今回の災害により被災し亡くなられた方々と
そのご関係者の皆様に対し、
心よりお悔やみ申し上げます。
また今も被災し日常を取り戻せていない皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
そのご関係者の皆様に対し、
心よりお悔やみ申し上げます。
また今も被災し日常を取り戻せていない皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
そしてその翌日9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震。
正直、そんなに災害が多いとは言えない地域なのですが、
石狩南部在住の私たちを2日連続で襲った災害。
台風の暴風でモノが吹き飛ばされ、
地震では道内全域を襲った長時間の「停電」。
このような非日常的な出来事から
どのようにして生活を守ったのか
時系列に沿って記録を残そうと思います。
9月5日未明の台風21号
猛スピードで通過しました。
台風の右側はいわゆる「危険半円」と言われ
特に風が強くなる傾向で、
さらに台風本体も速度を上げ北寄りに進んだこともあり、
この地域は風の通り道になったのでしょうか?
地図を見ていただければなるほどと思われるかと思います。
私の住む地域に広がる石狩平野(〜勇払原野)。
南の太平洋沿岸は扇状に、北の日本海沿岸は北西方向に
それぞれ「口」が開いている地形で、
新千歳空港〜札幌市内東側(厚別区)にかけた地域は
東西に山地や丘陵地があるため狭まっています。
今回の台風21号では主に南〜南東の風になったことから、
南側に広がる「口」からこの狭まった平野に
風が集まったようです。
台風自体は速度を上げ足早に通過し、
朝を迎えた段階ではもう風もそれほど強くなく
雨もすっかり上がっており長い影響はありませんでしたが、
その分「凝縮」された影響を受けました。
台風の中心が自分のすぐ右側を通過しようとしている
9月5日午前1時過ぎに自分のスマホのアプリの気圧計の
スクショを取っといたものです。
この時はすでに暴風&大雨が窓を叩き、
電線は風切り音で唸っていた状況でした。
そしてこれから2時間後の天気図。
気象庁ホームページより
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/wxchart/quickdaily.html?show=20180905
この時の中心気圧が975hpaだったので
かなり近いところを中心が通過していき、
等圧線の状況から南東の風が強い状態だったのも
伺えると思います。
台風と地震の狭間
短時間ながら結構な雷雨に…
短時間ながら結構な雷雨に…
台風の翌日、胆振東部地震が起きるわけですが、
実は台風が去った日の夜(地震のおよそ6時間前)に
長い時間ではありませんでしたが夜半に雷雨となりました。
就寝していたのですが豪雨と雷鳴で飛び起き、
しばらく外を観察していたことを覚えています。
時間にして21:30頃から1時間弱くらいだったでしょうか?
今思えば、何かの予告だったのかもしれませんね?
(そんなわけはないか…)
9月6日未明の胆振東部地震
雷雨が過ぎ去り平穏を取り戻し寝静まった中
突然起きた翌9月6日未明の胆振東部地震。
この地域は震源である胆振地方の北西隣に位置していますが、
最大震度は6弱でした。
揺れが収まったとほぼ同時に停電。
電気の供給元である「ほくでん」の発表では、
地震発生から数10分はブラックアウトしていなかった…、
ということでしたが、
うちの地域は残念ながら地震即停電となり、
そこから予想しなかった40時間を超える停電状態が
続きました。
石狩地方から見た今回の台風と地震の時系列をまとめます。
9月5日未明の台風21号と翌9月6日未明胆振東部地震の
時系列のまとめ
時系列のまとめ
⇒世間の動き
★9月4日12時
台風21号は非常に強い勢力を保ったまま徳島県南部に上陸。
中心気圧950hPa、最大風速45m/s。
