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2014年09月17日

中国の旅26

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石林の夜は静かで虫の音も遠くから聞こえるくらいだ。同行している彼は机で手紙を書いていた。自分は、まだ早いがベトナムの地図を見て、縦長くて細い国だから、旅がしやすいな。どこを見て行こうかガイドブックを見ながら寝てしまった。次の朝、石林の中を散歩してみた。まだ、観光客も来ないような時間帯の6時。空も青く、太陽もまだ上がりかけている所。石の上で寝そべってみたりして、自由気ままに2人で遊んでいたら、サニ族の子供が2人で現れた。しかも日本語で挨拶をされた。チケットを買って入ってきたの?とサニ族はチケットも要らなくて、ここが聖地との事。前は、サニ族が観光客のガイドを出来たのだが、漢民族に取られてしまったと言っていた。前は日本人の観光客を相手にガイドもしていたので、日本語を使えるサニ族は多いと言う。上海でも、たくさんのサニ族が宿の周りにいたよ。と教えたら、上海に行った方がお金になるけど、電車代が払えないと言っていた。電車代と言っても、そんなに高くないのに、サニ族にとっては高級な乗り物になってしまっているみたいだ。その子達と話していたら、あっと言う間に日も上がり、チラホラと観光客が見え始めた。女の子達は観光客が来始めたので別れを告げて帰ってしまった。ここに産まれて迫害を受けているのは事実。可哀想に思えたが、この先まだまだ同じような経済的に貧しい子供達を見ていくのかと思うと胸が詰まった。石林は充分に見たから、昆明に戻ろうと決めて、宿をチェックアウトしてバスで昆明に戻った。


2014年09月16日

中国の旅25

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昆明で横に向けば、すぐ隣の顔と言う地獄の二日間を味わった自分達は、宿をチェックアウトして、昆明駅付近まで歩いて行った。サニ族の住む村まで行くバスを見つけた。プラカードの料金となぜか違う。ぼったられているのかと思ったら、日帰りと一泊して帰るのでは値段が違うとの事だった。元々、一泊するつもりだったのだが、ほぼ全員は日帰り観光の中国人であった。バスは白いワゴン車タイプので行くので、何台も出ていく。そのおかげで待つ時間がなく、6名くらいで満員なので、どんどん先に進む事が出来た。あまりの宿の寝心地が悪かったので、ワゴン車の中で寝てしまった。トイレ休憩が何回かあったが、あっさり着いてしまった。なるほど、こんなに近ければ日帰りで充分かもなと思った。サニ族が住んでいる所は、石林と言う所で、名前の通りに、どでかい石が何千年も雨風にあたり形を変えていったのだろう。まず、石林の入口の近くに部落が見える。衣装もボロボロで貧しくみえ、家の作りも古く泥で作られたような感じさえする。
入口のチケットを買って中に入ろうとすると、漢民族の子がサニ族の衣装を着て自分達に寄ってくる。ガイドをしているらしいが、中国語も分からないのにガイドしてもらっても意味がないので断わった。サニ族の収入源も、ここでは漢民族に抑えられてしまい、さらに貧困になっていくのだな。と現実の厳しさを痛感した。中に入ると、本当に石の林になっている。人間が通れる穴があったり、大きい池が隙間に見えたりして、中国とは思えないような光景を目にする事が出来る。自分達は、不思議な光景に落ち着きを感じていたが、今夜の宿を決めてなかったので入口に戻り聞いてみた。石林の中に宿があると言うので、本当に観光地の入口を通っているのに宿なんかあるのかな?と思いきや、ボロ宿発見!部屋はツインで1人500円ほど。まっ、いいか。部屋は汚くないし、今までの中では真ん中あたりのクラスだ。と荷物を置いて、石林を見学した。食糧は買える所で買っておいて、何時に戻っても同じ所に宿があるので、ゆっくりと見る事が出来た。でも、面積では半分くらい。みんなは、有名な場所だけ見て写真を撮り帰っていく。この頃の中国人は、写真一枚が勿体無いのかポーズを必ず決めてから撮る。この光景が、かなりの観光地で見る事が出来た。日本人は適当にパシパシッ撮って行くので、ビックリされた時もあった。


