多少の発達の遅れは、病床にあるからで、
健康が回復すれば、そのうち追いつくだろう。
今思うと、飽きれるほど、呑気に構えていた。
「ちょっと、発達検査をしてみようか」
小児科医師に促され、第1子が初めての新版K式発達検査を受けた。
体力的に、イスに座り続けるには やや厳しかった。
病床期間も長く、圧倒的な社会経験不足から、検査室への入室時よりかなり緊張していた。
結果として、実力の7割も出せなかったかもしれない。
けれども、同伴していた私は確信した。
・・・これは、何か変だ。
見たこともない「型はめ」や「スイッチ系のおもちゃ」、そして 初めての指示行動など
確かに、本人にとって 全てのハードルが高かったと思う。
しかし、「できる」「できない」ではなく、そこに至る過程を観察した時
嫌な気配のする「違和感」や「足りなさ」を感じた。
その「足りなさ」は、ただの「発達の遅れ」なのか?
体調や経験値などで、簡単に可変するものなのか?
心の底で、「たぶん違う」と答えは出ていた。
では、その「違和感」や「足りなさ」は何なのか。
頑張った我が子を ねぎらう言葉もそこそこに
身体を固くしながら、診断までの時を過ごした。
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