非常に強い勢力のまま上陸するのは25年ぶり。
★9月4日14時
神戸付近に再上陸。
石狩南部では徐々に風が出始める。
★9月4日夜
速度を上げ日本海を北上。
石狩南部では風が強まり始める。
★9月5日未明
石狩南部では南東の風が平均20m/s、
最大瞬間で30m/sを超える。
特に風が通りやすい場所で倒木。
また屋根が剥がれたりガラスが割れるなどの被害。
6名が負傷、約2万7千戸が停電。
北海道内の最大瞬間風速は以下の通り。
新千歳空港(石狩南部)5日2時48分に33.4m/s
江別(石狩中部)5日3時16分に33.1m/s
いずれも観測史上最大。
★9月5日9時
北海道日本海沿岸を通過した台風21号は、
北海道の北、間宮海峡で温帯低気圧に変わった。
★9月5日21時30分頃
およそ1時間半ほど強い雷雨。
★9月5日23時頃
雷雨は治まり平穏に。
★9月6日3時7分
北海道胆振地方中東部(厚真町とむかわ町境付近)を
震源とするM6.7の地震が発生、
厚真町で震度7を観測。
これにより道内最大の火力発電所、苫東厚真火力発電所が破損。
道内16市町の2239戸で断水。
★3時25分
北海道電力発表ではこの時刻頃相次いで発電所が停止し、
ブラックアウトが発生。
停電の影響から道内全域の鉄道交通網が麻痺。
また信号機が消灯、主要地点で警察官による交通整理。
★6時11分
最大震度5弱の余震発生、緊急地震速報発令。
★6時47分
新千歳空港で天井崩落、漏水が発生。終日閉鎖。
JAL・ANAが全便欠航。
★8時30分
経済産業大臣は北電に対し数時間以内の停電復旧を指示。
★12時00分
この時点で震度1以上の余震が52回発生。
★13時35分
北電の砂川火力発電所3号機が復旧、
旭川市と札幌市の一部で停電解消。
★17時30分
気象庁は本震の正式名称を
「平成30年北海道胆振東部地震」とした。
★9月7日10時
新千歳空港で国内線再開。
★13時
JR千歳線のうち新千歳空港〜札幌間の快速列車のみ
運行再開。
★9月8日6時
離島と設備故障による通電不能地域を除き
道内ほぼ全域293万戸で停電解消、
停電は残り2万戸。
★7時
新千歳空港で国際線再開。
★9月9日
JR貨物の運行が一部再開。
★9月10日
電力の20%の節電を呼びかけた。
道内鉄道路線は間引き運転。
道内ガソリンスタンドはほとんどの店舗で通常営業。
⇒⇒個人的な動き
★9月4日火曜日
【台風21号】
午後あたりから風が吹き出し瞬間的には15メートル前後に。
夕方から雨が降り出す。
その後雨は強弱を繰り返しながら断続的に降るものの
見た感じの風は午後に比べ若干強さを増したか?程度のもの。
21:30頃就寝。
★9月5日水曜日
【台風21号】
1:00頃
外の様子の異変に気付き目が覚める。
外を見ると南寄りの風がものすごい勢い。
雨風が窓を叩いている。
景色に見える大木が大きく揺れ、
電線の風切り音がうなる。
2:30頃
「バリバリ!」といった音を布団の中で聞く。
真夜中ということもあり様子を伺うすべもなく
そのまま寝る。
6:30頃
起きてみると木が至る所で倒れているのを確認。
そして近隣の住宅の屋根が暴風に煽られ剥がれたようで、
その屋根の一部が風呂の排気口に当たり損傷していた。
但し幸いなことに台風によるライフラインへの被害はなし。
仕事は通常出勤、学校は登校時間繰り下げ。
帰宅後確認すると風呂釜は排気不良であったことから
関係各所に連絡し、復旧に向けて調整開始
(結果的にこの日から10日間自宅で入浴不可)。
21:30頃
就寝準備中に突然雷鳴とともに窓を叩く雨音。
およそ1時間の間、強い雷雨に見舞われる。
23:00頃
雷雨は収まり就寝。
★9月6日木曜日
3:00過ぎ
突然の強い揺れとともに緊急地震速報。
強い縦揺れ後横揺れが約70秒。
揺れが収まったとほぼ同時に停電。
ひとまず自宅内の様子を確認するも
若干物が落ちた程度。
ガスはOK、水道もOK、電気は停電を確認。
念のため浴槽に水を貯め、ブレーカーを切る。
家族が4日〜6日の予定で本州に行っており、