2014年09月15日

中国の旅24

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成都に5日ほどいたが、今では印象も薄くなっている。同じ年の彼だが、1人で移動は嫌らしく自分について行っても良いか?と言ってきた。特に断る理由もないので助け合いながら、旅しようと次の街への昆明に電車で向かった。日本人2人で縦3列のベッドの上2つを取り、昆明まで寝ながら話している時が多かった。窓からの景色もずいぶん変わってきて、南下するほど土の削れた部分が見えてくる。今までは日本と変わらない緑豊かな土地が続いたが、荒地に変わってきている感じだ。昆明には朝到着した。すでに2人で決めていた宿に到着したが、2人部屋はなく、10人用に各1名づつしか空きがないと言われたので隣部屋になった。
どっちの部屋もオール日本人!しかも、ベッドとベッドの隙間がない。こりゃあ、気持ち悪い。シングルが5台づつ連なって置いてある。ここにいる日本人が悪いのではなく宿側が悪いのだ。日中なのに、ベッドで寝ている奴が多い。挨拶をして貴重品を持ち外へ出掛けた。昆明は暖かかった。南下してきたんだなーと感じさせてくれる暖かさ。お腹が空いたので、近くにあるデパートの地下のフードコートに言って見た。昆明はラーメンが美味しいと連れが言うので、ラーメンを食べてみたが中国のラーメンは日本みたいにパンチが効いてるのがない。野菜のスープに麺を入れるだけのあっさりとしたのが多い。昆明に来たのは南下する意味もあったが、大理石発祥の大理と言う街とリージャンと言う昔の街に行く為の大きな地点だったので昆明にきた。あと、上海で宿の前にいたサニ族の地元も昆明から近い。少数民族が多いところに入ってきたのだ。なんかワクワクする街であった。


中国の旅23

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成都の街中で寺を見たり、公園に行ったり、墓に行ったりしかする事がなくなると、必然的に次の街への移動を考えるようになり、安く食べれる店や持ち帰りの弁当屋を覚えた頃に移動するんだなー。と感じる。宿が安くて綺麗なので意外と夜は宿でゆっくりする時間が多くなった。成都は完全に旅の構成から離れていたので、地図を見出すと同じ年の彼も次の街を探すと言う。適当に桂林、昆明あたりから広州に出て、南寧からベトナムに行くのがいいかな。と考えていた。彼は中国オンリーで帰るらしい。しかし、日本からの旅行者です!みたいなスーツケースを持って移動面倒じゃない?と聞くと、やはり面倒らしい。デカイスーツケースだと小回りがきかなくて不便。彼が言うには旅はスーツケースかと思ったらしい。まー、中国だけならいいんじゃないかな?と答えておいた。


2014年09月13日

中国の旅22

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四川麻婆豆腐の発祥の店は、山椒山盛りの激辛と言うのが分かっただけでも良かったかな。同じ年の彼が、三国志が好きらしく、劉備だが何だか知らないがお墓が近くにあるので行かないか?と聞いてきた。断る意味もないので行ってみようと、その墓についた。名前は聞いた事はあるが、実際は三国志は全く分からない。入口の門はしっかりしているなー。と中に入ったら偉大な人の墓ではなかった。雑草は伸び放題で、そんなに大きくない。墓の周りを一周出来るのだが、ただそれだけ。彼はショックだったらしく汚い墓をバックに写真を撮って出た。特に観光客も見当たらないほど閑散としていた。街の中心まで行こうと歩き出したが相当疲れている。ここはタクシーに切り替えよう。タクシーに乗り込んで、10分ほどで着いたがタクシーの運ちゃんが、やたら飛ばす飛ばす。だから早く着いたのだが、400円程度。。。1人200円。そんなんで我慢して歩いていたのかと思うと泣けてきた。街の中心には毛沢東の大きい銅像があり、噴水や芝生に囲まれた敷地がある。そこを中心にして、周りにデパートがあったり高層ビルが立っている。彼がデパート入ってみない?と言うので中国のデパートは酷いよ。と伝えた上で入ってみる。やはり、店の中で立って客を待つ従業員が見当たらない。国営デパート、相変わらずサービスがない。色々と見たが彼も欲しい物がなく、早々にデパートから出た。中心地から宿までは歩いて30分ほど。
ウィンドウショッピングしながら帰ったら暗くなる前には充分時間がある。旅の良さは時間に追われない。スケジュールがほとんどない。ストレスもない。最高な気分だ!
中心から離れて行くと段々と裏路地が見えてくる。そろそろ宿に近いね。と話していたら、裏路地で小汚い食堂が見えた。太い包丁で肩に担いだ白い物を削っている。興味があったので見てみたら、あー刀削麺だ!手際よく切っている。二つ頼んでみようかと頼んだが、細いのやら、やたら太いのまであって、この人はプロじゃないな。でも味は美味しかった。


