さて、唐突ですが今回はトヨタスポーツ800、通称ヨタハチについて書いてみます。
とは言っても詳しい方には全くかなわない知識なんで、知り合いが乗っているヨタハチの話を少しするだけです。
では早速概要などを少し。
トヨタスポーツ800(UP-15)は1965(昭和40年)4月登場の小型スポーツカーで、元々は当時トヨタの最小排気量車であったパブリカのエンジンやシャシーなどのコンポーネントを流用して開発されたのですが、さすがにスポーツ用にはパブリカ(UP-10)用のU型空冷2気筒700ccエンジンでは非力だったために、800cc(実際は790cc)へ排気量アップしてツインキャブ化した2U型エンジンを搭載。
それでも最高出力は45PSと現在の軽自動車よりも低いのでかなり非力ですが、実際には軽量化を徹底的にすすめて重量を580キロに抑えた為に最高速度は驚きの155キロを誇りました。
65年版自動車ガイドブックより
当時としては珍しい空力を追求したボディ形状だったために最高速度の向上だけではなく、燃費も良かったので耐久レースなどでは当時のライバルと言われていたホンダS600とは良い勝負だったそうです。
ホンダエスロクはヨタハチよりも小さい606ccエンジンでしたが、水冷4気筒DOHCという高度なメカニズムを誇り、最高出力もヨタハチよりも12PSも高い57PSを発揮しました。
それでもヨタハチが耐久レースで好成績を収められたのは、ひとえに空力の良さと軽量で低燃費だったというところに尽きます。
ホンダSは高出力ながら燃費ではヨタハチにかなり劣り、車重も100キロ以上重かったのでトータル的には良い勝負だったということです。
耐久レースでは燃費の良さを生かし、他車が給油の為にピットインするのを横目に途中無給油のままで走り切るということもやってのけたとのこと。
元々が国民車として開発されたパブリカが元なので経済性の良さは折り紙付きです。
後年このヨタハチのエンジンが逆にパブリカに流用され、マイナーチェンジしてUP-20になるわけですが、当初はワンキャブの2U-C型36PSエンジンでした。
但し、コンバーチブルと後に追加されたスーパーにはヨタハチと同じ45PS仕様のエンジンが搭載されています。
ヨタハチの発売当時の価格は東京地区で595,000円でした。
これは同時期のエスロクより少し高いくらいで、このあたりもライバルらしいです。
逆に言えば、これよりも高度なメカニズムのエンジンを搭載していたS600のほうが安かったというのはある意味凄いですが。
66年度版自動車ガイドブックより
少し左が切れてしまいました。
既に価格が少し下がって¥592,000になっています。
その後途中マイナーチェンジがありましたが、1969年の生産終了までに3,131台が生産されたと言われています。
さて、前置きが長かったですがここからは自分が実際に触れたことのあるヨタハチについて少し書いてみます。
初めて実車に触れたのは自分がまだ20代の頃、旧車ショップに勤めていた時です。
お客さんに綺麗なヨタハチに乗っている方がおられて一時期よくお店に来られていたんですが、その方がエンジンのオーバーホールをお店に依頼されたんですね。
そのあとたまたま別のヨタハチが入庫したんですが、こちらは程度はかなり悪くてボディは正直ボロボロでした。
しかし、エンジンだけは調子が良くて、オーバーホールしたエンジンより吹け上りも良くてオーナーさんが悔しがっていました。
後日知ったことですが、このエンジンが本来のヨタハチのオリジナルエンジンで、オーバーホールを行った個体の方は後のミニエース用エンジンだったのではないかという事でした。
このミニエースと言うクルマはトヨタの小型商用車で、2U系エンジンを搭載したトラックとバン(及び乗用のコーチ)がありました。
どうやら後期のヨタハチはこちらのエンジンが載っているらしい・・・です。
もしかすると勘違いしているかもしれませんが、このミニエース用の2Uは潤滑系が改良されており耐久性や信頼性が向上しているらしいのです。
なので後年このエンジンの載ったヨタハチと言うものが少なからず存在していたようなんです。
ただ、それが後期型に標準だったのか、エンジンを駄目にして載せ替えを行ったものなのかまではちょっと記憶がはっきりしません。
確か旧いオールドタイマーでその辺りについて記事になっていたように記憶しているんですが・・・
まあ、実際オリジナルの初期の方は吹け上りも良くアクセルに対しての反応がいいみたいです。
ただし、自分が実際に触れたことのある個体に関してなので単純な個体差かもしれませんが。
・・・で、その後ヨタハチと触れ合う機会は長らくなかったのですが、今から約20年ほど前にひょんなことから再びヨタハチに触れる機会が訪れました。
子供の頃に活動していたボーイスカウトの先輩が実はヨタハチを持っていたんです。
たまたまその頃訳あって十数年ぶりでOBが集まる機会があったんですが、その時久しぶりにその先輩と会ったんですよ。
当時は年齢も少し上だったんでそこまで親しいわけではありませんでしたが、改めて大人になってから会ってみると結構普通に話せるもんでして、たまたま自分が旧車に乗っているという事をその先輩と仲の良かった別の先輩にチラッと話をしたところ、「あいつも乗ってるよ」ってことになり、改めて話をしたら乗っている車と言うのがヨタハチだったんですね。
それからはOB会とは関係なく普通に連絡を取り合うようになり、その先輩の家に行ったりこちらの家へ来てもらったりとしばらくお付き合いが続きました。
