ほぼ半分無くなっていましたが、ギリギリセーフでした。輸血しました。
生理のように出血が1ヶ月程続いてました
お腹も痛くなって、便秘かと思ってました。
当時21才で水商売をしていまして、雇われのチーママだったのですが、7時の開店と同時に私が店を開けて8時に他の従業員が出勤してくるまでは私1人という毎日でした。
私1人なのに開店時間からお客さんが結構来るお店だったので、時には2組3組を8時までは切り盛りしないとイケマセンでした。
ある1人のお客さんが、私が大変そうなのを見て手伝ってくれました。
水や氷を運んだり、グラスやオツマミを運んだりしてくれました。
大変有難いはずなのに、少々私に付きまといぎみのお客さんだった事もあり、イラッとしました。
そして私は、ガラスのテーブルが割れそうな勢いでテーブルに水や氷を凄まじい音を立ててバンと置きました。
お客さんも全員引くような行動でした。
私は気が長い方だったのに、とにかくチョットした事でイラつきました。
今から考えると、これが血が少なくなっていってた序章だったのです。
この頃はたいした出血だと思っていませんでした。
出血は少しづつでした
出血が半月ほど続いた頃、まだ仕事に行ってましたし、腹痛は便秘のせいだと思っていたから、コッテリしたラーメンを食べれば便が出るとか思って、仕事終わりに夜中にラーメン食べに行ったりしてました。
しかし治りません。
当時両親から離れて独り暮らししていた私は、医療費の余裕もありませんでしたので病院へは行きませんでした。
3週間経った頃には仕事も休みがちになり、歩いて5分の職場までが歩けず、行く時はタクシーで行ってました。
痛いからじゃなく、歩く体力が無い感じでした。
食欲もほぼ無くなっていました。
顔色は青ざめていましたが、今まで日焼けで少々ポッチャリだった自分が、色白で細くキレイに見えて嬉しい気持ちもありました。
自分が病気になるわけがないという変な自信で、病院に行く気はありませんでした。
が、とうとう1曲約5分の歌でさえ歌えないほど、体力がなくなり、早引きして姉に電話しました。
姉も近くで独り暮らししていました。
姉は、明日病院に連れて行ってくれると言いました。
姉がいたら病院代も安心だし、行く事にしました。
次の日病院に行ってみると、検査後スグに車椅子に乗せられました。
救急車じゃなくて、自分でよくココまで来れましたね、と言われました。
その時に「血は半分無くなったら死ぬと言われますが、約半分まで無くなってました」と言われました。
ギリギリセーフでした
救急車なんて乗ったことないし、1分くらいなら歩けるから、このくらいなら自分で病院行けると思っていましたが、今後はこのくらいになったら救急車呼んでも良いんだな、と思いました。
結局、腸や子宮や卵管や卵巣が血液で合体していて、バラしてもらう手術をしましたが、固さから想像するに相当長い期間かけてこうなったはずだから、高校生くらいから生理の血がウマク排泄出来ていなかったんじゃないかと言われました。
そう言えば生理痛はヒドイ方でした。
3ヶ月の入院後無事退院する事が出来ましたが、血が少しずつ無くなっていった自分の変化(イラつく→フラつく→何も出来なくなる)を、今でも忘れる事が出来ません
ちなみに「問題夫と戦いながら、42才妻初めての体外受精をします!」というブログも書いています。
↓是非読んで下さい↓
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