2014年09月12日

中国の旅21

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次の日、部屋から見える眺望も良かった。6階の部屋だったが、前に川が流れ、その後ろにはビル群が見える。空は青く気持ちいい朝だ!3人とも同じくらいに起きて、顔を洗い歯を磨いて、食堂へと向かった。朝食は3種類から選べて、日式(日本食)、A、Bとある。日本食かパンの洋風か中国食となる。学生は迷わず日式。じゃあ、俺もと言う流れで、全員同じ。安宿の食事だから、たいした事ないかな?と思っていたら、予想よりは立派だった。ご飯にスープに焼き魚、それと海苔。デザートにはバナナ。へー、こんなのが食べられるんだ!とビックリした。この宿が、どの町にもあったらいいなー。と感じた。部屋に戻ると学生はパッキングを始めた。この作業が旅で1番嫌いだった。その為、使わない物と判断するとあげたり捨てたりしていた。学生がパッキングを終えて、チベットに行ったら、日本に帰って決まっている就職先で頑張ります!と言うので、君は日本人の鏡だ!頑張ってサラリーマンになってくれ!と笑いながら激励をした。まだ純粋な学生だから、汚い世界の話なんかしたら、チベットで出家しそうに感じたから気持ちよく送り出した。宿の前でタクシーに乗り、見えなくなるまで手を振った。頑張れ、学生!
そのまま2人は残された感じになったが、もっと成都の奥まで見てみよう。と外出をした。自分は、せっかく四川にいるんだから、麻婆豆腐の発祥の店に行こう。と歩いて向かった。成都は大都市だが、北京みたいにゴミゴミしていなくて歩いていても不快な臭いが少ない。結構歩いたが疲れてきた。地図を見て、こんなに遠いのかな?と不安になって歩いている人に場所を聞いた。言葉は分からないが、やはり近くまでは来ているらしい。その人のジェスチャーが道が違う感じの事を言っているので並行に走っている細い道へ入った。こっちの道の方が店も多いので、最初からこっちを歩いていれば良かった。と感じた。あれ?麻婆って字が見えると同じ年の彼が言った。
あった!あそこだ!疲れていたので、すぐに店に入った。従業員がたくさんいるが、時間は11時を回ったところだったので客は少なかった。従業員はヒマそうにしていて話してる言葉が丸聞こえ。とりあえず、麻婆豆腐とご飯を2人前頼んでみる事に^ ^ご飯が最初に出てきた。どんぶりで大盛りだねー。と言っていると、麻婆豆腐がきた!
え?小さい。どんぶりのご飯と、この麻婆豆腐の器を比べたら麻婆豆腐が足りない!店に騙されてるのかな?と麻婆豆腐の匂いを嗅ぐと山椒のいい匂いがする。ちょっと麻婆豆腐を口に入れた瞬間、熱くて辛くてたまらん!ご飯と水が必要になる。彼も辛くて、ご飯がないと食べれないと言う。
この麻婆豆腐は、これだけあれば充分なのは分かった。だが、こんな辛いのを美味しいとは思わない。罰ゲームみたいなものだ。大量のご飯があるので、この麻婆豆腐をお互い完食する事が出来た。四川の人は、こんな辛いの食べて何とも思わないのか?と2人で話していたら店が混み始めてきた。ちょっと面白そうだから見てみよう。と周りの人達が麻婆豆腐を食べているのを見た。やっぱり、辛そうにしてる人が圧倒的。それが好きそうでもあったが、四川恐るべきと言いながら店を出た。


