今回は更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
ちょっと月末にバタバタしておりまして・・・
・・・さて、今回は1965年5月の通算151号になります。
早速本題に入ります。
まずはいつも通り表紙から
今月はグロリア6ワゴンが表紙です。
配達の商品でしょうか?
6ワゴンにまさに今積み込むという所の1枚のようですが、なかなか豪快ですね。
しかし昔はこのように何段も重ねて物を運ぶのはどうも当たり前だったようで、今では信じられないくらいの量のざるそばを片手で重ねて自転車やバイクで運んでいる写真が残っていたりするので、当時の人たちは相当な手練れ揃いだったのではないかと勝手に想像してしまいます。
表紙裏と1ページ目の目次です
博多どんたくの話題から出てくる今回のディーラーは外車ディーラーでおなじみのヤナセです。
当時ヤナセはプリンスの販売もしていました。
ヤナセで販売された車両にはプリンスのプレートとは別にヤナセ独自のプレートがエンジンルームに取り付けられていたのですぐわかります。
私自身も何度かヤナセのプレート付きのグロリアは見たことがありますが、かなり立派でメーカーのコーションプレート並み(むしろヤナセのプレートの方が大きかったような)の物が付いていました。
日産合併後もしばらくは販売していたようで、A30系グロリア(縦目グロリア)にもこのプレートの付いている物が存在しています。
こちらはシリーズ連載の「プリンス豆社史」
今回はスカイライン発売の頃について書かれていますね。
次のページもシリーズ物の「やさしい自動車工学」
興味のない人には全く?な内容ですが、好きな人には楽しいお話です。
ここからは自動車ジャーナルのページ
当時の自動車業界の状況が分かり、個人的に毎回読んでいて面白い記事です。
そして自社の話題を書いているプリンスジャーナルのページ
販売台数が1枚台を突破したということが書かれていますが、プリンスはこの時期ようやく1万台の販売台数なわけで、同時期のトヨタと日産は3〜4万台の販売台数なのでその差は歴然でした。
同じころの東洋工業(マツダ)は軽自動車も含めてですが2万台近い台数を捌いています。
こうしてみると業界第3位と言われていたのはどの辺りが基準だったのかちょっと分かり難いですね。
2ページ目には新たにディーラーが発足したことが書かれています。
この時期(1965年頃)プリンスではディーラー網の充実を図っていたようで、この後もいくつか新規に販売店が発足しています。
この時点では役員たちでさえまだ合併があることは知りませんので、自由化を前にして販売網の拡充を行っていたということですね。
3ページ目は輸出関連の話題です。
まだアメリカ施政下の沖縄で代理店が出来たという話の後はジュネーブオートサロンに車両を展示したと書かれています。
この時の商標名はなんと「PMC MIKADO」
みかど「帝」ですからね。
さすがプリンスです。
香港にも輸出されて好評だと書かれていますがこちらは少し特殊で、エンジンレスの車両を輸出していました。
あちらで独自にディーゼルエンジンを載せてタクシーとして使用されているということ。
台数的には結構輸出されていたんですが、全てエンジン無しでの輸出でした。
あとはアイルランドに輸出したということが書かれていますが、スカイラインとクリッパーのノックダウン用パーツを送ったと書かれています。
ほんの数年前まで日産がイギリス車のノックダウンをしていたのに、今度は日本車のノックダウンをすぐ隣のアイルランドで行うようになるとは当時の人たちは思いもよらなかったのではないでしょうか?
最後は裏表紙の「世界の乗用車シリーズ」です
今回はBMW700LSです。
水平対向空冷2気筒エンジンをリアに積むRRですが、日本ではあまりなじみの無いクルマです。
今となっては考えられませんが、この頃のBMWは企業としてはかなり危ない状況で、この700シリーズの成功でようやくひと段落ついたといった所でした。
この後、新しい1500ccクラスのセダンが世界的にヒットしたことによりようやく安定し今に至ります。
今では当たり前のキドニーグリルもこの新しい1500から採用された「顔」でした。
今回は以上です。
ではまた
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情報ありがとうございます。
プリンスの後にいすゞが進出したんですか。
ベレルは元々ディーゼルエンジンがあるので、そのまま輸出されたのでしょうか?
プリンスはエンジンレスでしたから気になります。