しかし、その半年後に、ドナルドが銃撃される事件が起こりました。ドナルドは体に3発の散弾による傷を負い、2発はドナルドの頭に当たりました。しかし、ドナルドは生き延びました。
一度は人間から遠ざかったドナルドは、やがて人間への信頼を取り戻し、とくにモーラ・ミッチェルという女性と親しくなります。また、作家でありイルカの保護団体 「インターナショナル・ドルフィン・ウォッチ」 を立ち上げたホーラス・ドブス博士は、モーラと共にドナルドと交流し続け、「イルカを追って–野生イルカとの交流記」という大変興味深い本を書きました。この本の中で、ドブス博士は、ドナルドが、海中からいきなり浮上して、当時13歳だった息子のアシュレイを背中にのせてセント・メリー港を一周したと書いています。まるで神話のようなこの出来事は1974年10月6日に起き、ドブス博士に深い感銘を与えました。
しかし、その5カ月ほど後の1975年3月にドナルドはセント・メリー港から姿を消しました。湾内の爆破工事がその原因だったと言われています。
ドナルドが移動した海域の地図 次にドブス博士がドナルドに出会ったのは同年8月、ウェールズ南西端のマーティンズ・ヘヴンでした。やがてドナルドは、ウェールズを離れ、さらに南下して、1977年の春にはコーンワル半島のファルマス港で、人々と交流し、船から落ちた人の命を救ったと伝えられました。そして、その1年後にコーンウォールからも姿を消したそうです。
ドブス博士は、ドナルドという1頭の野生のイルカを追って親しく交流することで、多くのことを学び、人生が変わったと述べています。以下に、博士が、本の中で述べていることを一部紹介します。
「わたしにとって、ドナルドは自由の象徴のようなものだ。ドナルドと知り合ったことがきっかけで、わたしは自分の人生を考えなおし、自分にとって何が大切なのかを問いなおした。自分にとって自由が何よりも大切だと悟らせてくれたのはドナルドだった。……聖書に出てくるソロモン王と野のユリのたとえのように、ドナルドは播きもせず刈りもせずに、自由に人と交わり、自由に海原に生きている。このドナルドの自由は神聖で、絶対に冒してはならないものだ」
「ドナルドを水族館に入れることは、その体だけでなく心も閉じ込めることだ。自由に泳ぎ回っている陽気なイルカをコンクリートの独房に監禁することなど、わたしには考えられないことだ。……イルカをとらえ、道化役者として使うことは、イルカの自発的な人間に対する友情を冒涜するものだと、わたしは考えている」
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image