意識されることとなった。
和歌山にある 「きのくに子どもの村」学園 を訪問したのは、大学を卒業して、大分の由布院で働いている頃だった。
「まちづくり」で、全国的にも有名なあの町では、私にとって興味のあるあらゆる分野のあらゆる情報を、その実践者からダイレクトに入手することができ、あの3年間で学んだことは、今の私にとって欠かすことができないものとなっている。
何しろ、月に1度は必ず誰かの講演会が開かれたり、何かのイベントが行なわれていて、とにかく色々な出会いがあった。
その中の一つが、「きのくに」との出会いだった。
1992年開校。日本で唯一、私立小学校の認可を受けた「手づくりの自由学校」。
テストも通知表もなく、「先生」と呼ばれる大人もいない。学年もない。
畑を耕したり、建物を建てたり「ラーニング・バイ・ドゥ−イング」(為すことによって学ぶ)が実践されている、寄宿生の学校。
普通の公立学校に通い、普通に卒業した私からすれば、「こんな学校があるんだ〜っっ」と、本当に感動したのを覚えている。
ただ、私達が訪問した時はまだ開校して間もない(3年目か4年目)頃で、子ども達の顔が期待したほどのいい表情でなかったことが印象的だった。
もっとも、「木曜日」は「訪問日」であり、外部からの見学者に対して緊張していただけなのかもしれない。最近、テレビで見た時は、子ども達の表情はとてもいいものだったように思う。(今度、もう一度行って見てみたい)
しかもこの15年の間に、中学校、高等専修学校、福井県かつやまでの小・中学校開校、さらにさらに・・・と勢いは衰えないようだ。
その「きのくに」のモデルとなっている学校がイギリスの「サマーヒル・スクール」そしてスコットランドにあった「キルクハニティ・ハウス・スクール」であった。
実は、今回の旅でキルクハニティにも是非行ってみたかったのだが、残念なことに「閉校」になっていた。なぜだか、事情は分からない。
そんなワケで、サマーヒルだけを訪問することにしたのだった。
ただ、私の中で「注目され過ぎることでいいことはあまりない」ということを経験上よく知っていたので、正直なところ、「期待し過ぎるのはやめておこう」というような気持ちもあった。
その気持ちは 以前に書いたブログ にもあるメールのやりとりの中から生まれたものだった。
サマーヒルは今、次から次へとやってくる訪問客の対応に追われているようだった。
1日だけで本質を理解するのはまず不可能だし、逆にサマーヒルについての書物はたくさんある。注目すべきは、その時しか見れない「環境」と「子ども達の表情」だという結論に達した。
・・・とはいえ、楽しみなことに変わりはなかった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、中に歩いていった。
(つづく)
自由な「学び」を選べるなら、、、何を選びますか?
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ヨーロッパの自由学校訪問記 〜情報編〜
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