2015年06月26日
インドの旅118
オートリキシャに乗っていたら、次はラクシュミーナーラーヤン寺院と言う所に着いた。欧米人の観光客が多く見受けられたが、なんで有名なのか分からないがオッチャンが一生懸命説明しているのだが、自分にはその良さが分からなかった。とりあえず、折角来たのだから中に入って見たが感動もなく20分程度で出てきてしまった。オッチャンは、もっと見て欲しいと言うのだが面白くないと言ってバイクに乗り込んだ。また明日も案内するから、自宅に来ないか?と言うので、宿に帰ってもやる事はないのでオッチャンの家に行ってみる事にした。ラクシュミーナーラーヤン寺院から20分ほど走った所にオッチャンの家があった。日本で言う公団みたいな所で広場にオートリキシャを駐車して家に向かおうとしたのだが、オッチャンにバイクを俺に運転させてくれないか?と言ってみたら、この広場内だったらいいよ!と運転してみた。中々乗り心地が良くて、そう簡単には運転出来ないだろうと良い経験をされてもらった。バイクに乗った後に家に入ってみたら、御爺さん・子供2人・奥さんが出迎えてくれた。御爺さんはタバコを吸っていて、どうだ?と差し出してきたので「ありがとう」と言って吸ってみた。なんだか、タバコの味と違うなー。と思っていたら、なんとチャラスだと言う。こんな所でドラッグをやったら、身ぐるみ剥がされてしまうと思ったのも遅かった。体は重たくなり、酒に酔った気分になってきた。世界がグルグル回り出して気分が悪くなってきた。ソファーに座り、座るのも辛くなってきて、しまいにはトイレで吐いてしまった。奥さんがビックリして、オッチャンを連れてきて「大丈夫か?」とかなり心配してくれた。冷たい水を持ってきてくれて、一気に飲み干したら気分が良くなってきた。酒に酔った感じで、オッチャンは変な物を吸わせて申し訳ない。と、メインバザールまで送ってくれた。宿についた時にはチドリ足で部屋に戻りベッドで横になってチャラスの成分が抜けるまで部屋で過ごした。オッチャンは本当にお金も取らず、今日の収入0じゃないか。と思ったが、帰りにポンコツカメラをあげる約束をしているので、まっいいか!と明日もオッチャンにガイドをしてもらうので、何ともありがたい人に出会ったな。と思い、その日は終わった。
2015年06月25日
インドの旅117
日本に帰るまでにデリーの街を散歩してみた。コンノートプレイスと言う所まで来たが、ここはセレブが多く集まるみたいで、結構綺麗な街だった。外資系のファストフードも多く見られて、ちょっとインドにいるとは思えない感じで白い建物が沢山ある。そこでボーっと座っていたら、1台のオートリキシャのオッチャンが目の前に止まった。オッチャンは、俺に乗らないか?と言って来たが、要らないと返答してその場を去ろうとした。厚かましく乗れと言って来たので、お金は払わないよ!と何回も言いながら乗る事にした。オッチャンは、インド門を案内すると言いバイクを走らせた。変な所に連れていこうもんなら、今の自分の精神状況が怒りに満ちているので力づくで降りて帰ってやると思い乗っていた。本当にインド門に着いた時にはビックリしたが、写真まで撮ってくれて、こいつ何か怪しいなー。と思っていた。怪しい奴と一緒にいても面白くないので、話を聞いて見る事にしたが、ここ数日は客を乗せていないので全く収入がないと話出したが、自分は1ルピーも払わないよ!と追い打ちをかけるように返した。オッチャンは観光名所を案内するから、ちょっとだけでも出してもらえないか。と言って来たので、じゃあお別れだね。と、その場を去ろうとしたが、オッチャンが慌ててバイクを持ってきて、無料でいいから何か物が欲しいと言ってきた。自分が持っているカメラが気に入ったみたいだ。旅をしていた時代は、デジカメなんてなかったから、カメラにフィルムを入れて撮る形の物しかなかったのだが、インドで捨てて帰ろうと思っていたほどだった。オッチャンには「このカメラは日本製で高いからあげられない。でも、あと3日しかデリーにいないから、毎日運転手として働いて、最後の日には空港まで送ってくれたら、このカメラをあげる。」と暴挙に出てみたら、オッチャンが「それは素晴らしい!」と言ってくれた。何て良い取引が出来たのか!と思い、オッチャンは次の観光スポットに案内をするためにバイクを走らせた。
