昔(私が子供の頃)と将来の比較を自分なりに考察?してみました……。
私が育った 昭和の時代 は 「アナログ」なメカトロニクスの時代 、
私が働き盛りだった 平成初期 は 「デジタル」なエレクトロニクスの時代 、
であった印象が有ります。
身近な「 自動車 」で比較すると……
昭和時代の自動車は構造が直観的に把握しやすく、「ちょっとメカに強い人(男性が殆ど)」なら
自分で修理したりもでき、車検の意味合いも理解できたものでした。
しかし、平成初期以後のエレクトロニクスの時代になると構造を直観的に把握しづらくなり、
電子工学やソフトウェア工学を学んだ人でもないと自力修理は不可能。
自動車の修理をちょっとかじった程度の人間ができることは、
せいぜい、壊れた部品がある箇所をモジュールごと交換する程度になってしまいました。
そして、GoogleのAI(人工知能)搭載自動運転車が非常に注目を集める、今。
近い将来、AI搭載自動運転車が普及する様な時代は、
「個人で自動車を修理する」のはまず不可能になるのではないでしょうか?
AI搭載自動運転車は車体機能の全てをAIが把握しなければならないため、
ごく些細な部分でも素人が修理を試みるとその部分がAIにとってイレギュラーになってしまい、
却って厄介な事態を引き起こしてしまう可能性が高い と思われます。
こうして見ると、時代が下りさらに未来になるにつれ、
「科学技術の産物によって著しく便利になる反面、
単なる消費者が自由にできる事柄は却って減っていく」
という傾向が見えてくるような気がします。
私が1970年代に読んだ 『金属格子の中の文明—自由電子のもつ自由』 という本に
以下の様な意味合いの警句が出てくるのですが、
それは今の時代においてより大きく心に響く様な気がします。
「この様な未来になる選択をしたのは、
わたし? あなた? それともほかのだれか?」
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