そんな西洋志向の流れのなかで、大正10年頃に“洋髪”がはじまりました。「洋髪」とは当時ウェーブをつけた髪で結った髪型をさして「洋髪」や「欧風結髪」と呼んでいました。中でも、髪にウェーブをつけ、額から両サイドの髪に流し、両耳を覆い、毛先を後頭部にまとめた髪型を「耳かくし」と呼びました。この「耳かくし」を広めたのは銀座の美容院が当時のパリジェンヌのトップ・モードをその技術とともに紹介したのがはじまりといわれ、それまでの日本女性の髪型とはまるで違う斬新さで女性たちの心を捉えていきました。
「耳かくし」は、和服にも洋服にも似合い、同じアップスタイルでも髪にウェーブをつけたことで、それまで見たことのないモダンな仕上がりだったことから、当時、まだまだ新しいことに消極的な一般の女性たちには、はじめは躊躇されたようですが、すぐに多くの女性たちの心をつかみ、大流行となりました。
大正末期の髪型といえば、すぐに「耳かくし」といわれるほどで、さらに「耳かくし」はウェーブをつけた前髪を七三に分けたり、片耳側だけを覆ったりと、さまざまなアレンジを生みながら、大正末期から昭和初期の頃まで流行が続きました。
ショートボブは流行の最先端
「耳かくし」から、さらに一歩進んだ髪型が、現代でいうところのボブスタイルで、当時「断髪」と呼ばれました。女性の断髪は、明治時代、文明開化の頃にも見られましたがすぐに禁じられ、再び注目されはじめたのは大正時代の終りのころからです。
とはいえ、長い髪を短く切ることは、多くの日本女性にとってはじめてのことで、今では想像もつかないくらい勇気のいることでした。当時、髪を切ったことで親から縁を切ると言われたり、泣かれたといった話もあるほどです。
大正時代末期、断髪は当時としては、丈の短いスカートとセットのよそおいであったことから、そのスタイルはモダン・ガール(モガ)と呼ばれ、トレンドの最先端をゆく一部の女性たちから取り入れられ、昭和にかけてだんだんと一般へと広まっていきました。
また、女性たちを活動的なよそおいへと変化をもたらすきっかけとなったのが、大正12年に起きた関東大震災です。これを契機に和服から、動きやすく機能的な洋服を着る女性たちが増えたといいます。こうしたファッションの変化も、より活動的な髪型へと影響を与えていったといえるでしょう。
欧米文化の流入、社会の近代化、震災といったさまざまな時代背景がライフスタイルに変化をもたらし、それに伴い髪型も、決められたものではなく、自分のスタイルに合った髪型へと意識の変化をもたらしました。
日本髪から束髪、洋髪、断髪へと明治から大正にかけての髪型の変化は、現代の女性たちのおしゃれ意識に近づき、今ではあたりまえのことのように思える、自分に似合うヘアスタイルを模索しはじめた時代だったのです。
参考文献
『モダン化粧史 -粧いの80年-』/ポーラ文化研究所編
『どなたにもわかる洋髪の結ひ方と四季のお化粧』/早見君子著
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