SACHI です
私は、とあることに気付きました
数年ぶりに出来た好きな人
その人のために始めた内観
いつのまにか自分の為になってます
自分の為であり
好きな人の為
三位一体だからこそ
日々、自分を内観して整えたい
自分を整えていくと見えてくるモノがある
頭で考え過ぎてること
心で決める必要があること
頭=思考=怖れ ではなく
感情=直感=心 で
決められるようになる
心では分かっている
反応するからね
心で感じているから
そして頭で考えてる時は
損得勘定 で考えていること
条件付き で考えてること
なので相手が何かあった時
「直ぐに別れたい」となる
心で選ぶと
「どんなことがあっても、ずっと一緒に居たい」と想える
この当たり前の感覚に気付かずに生きてきた私
そして、それは
いつの間にか染みついたジャッジ
ジャッジ=判断は
善い、悪いというモノ
誰にも分からないハズの
善い、悪いを
脳が勝手に判断して
削除してたりする
それは偏り過ぎてる証拠にもなる
その状態でいるとき
心も鈍る
頭でっかちとなり
自分だけではなく
相手さえジャッジしてしまう
それが無意識レベルで
相手へ伝わってしまう
だから上手くいかなくなる
本気で好きになれたら・・・
出逢えただけでも奇跡であり
とてつもなく愛おしいモノ
本気で好きなら
ジャッジたくないモノ
それでも人間だから
過去のデータを元に
「このタイプなら○○かな?」
という自動察知機能が働く
自分自身のこともジャッジしてる
世間のことも
社会のことも
ジャッジした目で見てる
だから上手くいかなくなる
物事を見る時
感情を抜きに
ジャッジも無しに
どれだけ事実だけを見れるだろうか?
目の前にいる好きな人を
ジャッジしないで見れたら
どれだけ仲良くなれるだろうか?
仲が悪くなるのは
ジャッジしてる証拠かもしれない
私も経験したからこそ分かる
ジャッチ=否定され続けると
物事を否定の目でしか見れなくなる
だから誹謗中傷の嵐、戦争は終わらない
恋人も、世の中の出来事も
人間関係も仕事も、お金も
善い、悪いなしで
心で見れたら?どうだろう?
きっと相手もジャッジせず
あなたのことも見てくれるかも
自分自身へジャッジをしてるから
相手、好きな人にもジャッチしてしまう
この世界の全てさえもジャッチしてしまう
全ては、三位一体だからこそ
自分をジャッチするのを辞めて
好きな人をジャッチするのも辞める
そして、この世界へのジャッチを辞めた時
何が見えるのだろう?
綺麗な愛だらけの景色かもしれない
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