中国の旅20

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チベット仏教の勉強をしている学生と同じ年の彼と、自分の3人で宿の周りをぐるっと歩いた。学生が自分達より長くいるので、いろいろと街の事を教えてくれた。ほとんどが、この店は美味しいとかマズイとかの話しではあったが、充分な情報でもあった。その学生は成都に一週間いるが、宿の周りしか歩いてないみたく中心部などは分からないと言っていた。ほとんど、引きこもりで宿にいる時間が多かったらしい。日も暮れてきたので夜ご飯にしよう!となり、小汚い小さいレストランの前で火鍋と書いた、串を鍋に入れて食べる所があった。鍋の中に間仕切りがあって、二種類のスープが楽しめる。串は、牛肉、豚肉、鳥、野菜、海鮮とラインナップは色々置いてある。
一律同じ料金で最後に本数を数えて支払う、とてもシンプルな構造だ!とりあえず、ビールとお茶で乾杯!学生はお酒が飲めなかった。串を鍋に何本か入れて食べるのだが、赤いスープに入れた串はやたら辛い!そうだった、ここは四川省だった!でも、この辛さ悪くないな。と食べていると、店員が台湾人か?と聞いてきた。日本人ですよ。と答えると、間違えました。とレストランの中へ入っていった。台湾と中国って、ほとんど同じ言葉かと思ったが、中国は広いから訛りも相当あって分からないのかな?と、みんなで考えてしまいました。お腹いっぱい食べてビールも飲んで、1人あたり350円ほど。やすっ!物価が安いのか、この店が安いのかは分からなかったが、いい店を発見したな。と近くの小さいスーパーでビール、水、菓子を買って宿へ戻った。宿に戻ると、同じ年の彼がシャワーへと行った。自分はビールを開けて飲んでいると、学生は勉強していた窓際のテーブルを片付けて、ここで飲んで下さいとテーブルを譲ってくれた。俺たちがくる前は誰が泊まってたの?と聞くと、オーストラリア人のカップルが先にいて、うちらがチェックインする朝に出て行ったとの事。チベット仏教を勉強しているが、宗教が好きなの?と聞くと、卒業のリポートを出すのに、ちょっと変わったのを出したくて本屋に行ったら、たまたまチベット仏教に目が入ったので旅行も出来るしいいかな?と思ったくらいだと言う。学生は明日の昼にチベットに行くと言う。陸路はキツイから、空路だと言う。数年前は自分も学生だったけど、学生は金持ってるなー。って言葉を耳にするが、こういう事なのかな?と思った。自分にはチベットと言う響きには興味が全くなかった。西に行けばチベットなのだが、そっちに行こうとは思わなかった。この時、西安から南下して成都に来たのはいいが、当てのない旅になってしまったので、どこに行くか決めないと。と思ったが内心、行った町で次を決めればいいや。とスケジュールのない旅が、俺にはあってると思い、焦らずに一歩一歩どこかに向かえばいい。と決めた。日本に置いて来た彼女(美智子)の事が気になったが、住所を忘れてしまい手紙を出そうにも出せないでいた。自分の病気を伝えられないまま、日本を出てしまったが、海外で旅をしていれば治ると自分に言い聞かせ旅を続けた。