2015年06月24日
インドの旅116
部屋には窓がないが、廊下を歩く人達が多くなってきたので足音で目覚めた。昨夜は飲み過ぎたのか軽い二日酔いになっていた。アルバイトをして100万円を10ヶ月で貯めて、後進国を見てみたいと始めた旅。色んな事が走馬灯のように思い出す。楽しい事。苦しかった事。一番辛いのは、折角仲良くなった友達との別れでもあった。もう、24才になった自分は、将来の事も考えなくてはいけない。恐らく、就職をしなければいけない焦りもあったんだろう。メインバザールで何軒か回ったのだが、怪しくないような所でチケットを購入した。普通のバックパッカーなら、一回バンコクに行ってリフレッシュしてから日本に帰るのが通常なのだが、自分はバンコク経由の成田行きチケットだったが、バンコクには滞在せずにストレートに帰る事にした。日本に帰るまで、あと3日。旅なんてどうでもよくなっていた。
2015年06月23日
インドの旅115
夜になって来たので、友人と夕食に出掛けた。が、また中華レストラン!美味しくて近いなら、ここになるよな!と言う感じだ。この中華レストランでは、なんとビールが置いてあるではないか。とメニューを見て分かったので、早速注文。暑い時のビールは格別に美味い!久々のビールに5本ほど空けてしまった。料金も安いのでガンガンに酔ってきた。何故か無性に日本に帰りたくなってきた。それは達成感とかではなく、旅を続けていても得る物は、もう無いと思ったからだ。この先のパキスタン、イランと続くがデリーまで来た自分の旅は終わりだと思った。ここまで来たのに満足でもあった。この旅は、ここで終わりだ!この先に旅を続ける意味が無くなった。そう感じた時分は、明日に飛行機のチケットを買って日本に帰る。その事を友人に告げて、その夜は友人も一緒になってビールで記憶をなくすくらい飲み明かした。
2015年06月22日
インドの旅114
デリーでの宿も決まり、その宿を紹介してくれた日本人バックパッカーの男性と食事に行く事にしたのだが、宿から出てメインバザールに出た所にある中華食堂だった。外は暑いので近くの場所で食事が出来るのは非常に嬉しかった。とりあえず、コーラと炒飯を注文してみた。日本人の彼は旅も長くて、すでに半年になる所だと言っていた。自分は、もう1年の経っているのかー。とシミジミと旅を振り返っていたが、旅なんて長さの問題ではない。誰でも、ちょっとした金と時間があれば出来る事なのだと思い、彼に自分が旅をしてきた国を説明したのだが、彼が食いついてきたのが「中国」であった。バックパッカーは中国を敬遠する人が多い。なぜだか分からないが、経験がある人でも中国はどうだったか?と聞きたがる。特に普通に旅をしてきたが、嫌な事もあったけど、今思うと行って良かったと思う方が強かった。と彼に伝えた。彼は、ベトナムからスタートしてきてインドは北だけしか行ってなく、今後はパキスタンに行くつもりだがデリーの暑さで暫くは、ここにいるだろうと話していた。ベトナムからの旅だと同じ所に泊まっていたりしていたりして話が盛り上がった。注文した炒飯は美味しくて、ムンバイからカレーを食べなくなったと言うか、カレーに飽きていたので中華料理は最終的な逃げ道でもあった。食事を終えて店を出たら、果物が売っていたのでライチとマンゴーを買って宿へと戻った。彼の部屋に行って果物を食べる事にしたのだが、エレベーターのない建物の5階に彼の部屋があった。部屋の中にはシャワーとトイレが完備されていて窓が付いているので外の景色が見えて明るい。だが、この階段を昇り降りするのはきついなー。と思っていたら、彼も「キツイ」と言っていた。なので、食事くらいしか外に出る事はないと話しており、彼は無造作にマリファナを出して吸い始めた。彼は一日中、マリファナで飛んでいるらしく、デリーに来てからメインバザールだけしか知らなくて街には繰り出していないらしい。ここに来て、2週間も経っているのに友達も作らず、1日中ボーっとしているだけだと言う。こんな暑い所でぶっ飛んでいるなら、カトマンズに行った方がいいのでは?と話してみたが、カトマンズに行く気力もなく、ここにいるらしい。半年でよくベトナムからデリーまで着いたなと言う印象だったが、彼とはウマが合いそうだと思い、買ってきたフルーツを食べ、話をして夕方まで過ごした。
