takaです!
今日で精神コントロール編は最後になります。
皆さん小難しい話に付き合っていただきありがとうございましたw
でもね。実際にトレーニングやダイエットに必要不可欠なんですよ。
さて、今日は予告通りに一人称(自己中心的思考)とネガティブ・ポジティブ思考について書いていきます。
まずは所謂「自己中」ってやつ。
いや、語弊があるので言っておきますが全員が自己中です。でも協調性も調和もないただのわがままとは少し違う。
まず、人間は誰しもが一個体であり、他の個体とは思考や成長を共有できないという点においては自己中心的な「存在」であることに変わりはありません。
なので思考のパターンやそれによってもたらされる状況の変化、自己の変化については大いに自己中心的であるべきで、自己中心的であるからこそ他個体に興味を持ったり成長の糧にすることができるわけです。
では、言葉としての「自己中」とは?
これも定義は難しいですが一般的には「完結性一人称表現」とでも言っておきましょうかね。
つまり、同空間を共有しておきながら他個体を認めず、己の表現方法しか用いないこと。
というのがtaka的な見解です。
どゆこと???
例えば。
電車の中で携帯電話で大声で話すのもそういうことです。
他人と空間を共有している状態で自己欲求の抑制が効かない。
これは立派な病気といってもいいでしょう。
一人称でしかものを考えられない。つまりは「他者に存在を認めてもらいたい」か「他者自体を認識できていないか」のどちらかです。
例えばその人に注意したとしましょう。
出てくる言葉は2パターンが主です。
「怒る」か「謝る」
謝る場合は他者を認識しつつ空間を共有すべき空間に対して不誠実であるという認識はできています。
ただし、自己欲求の抑制が効かず自分自身の行動を正当化してるために他者が不快な思いをする。
怒る場合は他者よりも自分自身が考える行動が優っている、もしくは誰よりも優れており優遇されるべき個体だと考えているか。
よく照れ隠しで怒る人もいますけどそれは前者と後者双方あわせもった人間でいいでしょう。
悪く言えば一番ダメな奴です。
では。
それを周りで感じるべき他個体達はどう考えるのでしょうか?
これこそがポジティブとネガティブの境だとtakaは考えています。
例えば
電車の中大きな声で「産まれたのか!?○○は無事か?そうかよかった!今向かってるからな。」と聞こえてきたらどうでしょう。
大抵の人は心の中でおぉぉ!おめでとう!!と叫ぶでしょう。(というか叫んでほしい。)
そこに一人のおっさんが「うっさいんじゃぼけ!お前のガキがどうなろうが知るか!」と怒鳴ったとします。
その瞬間心が温かくなった人は一気に興ざめしおっさんの敵に回ります。
おっさんに同調する人は一気に「お前みたいなやつの子どもなんかろくなもんでもない」と踏ん反りがえるでしょう。
ここで考えてほしいのです。
皆さんはどちらの意見が正しいと思いますか?
そう問われたら答えられますか?
そしてこの二択には多くの思考的要素が含まれていることに気付くはずです。
「産まれる」「新しい命」「正しい選択」「共有空間」その他諸々。
前向きにとらえる人はこれから先の未来を見ています。
後ろ向きな思考の人は現在おこている、あるいは直近過去に起こった出来事に固執する。
takaは自分でも比較的前向きな思考の持ち主だと思うので一気に子供に会って泣くのか笑うのかその両方かわかりませんが小さな命を腕に抱いている電話の主を想像して「許してしまいます」
過去ささいな物をポジティブなもので包んで水に流してしまいました。
では。考えうるネガティブな人はどうでしょう?
何かがうまくいかずイライラしていた、人の幸せが自分と違うのでむかついた、単純に寝てたのに起こされた。
理由はあるでしょう。
全部過去に自分に起こった事を理由において他者を認識できていない。と考えます。
じゃぁ逆に考えましょうか。
他人を、未来を考えられる人はポジティブなんじゃないだろうか。
人にはいろんな欲求や考えがあります。他人を思いやる余裕がない場合もあるでしょう。
でもね。結果自分を捨ててしまっていることにも気付くべきです。
少し先の明るい未来を創造する事。それが一番の前向きな一人称表現です。
自己中心的思考とは本来こうあるべきなんですが。
人間は悪い事ばかり記憶しますから、自己中=悪と考えがちです。
皆さんも是非明るい少し先を自分なりに考えてみてはいかがでしょうか。
では、次からはポジティブな思考がダイエットにどう影響するのか!と書いていきます。
takaでした☆
タグ: 生きていく
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image