毎日寒いです。
気温もそうですが、それよりも懐がとにかく寒いです・・・
・・・さて、遂にこの日が来てしまったというべきでしょうか。
旧車好きには恒例の、毎年1月に開催されていたJCCA主催の「ニューイヤーミーティング」が先月27日で最後となってしまいました。
一応の理由としてはオリンピック開催に合わせて現在の開場が使用できなくなるからとのことですが、 運営等々一旦見直し とも言っているので、一度お開きにしてまた改めて考えたいと言う事なのでしょうか?
ニューイヤーミーティングといえば、日本のクラシックカー文化を長らく牽引してきた老舗イベントだったと思うので、なくなってしまうのはやっぱり悲しいですね。
出来る事ならいつの日かまた復活してクラシックカー文化を盛り上げてほしいものです。
1977年に初めて開催されてから今回のファイナルで42年という歴史あるこのイベント。
自分が小学校に上がったばかりの時代から長い事続いていたことを思うと感慨深い物がありますが、これも一つの時代の流れなのでしょう。
・・・ただ、正直なところ自分はここ数年足が遠のいていたのも事実。
その頃に同じ会場で旧車天国が始まったのも理由のひとつとしてあります。
自分の仲間達もニューイヤーから徐々に旧天へシフトしていき、この2年ほどはニューイヤーのほうには不参加でした。
他にも行かなくなってしまった理由はあるんですが、その辺りは書かないでおこうと思います。
初めてのニューイヤーミーティング
ここらで自分が初めてニューイヤーに行った時のことを思い出してみようと思います。
初めてニューイヤーミーティングに行ったのは今から25年以上前になります。
汐留で開催された時が最初です。
確か1991年ではなかったかと思います。
とにかく初めて行った時にはかなりのハイテンションだったのを思い出します。
今でも付き合いのある友人K氏を誘って二人で見に行ったわけですが、会場周辺に着いた時点でもう落ち着かなくて。
既に会場周辺の路上には旧車がチラホラといるんですね。
「おらワクワクすっぞ!」
って状態ですw
四半世紀前のことですが、それでもやはり普段街中で旧車に出会う機会は極稀でしたから、そんな貴重なクルマが大量に集まっている会場は自分にはそれこそパラダイスだったんですよ。
とにかくテンション上がってるんで片っ端から写真を撮ってました。
とはいっても 写ルンですですけどね。
横長の写真は今となっては懐かしい 写ルンですパノラマでの撮影。
三段目の江ノ電バスの写真には良く見ると後方にWW?Uドイツ軍のキューベルワーゲンが写ってます。
それにしても国産、輸入車と節操無く撮影してますね(本当はもっとあるんですけど・・・)
このときはスバル360に乗り始めて間もない事もあって情報にも飢えてましたんで、ここぞとばかりに部品を探したのを思い出します。
スバル360のバンパーを持って会場を徘徊する若き日の自分
このとき既にプリンスも大好きだったので、会場にいたグロリアの写真も撮影してました。
(この記事を書くに当たって当時の写真を引っ掻き回したんですが、記憶に反してほとんど撮影してなかったです。)
S4グロリアの写真はこれのみでした・・・
ただ、今ほど詳しくなかったので会場内にグランドグロリアのS45Pがいたことに当時全く気付いてなかったんですけどね・・・
しかもそのグランド自体はしっかり見ているにも拘らず・・・
室内天張りに特徴のある車だったんで、後で知ってもっとしっかり見ておくんだったと悔しい思いをしたものです。
この初ニューイヤーでは部品の入手も出来、色々な車を見ることが出来たのですっかり嵌ってしまいました。
この辺りの話は以前の記事( スバル360その2 )でも触れていますが、とにかく自分の中では当時かなりの衝撃だったんですよね。
横浜でのニューイヤー
その後会場は横浜のパシフィコに移ります。
ここは屋内と屋外に分かれ、主に屋内は業者ブースやクラブスタンドがメインだったと思いますが、この辺りは少しずつ変わっていってたかもしれません。
屋外の様子
江ノ電バスは前年の汐留でも展示してましたね。
方向幕が1992となっているので間違いなく初回の横浜での撮影。
