【履歴】
- 2019年11月12日(作成)
皆さんは「食べ物で遊ぶ」と言う言葉を見聞きしてどう思われるだろうか。
「食べ物で遊ぶ = 食べ物を粗末にする」と考える人が多いのではないだろうか。
私もそう教えられて育ってきたのでそういうものだと思っていた。
しかし、今は少し変わって 「遊ぶ(手を加える)事が全て悪いわけではない。ダメだったら捨てればいいという考えではなく、責任を持って必ず食べるという事を前提とするべき」 と言うのが私の考えだ。
この考えに至ったのは理由が2つある。
1つは高校生の時のエピソード。
ある日、部活の帰りが遅くなりお腹が空いたので部員達とファーストフードで夕飯を食べて帰った時のこと。
家に帰ると一緒に住んでいた祖母が夕飯を用意して待ってくれていたのだが、食べてきた為殆ど食べられず残してしまった。
怒りもせずに「後でお腹空いたら温めて食べなさい」と言ってくれたがその顔は悲しそうだった。
その後、部屋に戻り祖母の立場になって考えた時、相手の為に用意したものが食べてもらえないというのは悲しい事だと思ったと同時にそんな気持ちにさせてしまった事を後悔した。
すぐに食べようと思ったのだが無理して食べてお腹を壊したりしたらまた悲しませてしまうと思い、少しお腹を空かせるために軽く運動し、お風呂等を済ませた後に残した夕飯を食べた。
直接謝ればよかったのだが気恥しく「さっきは残してごめん。お腹空いたから食べたよ。美味しかった。」と紙に書いて寝た。
次の日の朝起きると普段通りに朝食とお昼のお弁当を用意してくれていた。
お弁当はマヨネーズとケチャップで炒めたウインナーが入ったおにぎり。
時間が無くても手軽に食べられるようにと祖母が作ってくれた私の大好物だった。
この時から信条にしている事がある。それは 「自分の為に作ってくれたものは勿論、自分で買ったものは残さない」 だ。
もう1つは自分で料理を作るようになった事。
自分が食べるだけだと飽きない様に味付けを変えるくらいだったが人に食べてもらう様になると見た目でも楽しんでほしいと思うようになった。
そこで思ったのだ。現在まで様々な料理が生み出されてきたが全て簡単に完成したものではない。
数々の失敗を乗り越えたもので「こうしたら美味しいかも」「こうしたら見栄えがいいかも」といった作る人の探求心、試行錯誤という一つの遊び(心)ではないかと。
一番分かりやすいのは「キャラ弁」だろう。お弁当の中身を動物やアニメや漫画のキャラクターに見立てたもの。可愛い子供が喜んでくれるようにという親の愛情から生まれたものだ。
私達が生きる為には食べる事が不可欠だ。食材から料理まで全て自分自身で出来る訳ではない。そこには必ず作った人がいるのだ。だからこそ無駄に捨てたりしてはいけない。
今回の記事はここまで。
ではまた次回。
【このカテゴリーの最新記事】