昭和初期の女性たちにとっても、健康的な素肌を保つために、洗顔は重要なポイントでした。洗顔料には、古くから使われている糠や洗粉も愛用されていましたが、この頃になると石鹸で洗顔するということが普及し、さらに一部では、洗顔クリームが登場してきます。
昭和2年の女性誌「婦女世界」では、美容家によるさまざまなアドバイスや、美容法の解説などを掲載した美容特集号を出しています。それだけ、当時の女性たちが美容に高い関心を寄せていたのでしょう。
その中に洗顔の仕方や注意事項が書かれています。蒸したタオルで毛穴を開いた後、石鹸を使って顔を洗い、ぬるま湯でよく拭うとか、タオルなどに石鹸をつけて、肌をこすっているが、これは表皮を破壊し、肌を疲れさせるのでよくない。また、石鹸ならば良く泡立てて軽く摩擦して使い、洗顔クリームならば手にとってお湯か水に溶かして洗顔する、といったように、当時一般に普及しはじめた化粧石鹸、また、目新しい洗顔料であった洗顔クリームに対するアドバイスが数多く紹介されています。
洗顔後は化粧水とクリームのお手入れが基本に
洗顔後はやはり、洗いっぱなしにせずに、化粧水やクリームを塗って肌を整えていました。
この頃になると化粧水も多くのメーカーからグリセリン性、植物性、油性などさまざまなタイプが発売されていました。例えば、水分を吸収しやすいグリセリン性の化粧水は、外気中の水分をとって肌にうるおいを与え荒れを防ぐとされ、淡化粧下に用いられました。当時の女性たちも、それぞれ肌性や効果、季節によって自分に合うものを選んで使っていました。また、化粧水として昭和初期に流行した商品に、アストリンゼントがあげられます。アストリンゼントは、初めに桃谷順天館から発売されましたが、洗顔後に肌につけると、肌をひきしめ白粉のノリがよくなるとして、夏用の化粧水として人気を博し、さまざまなメーカーから同一商品名で発売されました。
クリームは、明治時代には輸入物が入ってきていましたが、国産のものが出回り、普及しはじめたのは大正時代のこと、またさらに昭和に入ってからは本格的に国内でクリームの製造が行われるようになり、一般に広く使われるようになっていました。
クリームは主に2種類あって、ひとつはコールドクリーム。寝る前に白粉を落とした後、コールドクリームを塗って顔をマッサージしてふき取る。もうひとつは、バニシングクリームで、化粧下地として使い、日中肌を保護する役割をしていました。
美しくなるには、身体の内側からのケアも
昭和初期、東京や大阪にアイススケート場が相次いでオープンしたり、昭和11年には、オリンピックで女性水泳選手が金メダルを取るなど、女性にとっても身体を動かすことやスポーツへの関心が高まり、水泳、テニス、スケートなどのスポーツ、海水浴や登山などのレジャーが広がっていきました。
しかし、スポーツによっては、当時はまだ誰でも簡単にできるといったものではありませんでした。そこで、美容と健康のために、道具や設備にとらわれず、室内で簡単にできる美容体操と呼ばれる運動が盛んに行われたといいます。
早見君子著『見違へる程美しくなる美容法と結髪』/昭和2年によると、美容体操は、欧米から輸入された体育法として、前屈などの簡単なストレッチ法が紹介され、寝る前や起床時に寝床の上でするとよいとしています。また、美容体操だけではなく、肌を美しく保つためには、バランスの良い食事を心がけること、十分な睡眠、心の健康といった、現代にも通じる美肌を保つための、身体の内側からのケアを唱えています。
こうしてみてみると、化粧品を使った外部からのスキンケアもさることながら、適度な運動や食事のとり方といったことが美しさに繋がるとされ、美しさはスキンケアやメークで作られた顔の美しさだけではなく、身体の内側の健康が伴ってこそ、といった健康美を目指す考え方が伝えられはじめた時代でした。
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