屋外の駐車場は個人参加の車の展示やスワップミートの会場となっていて、中と外を行ったり来たりしなければ両方見ることが出来なかったのでその辺は面倒だったかも。
またこの頃は土日の二日間開催だったのも今となっては懐かしいです。
(と言っても土曜は確か時間が短かくてクラシックカーショーのような感じだった気がします)
ちょうどこの時期は旧車ショップに勤めていた時期と重なり、その店も出店していた関係で業者として数年間参加していました。
何年目のときだったか覚えていませんが、
業者で入って会場設営をしているときに隣だった 日本自動車博物館所蔵の くろがね四起
展示スペースへみんなで押して移動させたのを思い出しました。
珍しい旧日本軍の軍用車だったので撮影させていただきましたが、
例によって写ルンですなんで酷い仕上がりなのはご愛嬌
土日のどちらかを出勤で会場入りしても、もう一日は個人で見に来るという事をやってました。
当時は気合が入ってましたし情熱も今とは比べ物にならないくらいありましたからね。
初めての横浜でのニューイヤーのときは前回汐留に一緒に行った友人と二人でスバル360で行きましたが、地下駐車場に車を停めたら帰りに駐車料金がとんでもない事になってて焦ったのも今は思い出・・・
(早朝から夕方まで停めた人は軽く5千円は越えてたはずです)
帰りにお金が足りなくなって出るに出られず困ったと言う話もありましたからね。
そういえば、パシフィコにスバルで向かう時に側溝に後輪が脱輪して、二人で持ち上げたこととかも一緒に思い出しましたw
この後数年間はパシフィコでの開催でしたが、駐車場の料金に関してはかなり不満が出ていたようでしたね。
自分は当時横浜市内に住んでいたので行くにも近いし、電車でも便利だったので好きな会場だったんですが多分会場使用料なども高かったのでしょう。
自分は最初の頃こそ車で行っていましたが、最後のほうは電車で行くようになってましたし。
パシフィコでの開催は1998年までで、翌年の1999年からは有明に移ったようです(記憶が定かではないです)
横浜での数年間の間に自分の愛車がスバルからグロリアに替わり、勤めていた旧車ショップも退職して自分自身の環境が随分と変わった時期と重なります。
今思えば、この90年代頃が一番旧車趣味の充実していた時期ですね。
パシフィコ横浜の頃には親しい旧車仲間も出来、会場で会うことが恒例となっていました。
普段なかなか会えない友人でも、ニューイヤーにくれば会えるというのは楽しいことでした。
この頃初めて知人と一緒にスワップミートに参加して、自分で集めた旧車部品を並べて売ったりしました。
(それ以前に当時入会していたクラブブースで個人的に部品を並べたりしたこともありましたが)
有明、そしてお台場へ
実は有明での記憶がほとんどないんですよね。
どうもお台場と記憶がごっちゃになっているようです。
実は一度だけ半年ほど所有してたステップバンでニューイヤーミーティングのスワップミートに参加しているんですよ。
多分その時が有明だったはずなんですけど(ステップバンを所有していた時期がちょうどその頃なんで)
どうにも記憶が定かではない・・・
(ステップバンについては以前書いたこちらの記事を参照→ ホンダ ライフ ステップバン )
たぶん2000年前後の頃なんですけど、知人に頼まれてステップバンに部品を詰め込んで早朝出発。
会場では知人に部品の売値を聞きながら店番をした覚えがあります。
ただそれが有明だったと言うのがはっきりしないんですよね。
まあ間違いなく有明でのことなんですけど。
この写真はどうやら有明での撮影らしき1枚
グロリアのクラブのクラブスタンドの様子。
そして、気が付くと会場はお台場に移っていました。
自分はやはりお台場が一番長いこともあり、ニューイヤーミーティングと言えばお台場と言う思いが強いです。
お台場での開催は2003年からみたいですね。
最初の頃は当時所属していたクラブのスタンドに入り浸り、クラブの人たちと談笑したりと言うことが多かったのですが、既にこの時期自分のグロリアは不動状態になっていて、この頃から徐々にクラブとは疎遠になっていきました。
そして最終的には退会してしまったんですけど、それはもう少し後の話になります。
しばらくは幽霊部員として在籍だけしているような状態が続きました。