通信が混雑するかもしれないので、
すぐに簡単なメールで無事を送信しておく。
家族分の懐中電灯(100均で買ったもの)と
外靴、着替えを枕元に置き、
乾電池で聞けるラジオをつけっぱなしにして
(この時点から停電復旧までの約40時間ラジオはフル回転)
夜明けまで再度寝ることにした。
6:30
起床、やはり停電は解消されず。
wifiは重たいがスマホの4G回線とガラケーの3G回線、
固定電話は繋がる。
子供の学校が急遽臨時休校となり余震も多く
一人で留守番させるわけもいかないため、
職場に連絡し休暇の承諾を得る。
(妻が所用で台風接近前に本州に行っていたこともあり)
朝から本州の友人知人から安否確認あり、
現時点での被害は停電と風呂のみで、
人的被害はなく元気であることを伝える。
まだ強い余震があるかもしれないため、
自宅内の片づけは最小限に控える。
11:00頃
仕事学校は休みとなったが概ねやることもなく
停電でテレビも見れず
正直暇を持て余していたこともあり、体を動かしがてら
子供と近隣駅前(徒歩で15分くらい)に偵察に出る。
午前中の時点でコンビニのうちセイコーマートは
暗い中開店。
但し、行列をなしていた。
スーパーは店外での一部商品のみ販売。
JRは運休、駅も閉めていたが駅員さんが表で案内中。
路線バスも運休、タクシーは通常どおり。
信号は停電ですべて消えている。
ライフラインは電気以外は通常通り使える状態で、
冷蔵庫は使えなかったが冷凍庫に保存していた食材は
まだカチコチに凍っていたためしばらくは持ちそう。
また乾電池も若干の予備があり、
カップ麺などは備蓄品は心持たなかったが、
米は余裕あり。
子供の家庭科の教科書に書かれていた鍋を使った炊飯を
実践することにより数日は何とかなりそうな見通しで、
食料品など物資調達は様子を見ることにした。
夕方頃、晩飯の支度に入る。
鍋で炊いた米と冷凍庫にあった鶏肉を使い、
深めの鍋に油を少し多めに入れ、
から揚げを作る。
日没の頃から支度を始めてしまい懐中電灯の光を頼りに
支度をする羽目に…。
晩飯後、ベランダに出たが
この時点でも住んでいる周辺地域は
絶賛停電中のため驚くほどの暗闇の世界が広がる。
そんな中、空を見上げると星がきれいに…。
流れ星や衛星?も見える(感動モノ)。
この段階でスマホの4G回線は厳しめながら、
子供のガラケー3G回線は生きており、
本州にいる家族とのやり取りはこちらをメインにする。
20:00頃
台風被害で風呂を沸かせず台所のガスコンロで
大鍋の水を何度も沸かし沸騰したところで
浴槽に貯める。
これが結構手間でかれこれ1時間近くやったが、
ほとんど貯めることができず汗を流す程度しか
できなかった。
本日帰宅予定の家族は結局空路が再開せず
本州に留まり翌日の夜の便に振り替えて様子を見る。
心配はしていたが、こちらは電気が使えないくらいで、
何とか不自由ながら暮らせているので
あわてず様子見しろと伝える。
22:00
就寝。まだ、余震も心配なことから枕元に
外靴・懐中電灯を置き、ラジオはつけっぱなしで寝る。
(落ち着いては寝れないが…)
★9月7日金曜日
6:00起床、学校が臨時休校となり余震が続く中、
子供が不安になっていたこともあり仕事を休む旨、
電話するも繋がりにくくなっていた。
なので、子供とともに職場へ車で向かい事情を話し、
快く休暇をいただくことができた。
昨日からの停電は継続しており、当然信号は消灯。
他の車の動向に注意しつつ運転する。
この時、ガソリンがほぼないことに気付く
(Eにほぼ近い)。
停電も2日目に入り充電しなければならなくなるケースも
考えられることから、
基本、外に出るときは徒歩にして、
ガソリンは温存することを決める。
12:00、ほとんど身体を動かしていないこともあり、
前日に続き、子供とともに市街地を偵察に出かける。
町中に出かけてみると一部ではあるが信号が点灯している。
これは自分の想像だがJRの午後からの運転再開の報があり、
JRに沿った地域の一部分のみ送電開始となったのかな?