中国の旅19

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お昼近くに成都に着いた。こんなに大きい街だとは思わなかった。意外と大都市だった。ここでの宿は決めていた。名前が交通飯店(トラフィックホテル)と言い、中国の泊まった中では1番綺麗な安宿であった。300円ほどで朝食付。しかも、最高3人しか一室に入れなくて、上海の時の10人一部屋とは訳が違う。ベッドの上には専用のライトもあり、個別空調付、トイレもシャワーも綺麗。安宿で綺麗な所を見つけると嬉しくなる。
駅からは遠くて、バスもどれに乗っていいか分からずに、タクシーを考えたが気合いを入れて歩いて宿まで歩いた。着いた時にはヘトヘトになっていた。チェックインを済ませると部屋へ案内された。1人の日本人が窓際で勉強している姿があった。こんにちわ!と声を掛けると、それなりの返答はあったが勉強中だから邪魔しないで欲しいと言う感じだった。彼は窓側のベッドを使っているらしく、俺は入り口寄りを選んだ。真ん中が一つ空く形となった。綺麗な宿で、移動中はシャワーを浴びれなかったのもあり、部屋に洗濯ヒモをピン!と張って、洗濯物と洗剤、バスタオル、シャンプーを持ってシャワー室へ。シャワーを浴びながら、洗濯物を洗う。外は若干肌寒いくらいだったので温かいシャワーが気持ちいい。トイレとシャワー室が別なのも嬉しかった^ ^洗濯物をしていると、いつも脱水機だけは欲しくなる。いつもより長くシャワーを浴びて体を綺麗にして部屋に戻り、洗濯物を乾かした。あれ?バックパックが真ん中のベッドに置いてある。誰かチェックインしたんだな。と思っていると、トイレに行っていたようで戻ってきた。自分と同じ年くらいの男性で、今で言う草食系男子。なんか、やっと辿り着いてホッとしている感じな気がした。挨拶を交わして、2人でベッドに座りながら話し始めた。最初にいた彼は、まだ勉強中。真ん中の彼と話していたら、昨日の夜中に成都に着いて、駅前にいたホテルのキャッチに着いて行ったら、部屋に入って寝ていると中国語でまくしたてるように怒鳴り声とドアを叩かれて恐怖で開けれなかったと言う。それが一時間おきにくるらしく、怖くて外に出れなかったそうだ。ここにチェックインして日本人が部屋にいたから安心したらしい。ここにいてもヒマだから、その辺を歩きに行きませんか?と誘い部屋を出ようとした時に、窓際の彼が、俺も誘ってよー。と言い出した。
勉強中みたいだったから誘わなかっただけだよ。と言うと、チベット仏教の勉強をしていて、大学にリポートを書いているとの事だった。なんだ、学生なのかよ!と思い、彼は一週間ほど、この宿にいるらしい。彼が夜ご飯もついでに食べに行きましょうと言うので、3人で出掛ける事にした。


中国の旅18

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日本人からして見ると、たいした物でなくても、この人達には宝だったのかもしれない。成都が近いよと教えてくれた。列車からの車窓の風景も変わってきて、岩と岩をくぐり抜けて行く場所に変わっていた。中国では次の駅はどこどことアナウンスしない。着いても、ただ止まるだけなので、どこだか分からない。仲良くしてくれた人達が、ザワザワしだした。あれ?降りちゃうのかな?と思っていたら、あと30分したら、うち達の駅だ。成都には、そこから2時間で着くよ。大きい町で駅も大きいから心配しなくて大丈夫。と言われた。間も無く彼らの駅に着いた。何にもないど田舎だった。駅には、さらに親戚らしき人達が迎えにきていた。電車の出発まで窓の外で、みんな待っていてくれて手を握り最後の挨拶をした。
電車がゆっくりと動きだし、迎えにきた人達も自分に手を振ってくれていた。優しい人達だったなー。別れるのは寂しい、二度と会う事もないんだろうと思うと、もう少し一緒にいたかった。見えなくなるまで手を振った。旅と言うのは一期一会の所もあって寂しいが、これが旅か!と知る所でもあった。
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2014年09月11日