そしてその頃にはクラブとは別のクルマ仲間と遊ぶことがほとんどになってました。
2013年頃の撮影
友人の車を帰りに並べて撮影
こちらはクルマだけじゃなく、くだらない遊びも盛んで、クルマとは関係の無いバーべキューをやったり普段でも遊んだりといったごく普通の友達付き合いの出来る仲間だったんですね。
なので今でもイベント参加や忘年会とは別に、ごく普通に集まって食べたり飲んだり下ネタで盛り上がったりw
といった付き合いをしています。
元々はクルマが縁でしたが、それだけじゃないのが今の仲間です。
ニューイヤーミーティングでは、結構普段は会いたくても会えない人もこの時だけは会場に来たりするので、こういった知り合いとも新年会気分で会えるところが良かったんですよね。
また、それとは別にもう一つ大きな目的がありました。
最初の頃の主な目的は部品探しでした。
まだ駆け出しの頃はとにかく部品が欲しくて、会場に入ればまず最初にスワップミート会場を目指し、プリンス系の部品が無いか目を皿のようにして必死に探し回ってました。
まあ、プリンスの部品なんて滅多なことでは見つからなかったですが、それでも毎回それがニューイヤー最大の目的になってる時期が確かにありました。
しかし、その内あることに気付きます。
たまにスワップミート会場で部品を見つけても、ほとんどの場合それを持って来ていたのは知り合いだったという事実。
結局は無理して探さなくても知り合いに頼んでおけば良いと言うことに気がついてからは、あまり積極的に部品を探さなくなりました。
下ばかり見ているんで、部品を出品している人の顔もロクに見ないで物色をして、やっと見つけた部品の値段を聞こうと思って顔を上げたら知り合いだった、と言うことが実際に何度かあったんですよねw
そんなことに気が付いてからは部品探しはあまり真剣にやらなくなり、どちらかと言えば資料的なもの(当時のカタログとかパーツリストのような物)を探すようになっていきましたね。
当時の資料は実際に見る機会も少なく、イベントでもそれほどで会う機会は多くなかったですが、社内報やセールス用の資料、はたまた技術資料などはこういった場所で探すと稀にですが出会うこともあり、何度か購入した事がありました。
そういった資料も最近はあまり出てこなくなり、今はネットオークションのほうが色々出てますね。
それでも実際に手にとって吟味できるのがこういったイベントの醍醐味なんですよ。
珍しい物を見つけた瞬間はお宝を発見したような気分です。
また、思っていたよりもリーズナブルに入手できたらもう最高です!
最後に
しかし、こういったやり取りもしばらくはお預けですかね。
残るは旧車天国、と思っていましたが、これも春の開催は中止となったので今後どうなるのか不透明ですし、地方の旧車イベントには関東在住だと中々行くこともできませんので、都内近郊でのイベントがなくなってしまうと自分の楽しみがなくなってしまいます。
自分はニューイヤーミーティングで旧車趣味の楽しさに嵌ったと言えるので、この趣味をここまで続けられたきっかけになったものがなくなってしまうのはやはり寂しいものです。
ただ、これで本当におしまい、
と言うことではないと思っていますし、今後どういった形にしろまたこのようなイベントを是非再開していただきたいと思いますし、続けていってもらいたいと勝手ながら願っています。
個人ではこのようなイベントを開催するのは難しいですが、参加するのは個人でも可能です。
もしまた今後どこかでこのようなイベントが始まったら、今までのように是非参加して盛り上げていけたらよいと思いますし、参加者が末永く且つ 安価に 楽しめるようなイベントを主催者様には頑張って開催していただけたらと思います。
最後は個人的なお願いのようになってしまいましたが、気軽に参加できて楽しめるイベントは絶対必要だと思っているので、こういったイベントが途絶えてしまうのは残念で仕方が無いんです。
なので勝手なお願いではありますが、これからも旧車趣味の人が集まれる場所を是非ともまた作って下さい。
もちろんただお願いするだけではなく、参加するこちら側も出来ることをやらなくてはいけないと思います。
今後新しくイベントが開催されることがあれば皆さんで盛り上げていきましょう!
