深キョンの杉本宏之氏

女優の深田恭子(36)と不動産事業を手がけるシーラホールディングスの会長(41)杉本宏之氏の真剣交際をスポニチが報じていますね。

杉本氏は極貧生活から成り上がった苦労人として知られています。
激動の半生は、14年に上梓(じょうし)した著書「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」に記されています!



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2019年03月22日

イチロー「妻が握ったおにぎり、その数2800」

——イチローさんを支えてきた弓子夫人への思いは?

「いやぁ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、およそ……僕はゲームの前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるのですけど、その数がですねぇ、2800個くらいだったんですよ。だから3000いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、まぁとにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思ってます。

 それと一弓(いっきゅう)ですね。一弓というのはご存じない方もいるかもしれないですけど、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7か月。今年で18歳になろうかという芝犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですが、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それはオレ頑張らなきゃなって。これはジョークとかではなくて、本当に思いました。あの懸命に生きる姿。(一弓は)2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深いですね。一弓の姿というのは。本当に妻と一弓には感謝の思いしかないですね」



2019年01月11日

成田空港着 乗客が拳銃所持

成田空港に3日午後に到着した米アトランタ発のデルタ航空機内で、米国籍の30歳前後の女性客が拳銃と実弾数発を所持していたことが11日、空港関係者への取材で分かった。機内で申告、入国せず帰国便に乗った。

共同通信が報道しています。
アメリカの厳しいチェック体制をどのようにして、すり抜けて、こうなったのでしょう?
内部の支援(セキュリテイ関係者)などがないと、なかなか、そうはうまくいかないはずなのですが。。。

2019年01月08日

中沢佑二選手の引退発表に関して涙ぽろり

私の大好きなプレイヤーだった横浜Mの元日本代表DF中沢佑二(40)が現役を引退する意思を固めたことが7日、分かりました。

関係者のお話によると、クラブは契約延長オファーを提示されたようですが、慢性的な膝の痛みで満足なプレーができないことでご本人が決断されたようです。

練習参加生から1999年にV川崎(現・東京V)入りし、2002年、横浜Mに加入し03、04年のリーグ連覇に貢献するなどクラブの顔として活躍されました。
日本代表でも06、10年にW杯2大会連続出場した、私にとっては、素晴らしい守備人でした!
「ボンバー」の愛称で親しまれた守備の要がプロ生活20年、不惑の節目にピッチを去ります

本当にお疲れ様でした!





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2018年09月18日

山本KIDさん死去 早過ぎる41歳

こんにちは、

先日、がん闘病を公表していた元レスリング選手の山本KID徳郁さん(41)が、18日に亡くなられたことが報道されています。

KIDさんは先月26日、ご自分のインスタグラムを通じて、
「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています」と公表されていました。

がんの詳細については明かしておられませんでしたが、
「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」と書いておられたのですが、本当に残念ながら、その願いは届きませんでした。

闘病されていることを明らかにされてから、あまりにも早過ぎると感じるのは私だけでしょうか。
最近、若くして亡くなられる方が多いことに、本当に心を痛めています。

2018年09月16日

樹木希林さんが死去 75歳

数々の映画、ドラマ、CMで活躍されたきた女優樹木希林(きき・きりん)さん(本名・内田啓子=うちだ・けいこ)が15日にご自宅で亡くなられたという報道がされており、本当に寂しく思っています。

75歳で、最期は家族に看取られながら息を引き取られたそうです。

最初のがんから14年という年月の間に、人生観、死生観も変わられて、
「私の場合、体に広がる全身がん。でもがんに感謝。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかった」

報道によると、最初のがんの術後が良くなく、苦しみ、独学でがんを猛勉強されました。
希林さんが選択されたのが「体への負担が少ない」とされる放射線をピンポイントで照射する方法だったそうです。
「がんが見つかってもおっかなびっくりしない。出ればつぶせばいい。がんには必ず要因がある。生活習慣も見つめ直す。簡単に治らないからこそ、自分に客観的になれ、生き方がつましくなった」と語っておられました。

どんなに気をつけていても、がんになる時にはなるものですし、そこから闘いが始まります。
でも、可能な限り、彼女が語っておられる通り、今から、自分の生活習慣をきちんと見つめ直しておきたいですね。

とても、寂しい気持ちで、新しい一週間を、始めることになりそうですが、命ある限り、全力で頑張りたいですね。

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