中国の旅17

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西安から成都に向けて古い電車が出発した。内陸に入れば入るほど走っている電車が古くなるのに気付いた。これは海岸都市を訪れる外人に見せないようにしているのか、内陸部は貧困層が多いので列車も古いのしか載せられないのか分からないが、とにかくボロい。トイレも座って下を除くと、走っている線路が見える。恐ろしく怖い。
ただ、そこに生きる人達のパワーは沿岸部よりも強かった。自分は、3段ベッドの1番上だった。西安で人間不信になっていたせいか、そこから降りようとしなかった。1番下のベッドの人が話しかけてきたが何を言っているのか分からないので、チンプンカンプンと返答した。これは中国語らしく、分からないと教えてもらった。そしたら、その中国人は鉛筆で書き出した。おそらく、気分が悪いのか?と書いているのだろうと思ったので、大丈夫とジェスチャーで見せた。どうやら、外国人に慣れていないのだろう。やたら興味を示してるので下に降りて、日本人と書いた。そしたら、日本人か!と驚いた表情で周りの人と話し出した。反日の中国で、日本人と言った自分を悔やんだ。それは逆だった。そこのコンパートメントの人達は親戚らしく、8人ほど集まってきた。どうやら、日本人に会うのが初めてみたいで珍しそうに話し掛けてきた。筆談には、戦争、政治、南京の文字が出てこない。それなりに自分は中国が好きだ!と示して書いてみた。その人達は、好意的に見たのか、駅に止まる度に色々と買っては食べさせてくれる。親日と言うよりは、日本人への憎しみの教育を受けてきた人達には、今会っている日本人が教育とは違うのにビックリしている感じであった。自分が日本から持ってきた、クレジットカードほどの薄いラジオを見せるとビックリしていた。
暇な時に聞こうと思ったが他国の言語が理解出来ないのでは自分には不要であった。日本で千円ほどのSONY製のラジオをあげると、男のポケットに入れた。その男はイヤフォンをしてラジオを聞いたら、さらにビックリ!音質が良かったのか分からないが、本当にもらっていいのか?と聞いてきた。
どうぞ!とジェスチャーで返したら、みんなに聞かせていた。そんなに珍しい物でもないのに、みんなビックリしている。こんな薄いラジオがあるのか?それとも、音質がいいのか?と分からないが評判が良かった。自分の乗った列車は各駅みたいで、色んな駅に着く。自分はどこにいるのか分からないので、成都のチケットを見せたら分かってもらえて近くになったら教えてあげるみたいな事を言われた。自分と同じ年の男に、上海の友達からもらったエロ本を出したら見せてくれ!と言うので、周りに見られたら恥ずかしいのであげた。さらに盛り上がってきて、酒を飲もうとドンチャン騒ぎが始まった。中国人と酒を交わすのは友達と言う以上の意味を持っているので、断る事も出来ない。電車の片隅で飲み会が始まった。日本の事を色々聞きたいみたいだが、言葉の壁があるので相手も自分が分からないと返すと、気にするな!飲もう!と言う感じになった。駅に着くたびに、お腹空いてないか?果物食べるか?と聞いてくる。
酒でお腹いっぱいとジェスチャーすると、じゃあ飲もう!と酒がどんどん出てくる。中国人は基本的に酒に強いので、限界を教えないと吐いてしまう。
ただ、西安から出れた喜びもあったので飲めてします。ほとんど意識がなくなったが楽しい酒になった。
夜中まで飲んでいたせいか、起きたら二日酔いになっていた。自分は二日酔いになると炭酸が欲しくなる体質なので、コーラはあるか?と聞いてみた。
そうしたら、駅で止まった際に冷たいコーラを数本買ってくれたので、お金を払おうとすると要らないと言われた。きっと、ラジオと本のお返しだったのだろう。コーラ一本を一気飲みして気分をよくする。すぐに二日酔いは取れなかったが、筆談が始まり地図を書き出した。それは中国の地図で、今はココにいるよ。と教えてくれた。
とてもありがたい情報だ。昨夜は飲みすぎて腹に食べ物を入れてないせいか、お腹が鳴った。それを見逃さない人達でもあり、カップラーメンを食べるか?と聞いてきた。二日酔いにはスープと麺は欲しくなる。カップラーメンをもらい美味しくいただいた。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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