・・・最後は言いたいことを好き勝手書いてしました。
でも、いずれまた近いうちに新しいイベントが始まると自分は信じています。
そして、そのときはまた思いっきり楽しませてもらうつもりです。
今回は以上です。
ではまた
ご無沙汰しております。
コメント公開しても大丈夫でしたでしょうか?
今年はどうにかクルマのイベントもボチボチではありますが開催されるようですね。
まあ、自分の行けないところでは幾つか開催されていたようですが、関東在住では関西方面などはちょっと難しいですからね。
今月に蘇我でイベントですか。
後で調べてみようと思いますが、内容次第では行ってみたいですね。
都合がつくかはまだわかりませんが、もし行けそうな時はご迷惑でなければ一度メールにてご連絡をさせていただきたいと思います。
2022年はカーイベントも、
少しづつですが復活する様です。
東京で5月には、
HOT ROD SHOWがあるみたいです。
3月26日(土)にハーバーシティ蘇我で
MOONEYES が提案するSwap Meetが、
開催されるので私は仲の良い友人2人で、
遊びに行く予定です。
開催日が日曜日ではなく土曜日なのと、
トモさんの現在の住居も知らないのですが、
もし行かれるのであれば、
トモさんが良ければ会場内で、
お会い出来ればと思っています。
アドレスを教えたくないなどもあるとは思いますが。
P.S.私もこのSwap Meetは初めてなのですが、
以下→ 3月26日 ハーバーシティ蘇我 MOONEYESで検索して下さい。
大変ご無沙汰しておりました。
ようやく第3弾お送りくださいましたね(笑)
観音クラウンは正にフィフティーズの匂いが強いですね。というよりまさにフィフティーズそのものの時代のクルマですが。
確かに観音クラウンでカスタムしているという人は当時見かけた記憶がありません。
ムーンアイズなどでは40系クラウンのイメージが強くて観音のイメージはあまりないです。
1950年代の国産旧車はやはり同時期のアメ車の影響がかなり大きいですよね。
アメ車そのものはかえって国産旧車を維持するよりは部品面などでは相当恵まれていると思いますが、サイズ感など日常の使い勝手という部分ではかなり難儀しそうなのは分かります。
改めて見ても当時のアメ車は今のアメ車より相当でかいフルサイズばかりですものね。
しかし、ファットフェンダーさんの検討した国産車は今では希少車ばかりで、現在ならアメ車のほうがリーズナブルなのではないでしょうかね?