と思う。
停電復旧した地域のガソリンスタンドが1店舗のみ
営業していたがざっと見て1キロ近い待機列。
うちの車のガソリンはほぼ入っていなかったが、
動くのに車が必須というわけでもなく、
充電の際にエンジンを回せればいいこともあり、
もう少し事態が落ち着いてから給油することにする。
停電復旧エリアの一部スーパーでは店内での販売を
してくれていたが、
ものすごい混雑ということもあり、
自宅の物資でまだ何とかなるので見送った。
そのほかのスーパーは昨日と同様店外での販売
(カップ麺系・食パン・野菜)。
セイコーマートも営業してくれていた。
きっとこういった皆様も我々同様に
何かしらの被害を受けているにもかかわらず、
店舗を営業してくれていることに本当に感謝の念を覚える。
13:00を過ぎ、地元の駅に運転再開の
新千歳空港行快速列車が入ってきた。
外から見た感じ、
混雑しているが東京の通勤ラッシュほどではなかった。
15:00
昨日の反省から日が高いうちに晩飯準備。
停電から36時間後でも冷凍庫の食材はまだ大丈夫だったので、
昨日とは違う味でのから揚げを作る。
新千歳空港も再開し、家族が振り替えた飛行機は飛びそう。
16:00
スマホなど充電系機器のバッテリーが心もとなくなり、
車に積んでいたシガーソケットから
コンセント充電できるケーブルをつなぎ、
小一時間かけてモバイルバッテリー1台、
子供の3G携帯、自分のスマホを充電する。
昨年、バッテリーが上がり性能のいいもの
(パナソニック:カオス)に変えていたので、
基本的にエンジンはかけず
(10分に1回様子見でエンジンかける)充電をしてみる。
どれも概ね70%くらいまで充電し完了する。
1時間くらい充電したがそのうち車のエンジンをかけたのは
合わせて10分くらい。
スペック高めのバッテリーにしておいてよかった。
17:00
薄暗くなり外を見ると、
この地域で停電エリアと復旧エリアが
きれいに分かれていて笑ってしまった反面、
不謹慎ながら「不公平だな」とも感じる。
しかし、そこまで電気が来ているので
復旧もそんなに遠くないかな…とも思う。
日が暮れ、2日目の暗い生活。
そういえば警察か何かのツイッターで見た
懐中電灯を使った明かりの取り方をまねてみる。
結構、明るい。
今晩は風呂の支度がめんどくさくなり一晩我慢する。
家族の帰宅する空路便が予定通り飛ぶとのこと。
21:00頃
家族が地元駅に着く連絡を受け、
外は停電で恐ろしく暗いので、
念のため迎えに行く。
地震後、ここまで停電が続きテレビの画面は
見ていなかったのだが、
本州にいた家族はずっと地震の情報を
画面を通じ見ていたので、
何もできない自分がもどかしかったと言っていた。
しかしこちらは停電している
(台風被害のおまけで風呂入れない)くらいで、
対して慌てていなかったこともあり正直ギャップを感じたが、
停電復旧後テレビ画面で報道されている光景を見て、
これは心配になるな…と認識する。
22:00頃
帰ってきた家族が何気なく外を見たとき、
周辺の道路の街灯が点いているいることに気付き、
切っていたブレーカーを入れてみると…、
停電復旧していた。
すぐに充電が必要なものを片っ端から充電。
こんな状況で台風から3日、地震から2日が過ぎた
9月8日土曜日。
翌日以降は小売店で一部の品目が品薄ながらも、
文句(贅沢)を言わなきゃ普通に生活できるようになりました。
また、偵察がてら午前中に街を見に行った時には、
ガソリンスタンドの待機列もほぼ無くなっていたので、
自宅に戻り車の給油をしました。
この日の夕方頃…、
家族の勤務先の方のライン経由で
「厚真の自衛隊からの情報、地鳴りがひどい、
数時間後大きい地震が来るかも…、注意」
といった内容が伝わる。
これを見た時点で個人的にはいわゆる「デマ情報」かと
考えました。
というのも、冷静に考えてみれば、
仮に自衛隊公式発表なら報道を通じて知ることになるだろうし、
そもそも大きい揺れの直前に地鳴りがすることがあるのは
知っていますが地鳴りの後時間が経ってから大きい揺れ…?
なんて聞いたことがありませんから。
念のため、情報を収集したところ、
苫小牧市役所でこの種の情報について惑わされないよう
「注意喚起」をしていました。
この時点で相当デマ情報が拡散されていることもあり、
地元放送局に情報提供しました。
数時間後、ニュースでも取り上げられるようになり、
きっと大勢の方も同じように情報提供していたんだなと
感じました。
これが今回の台風21号〜胆振東部地震での体験です。
災害は起きなければそれに越したことはないんですが、
「あれがあったら」「こうすればよかった」などなど、
今回の体験で気づいた点も多くありました。
次回はこの点についてまとめようと思います。
ご覧いただきありがとうございました。