その際は必ずヨタハチで遊びに来ていたので、ちょくちょく横乗りする機会がありました。
一度は富士山近くまで写真を撮影するためにドライブにも行ってますが、排気音は結構勇ましくバタバタと言うよりもブォン!とかバォン!って言ったほうが近い感じです。
大人二人乗車でも結構走り出してしまえば速度も出ますし着座位置が低いのでスピード感もあり、正にスポーツカーに乗っているという高揚感が味わえました。
一度運転もさせてもらいましたが、やはり出足は線の細さを感じますが、一度走り出せばそこまででもなくて普通に走ってくれます。
それよりも音と低い運転姿勢が演出するスポーティーさのほうが勝り、楽しくてニヤニヤしてたのを思い出しました。
先輩のヨタハチと自分のグロリア
連絡を取り合うようになってから数年後の写真。
グロリアは既に車検が切れており、だいぶ痛みも進んでしまっています。
久しぶりに会った当初はまだ車検があり、自分もグロリアで先輩の家へ行ったりしていました・・・
この先輩のヨタハチは後期型でバックランプが装着されていました。
インパネとステアリングも初期型とは違い、外観ではバックランプの有無の他にもフロントグリル(開口部と言ったほうが良いか)の意匠が異なり、フロントフェンダー上部に付くウインカーのレンズが白からオレンジに変わっています。
他にも細かく変更があるようですが、自分はそこまで詳しくなので細部については説明を省きます。
先輩の車にはヒーターは付いていませんでしたが、元々ヨタハチにはオプションで燃焼式ヒーターが設定されていました。
しかしこのヒーターが曲者で、ガソリン燃焼式なんで使用時にはかなり燃費が悪くなるという代物。
そしてもっと恐ろしいのは、整備が悪くて燃料漏れなどを起こすと車両火災になりかねないという危険なものでもあったようです。
これとは別にパブリカなどにオプション装着されていた(標準?)ブロワーヒーターもどうやら装着できるようです。
こちらはエンジンの熱気を室内に呼び込むタイプのヒーターで火災の危険はありませんが、燃焼式に比べると暖かさはかなり劣っていたのじゃないかと想像します。
これも既に20年近く前の出来事ですが、仕事先の市内にS54Aの3型と一緒にUP20パブリカが重なって置いてある解体屋があったんですが、たまたまそこの社長と知り合いが顔なじみだったので部品を譲ってもらう話を付けたんですね。
その時は54Aからいくつか部品を外して持ち帰ったんですが、54の上に乗っかっていたパブリカは先にバラされてて、見に行った時にはエンジンが単体で転がっているような状況でした。
その時にそのブロワーヒーターがあったんですが、もう少し早めに気付いていたら譲って貰えたかと思うと、ちょっともったいないことをしてしまったと後悔したのでした。
この前後にたまたまパブリカがあるという話をその先輩にしていたんですよ。
ただグレードが普通のだったんで、うやむやのままだったんですね。
これがスーパーとかコンバーチブルだとエンジンが同じなんで話が変わるんですが、通常のグレードではそこまで食指が動かなかったと言う訳です。
ブロワーの話は写真を見せたかバラバラになってから現地で一緒に見たのか、今となっては思い出せませんが、その時は残念がっていた記憶があります。
その先輩とも最近は会う機会が無く、ここ数年は年賀状のやり取りだけとなってしまっています。
お互いその後引っ越しや結婚をしたこともあり、中々会うタイミングが無くなってしまっているんですが、ヨタハチは今でも大事にしているようです。
整備に関しては簡単なことは元々自分でやっていたようですが、車検などはディーラーへ持ち込んで対応してもらっているそうです。
しかし部品の調達はディーラーでは既に出来ない為に、必要な部品は毎回用意して頼んでいたそう。
最近はそれも難しくなってきているようで、旧車を弄れるメカニックが居なくなってしまっているそうです。
再び知り合った当時は車検整備以外は本当に自分でやっていて、エンジン脱着もガレージで一人で行っていたと言ってました。
板金塗装までガレージでやったと言っていたので驚きましたが、それくらいのバイタリティが無いと旧車の維持管理はやりきれないのかもしれません。
一度解体車をバラすのを手伝うために船に乗ってある島まで付いて行ったこともありました。
かなり大きな島なんですが、なぜこんなところにヨタハチが?って当時思いましたね。
流石にボロボロで再生できるような感じではありませんでしたが、一日がかりで使えるところを外したり切り取ったりしたものを最後に梱包して、レンタカーの軽トラで港近くの運送屋まで運びました。
ここからは書きながら思い出したことです。
前日遅くに乗船して、翌日の早朝(確か朝の6時前)島に着いたんですが、船が付いた時だけ港にタクシーが居るんですね。
寝不足もあってチョット休憩していたんですが、気付けば今までいたはずのタクシーが全くいなくなり、バスもなくかなり焦りました。
その後公衆電話でタクシーを呼んだのかな?
どうにか解体車のある個人のお宅まで無事到着出来たのですが、その後一日部品を剥ぐ作業をしていたので帰りの船では寝不足だったこともあり、ガッツリ寝入ったのを思い出しました。
今回は以上です。
クルマの話と言うよりは思い出話になってしまいましたね。
ではまた
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