個人的には今でもオリジナル派なんですが、維持するために必要であれば最低限のモデファイなら理解できるんです。
でもエンジンスワップなどの大掛かりなカスタム(カスタムの範疇に入るかどうか)まで行ってしまうと、それはもう別のクルマなんじゃないかと思ってしまうんですね。
まあ持ち主が気に入っているならば部外者がどうこう言うことではないので、カスタム自体を否定するものではないのですが、自分が所有するならば出来るだけ当時のオリジナルを維持している車が良いなというのは今でも変わりません。
まあ、どんどん難しくなってきていますけれど。
車が欲しくて色々考えてる時って、既に自分の中では買う前提でいるのでどうすれば買うことが出来るのかという無謀な計算をしてしまいがちですね(笑)
自分もグロリアを購入する前段階ではずいぶんと同じような計算をしていました。
最後に、
WW?Uドイツ物お好きなんですね。
一時期軍装品にまで手を広げてしまいだいぶ痛い出費をしてしまいました。
MG42は自分も大好きですが、電動ガンにはどうにか手を出さずに済みました。
しかし、MP40は今でも複数手元に残っているという・・・
今回もコメントありがとうございました。
また機会がありましたら宜しくお願いいたします。
トモさんお久しぶりです。
今回は、なぜ免許を取得して最初に買った車がクラウン(おっと観音クラウン)だったのかと言うお話です。
まだトモさんのページは全部読んでいないのですが(すみません)トモさんとたぶんちょっとだけ違うのが、私の場合はオリジナル派ではないと言うのが、少しだけ違うところですかね。私は、旧車好きにたくさんいる、フィティーズ好きです。そもそも観音クラウンに決めたのは、アメ車好きの人の、トモさんよりたぶん少し上の世代にありがちのアメリカングラフィーティーにものすご〜く影響うけました。(実際私もアメリカングラフーティーを映画館で観たのは、何回目かの、名画座ですので第一次ブームの人よりは少しだけ若いのですが・・・それでも、もうオッサンですが)アメリカングラフーティー好きな人が、みんなが感染する熱狂的32Ford 5ウィンド(デュースクーペ)好きと言う病気に感染して、ちょうどその頃、雑誌Calが発売されて、当時始めてデュースファクトリーの広告が載っていました。映画そのままのデュースクーペ(劇場車?と言うのかな)がたしか、800万円で製作可能と広告がのり、コレだと思い広告を見たその時から、確か最長68回ローンOKだった様な(忘れましたが)電卓片手に初任給の内、あ〜でもないこ〜でもないと、無謀にも1ヶ月の小遣い20000円、ガソリン代20000円まで減らすと、なんとか購入出来るなんてバカな事を本気で考えていたりしました・・・(笑)
この冗談の様な事を実行しなかったのは、(まぁ〜実際にはムリだったのでしょうが)家の前の道が狭くアメ車がギリギリでその道から90度曲がって家に入る事が出来ずに、アメ車購入を諦めて次に大好きな1955年型シェビーに似ている日本車を購入しようと思い、そう、ここでテールフィンのある日本車で何にしようか考えだしたのです。もともと日本車の旧車も好きだったので(高校時代はよく落書きでデボネアを描いていました)購入を考えた車は、デボネア、観音クラウン、ハチマキグロリア、縦目グロリア、コンパーノスパイダー、ボルボアマゾン、プリンススカイラインスポーツ、ハネベン、S54スカイライン、VWタイプIII、その他、まぁ〜それは・それは、いろいろ候補を考えました。そして次に好きな1955年型シェビーとマーキュリーで、マーキュリーは日本車で似ている車はないので、1955年型シェビーに一番似ていて、当時まだ誰もベースにカスタムを考えいなかった(たぶん)観音クラウンに決めました。(MOON観音クラウンはまだもっともっと後にデビューです)そしてクラウンおっと観音クラウンに(←ひつこい・・・笑)決めました。今回も長文になりましたが、楽しんでいただけると嬉しいです。追伸:コロナもすこし収束して来た様でカーイベントが少しづつ再開されだしたようで、どこかのカーイベントでトモさんさえ良ければ、お会いして話してみたいですね。追伸2:詳しくはないのですが、私もWWII好きです。なんせ、車のローンがあるのに、MG32のガスガンをローンで買ったりキツかったですね〜。一番好きなものは、MG42で次が、FG42 降下猟兵 タイプ1でその次にMG32ですが、当時MG32しかモデル化されていないので・・・。
第二弾ありがとうございます(笑)
コメントの返信が遅くなってしまいすいません。
観音クラウンは購入初日からずいぶん苦労されましたね。
事故の後はクラッチもダメにしてしまったとは・・・
でも当時はまだ部品があったというのは不幸中の幸いでしたね。
今なら恐らくディーラーでは整備を断られてしまうでしょう。
友人のヨタハチ乗りは、自分で全ての交換部品を用意して整備を依頼してどうにか対応して貰っているそうです。
ディーラーでさえも現在では自車の部品入手はおろか、整備さえ出来ないのは悲しいことです。
この後、観音とファットフェンダー様の付き合いはどうなるのでしょう。
続きはまたお時間のある時にでも宜しくお願い致しますね。
クラウンを購入する時に、他にもデザインや価格やその他いろいろ考えて(なぜ観音クラウンなのか←コレについては、迷惑でなければ、また次回にでも)観音クラウンに最終的に決めましたが、人が乗っていなくて、デザインに惚れ込んで決めたので、エンジンや足回りなど気にもせず購入したので、パート1でも少し書きましたが、一速がノンシンクロな事や(車屋さんに、教わるまで、ノンシンクロ自体?でした)初めてのコラムシフトの車を、(っと言うより初めてのマイカー)よくもまぁ〜、神奈川県の車屋さんから千葉県の松戸まで乗って帰って来るなんて、本当に嬉しくて、浮かれていたんでしょうね。バンに追突した後、やっぱり動揺していたのか、サイドブレーキを戻すのを忘れて(思えばステッキタイプのサイドブレーキも初めて)しばらく走ったぐらいの時、さすがの初心者(若葉マークも持って行ったのでしっかり付けて)でも、なんか出だしが重い様な感じで、(ここでサイドブレーキに気がつかない所がさすが初・心・者)発進時にアクセスをふかし気味でなおかつ半クラも長く使用して運転していたら、回転数だけが上がってスピードが上がらない、やっとここでサイドブレーキに気がついて、サイドブレーキを外したけれど、時すでに遅くクラッチが滑り出し(まぁクラッチはもともと弱っていたのかも知れませんが)これでは、ヤバイと思ってJAFに電話して助けてもらう事に、ここでもまた初めての体験です。今の様にインターネットもない時代、ラッキーにも帰りの道を調べる為に持参した地図にJAFの電話番号がのっていたので、JAFに助けてもらう事に、もう手持ちもあまりなく(前途のバンの人に渡してしまったので)確かカードでJAFに入会して一番近くのTOYOTAまで牽引してもらう事になったのですが、最初何kmかは無料だったと思いますが、サービスの距離の後、100m単位だったか定かではないのですが提示された値段に驚き、どうしようかと思っていると、JAFの人から「じゃあ、先を走るので行ける所までついて来て下さい。いよいよダメになったらパッシングして下さいそこから牽引しましょう」っと言う事になり、夜の空いてる6号線をJAFのトラックのヨンテカの後について走り出し、最後のクラッチの仕事が始まりました。道路と言うのは、轍や、坂や、何しろ信号があり、夜の空いてる6号線なのに、やっとだましてスピードがのったと思うと赤信号で、またゼロから重いボディーを発車させるの繰り返しを何度か繰り返し、最後は赤信号で止まってゼロスピードからの発進で、目の前には6号線の緩い上り坂、がんばったけれども、この何度目かの坂道を登る事は出来ませんでした。牽引されTOYOTAのディーラーのシャターの前に(夜遅くだったのでもうTOYOTAの営業時間はとっくに過ぎている為、鍵はTOYOTAのディーラーのポストに入れ車の中にメモを残して電車で帰宅する事になりました。振り向くとそこには、ポツンと観音クラウンだけが寂しそうにたたずんでいました。(今の様にチョット歩けばそこら中に24時間のコンビニがある時代とは違い、細いボールペンでかいた小さなメモ用紙を車の中において)きっとTOYOTAの人も驚いたでしょう、何しろ出社して来たら、もう普段なら、とっくに見かけなくなった旧車のクラウンがシャッター前の外にデ〜ンと止めてあるのですから・・・。車で帰って来ると思っていた両親は、車はどうしたのかって事になり、たぶん説明したのだろうけど昔の事なので忘れてしまいました。次の日、朝早く電話して電車とタクシーでTOYOTAまで行って修理をお願いしました。そんなこんなで、追突はするは、JAFに初めてお世話になったり、クラッチが滑っていきなり修理工場デビューなど、いろいろありましたが、全てが初めてずくしの、マイカーデビューになりました。
エピソードありがとうございます。
購入して早速オカマを掘ったんですか!
隣に乗っていた彼女さんもびっくりですね〜
自分の車は大したことが無かったというのは不幸中の幸いでしたが、バイアスタイヤも含めて旧車のブレーキは慣れないと怖いですよね。
同じような話ですが、知人が若い頃に高速で前車の事故を避けようとして急ブレーキをかけた際にスピンして一回転したそうです。
こちらもバイアスタイヤを履いたS41グロリアだったんですが、事故の巻き添えは免れたものの、その後彼女とは別れたと言っておりました。
それにしても昔の車は頑丈ですよね。
大体事故すると相手のほうがダメージが大きいですからね。
次もお待ちしています。
クラウンでのびっくり思い出パート1です。
初めて買った車がクラウンだと言う事は、
前回書かせてもらいましたが、今回はクラウンでのびっくり思い出を送らせてもらいます。クラウンを車屋さんから購入して、当時付き合っていた彼女とデートドライブをかねて、自宅まで乗って帰る途中、バイアスタイヤ?で俗に言うカミソリタイヤなので、舗装された道路なのにこんなにも、わだちがある事を初めてのマイカーで知らされました。それでも気をつけながらの帰宅途中、運転にもだいぶ慣れてきた時、何しろ一速はノンシンクロの車に乗るのも初めてなら、ノンシンクロ自体知らず、初めて車屋さんにその時教わる始末の中、憧れのベンチシートで彼女をピッタリ横につけて肩に腕を回して、いい気になってドライブしてたら、ちょっと彼女に気がいってたら、ブレーキが遅れ(なんたって1tオーバーの車重で四輪ドラムのため)前の営業車のバンに止まれず追突してしまいました。前の営業車が左に寄って止まったので、その後ろについて止まって直ぐにあやまり頭を下げて、まず自分のクラウンを心配して見てたら、コッチが先だろって怒られてしまう始末。クラウンは何とナンバーが一部切れるだけ、さすが旧車鉄の塊、相手のバンはリヤバンパーがクラウンのオーバーライダーの形におもいっきりヘコミ、車体下に吊るされてるスペアタイヤが脱落した状態に、バンの運転者さんは、ノーブレーキだろって言われ相当衝撃があった様です。それでもバンの運転者さんは非常に優しくて、今いくら持ってるの?(いくらって言ったか、もう覚えていませんが)会社の車だから、まぁそれなら5000円でいいやって事に(小遣いにしたんだろうけど)その後その人と別れて走り出して、また彼女の肩に腕を回そうとしたらこっぴどく叱られて、肩に腕を回すのは、ダメと拒否される始末・・・。まだ家に着くまでにもう一つ事件が起こるのですがそれはまた次回に。
初めまして!
汐留の写真のクラウンが初めて買った車そのものなのですか!
中途半端にしか撮影していなくてすいません。
まさか自分の撮影した写真に写っている車の持ち主だった方からコメントを頂けるとは嬉しい限りです。
確かにニューイヤーに参加する車はオリジナル志向のほうが多かったように思いますね。
クラウンならばムーンアイズ等のイベントのほうがドレスアップしている率が高かったと記憶しています。(むしろそちらの方がメインですかね)
私自身もグロリアを購入した当時は頭金なしのフルローンだったので、車の整備に回すお金の工面には苦労しました。
あまり車に興味のない人にグロリアに乗っていると言ってもセドリックと混同されて、久しぶりに会うとほぼ必ずセドリック今でも持ってるの?と聞かれてました。
なので観音クラウンと必ず言うという気持ち、とてもよく分かります(笑)
あの頃は旧車趣味にのめり込み始めたばかりで本当に楽しい時期で、見るもの聞くことすべてが新鮮でした。
当時は旧車が高くなり始めの頃だったと思いますが、今に比べればまだ可愛いものだったと今では思えます。
とてもじゃないですが、現在の旧車価格はおいそれと手の出ないものになってしまいましたね。
コメントありがとうございました。
当時の思い出に少しはお役に立てたでしょうか?
宜しければまたおいでください。