2015年06月20日
インドの旅113
ジョードプルの1週間は早く過ぎてしまった。デリー行きのチケットを買ったのは2日前。毎夜、考えたのだがデリーに終わりにするのか、それとも次へ進むのか決められなかった。宿の人、サモサ売りのオジサン、子供達と仲良くなった人とお別れするのは辛かったが、ついにジョードプルを出る日になってしまった。早朝の電車に乗込んだ自分は、メヘラーンガル城が見えなくなるまで、その光景を眺めてジョードプルをあとにした。デリーに着くのは翌日の朝になる。メヘラーンガル城が見えなくなると寝台車のベッドで横になり、デリーまでの電車の旅を楽しむ事にした。もしかしたら、この電車が最後になるかもしれないと思うと、やはりまだ旅を終わらせたくはなかった。デリーに近づくにつれ電車の乗車率が高くなってきたが、この寝台車には警備員が付いていて、寝台車の券を持っていない人は入れなかったので、かなり心地よい移動となった。1日掛けての移動だったが、そんなに疲れはなく無事にデリーに到着した。電車が止まるとムワッとした外の空気。ジョードプルも暑かったが、デリーの方は湿度も高くて立っているだけで汗が出る。駅の前にメインバザールと言う所があるので、そこの安宿に泊まろうと考えていたが、メインバザールらしき所が見つからない。どこを見ても人だらけで、まるでカルカッタのようだった。どうやら人に聞いても、この駅は違うらしくてオールドデリー駅に着いていた事が分かった。リキシャに乗るのも何故か嫌だったので、付きまとってくるリキシャのオヤジ達から離れてデリー駅まで歩く事にした。大渋滞の横を歩きながらデリー駅を目指しているのだが重たいパックパックに、この暑さ!20分も歩くと、さすがに疲れて来る。更に10分ほど歩くとメインバザールに到着した。メインバザールも活気に満ちており、綺麗とは言えないが所狭しと店が並んでいる。どこか適当な宿を探そうとメインバザールの中をウロウロしていたら、日本人バックパッカーを発見!その人に声を掛けてみると彼の宿なら空いているかもしれないと言うので連れて行ってもらう事になった。裏路地を入った所に宿があったのでフロントに聞いてみたが部屋はないと言われてしまった。かなり大きい宿に見えるのだが、残念だ。諦めて再度探すしかないな。と思っていたら、従業員が使っている部屋で窓がない部屋なら提供出来るとフロントに言われて、しかも半額で良いと言ってくれた。この宿は7階くらいまであり、自分の部屋は1階で、みんなが通る通路の所だった。部屋の中は悪くなかったので、ここに泊めさせてもらう事にした。案内してくれた彼はチェックインから部屋の中までついてきてくれて、こちらから礼を言うと「一緒に食事にでも行かない?」と話し掛けてきてくれたので、メインバザールに出て食事へと向かった。この日の外は45℃にもなっており、ブッタガヤの地獄を思い出していた。
2015年06月19日
インドの旅112
ジョードプルでの楽しい日々も4日が経っていた。メヘラーンガル城の中は見たし、子供達と友達にもなり毎日会うようになっていた。ちょっとお腹が空けば、宿の近くにサモサの美味しい店もあるし、宿でも食事を出してくれて何不自由なく暮らしていた。このまま1ヶ月ほどいても飽きなさそうだし、人々も優しくて住みやすい。でも、宿には宿泊者が相変わらず自分しかいなくて、夜は寂しい。何とか夜を楽しみたいのだが、治安はいいのだが暗くなったら帰ってきて欲しいと宿から言われているので、言われた通りにしているのだが夜の楽しみがなくて、どこかで日本人のバックパッカーにでも出会ったら同じ宿に泊まろうかと思ってもいたのだが、欧米人バックパッカーすら見かける事もなかった。せっかく出会った子供達から逃げるように、この街を出る訳にも行かなかったので、少なくてもあと3日はいる事にした。次に向かう先は、すでに決めていた。最後のデリーだ!いよいよ、終焉となる一人旅にも寂しさを感じていて、インドからパキスタンに向かって、まだ旅を続けようかな。とも思ったりしていた。パキスタンに行けば、その次はイラン、そしてトルコ。このままアジアの最後を見て行こうかと考え始めていた。所持金も見て見たが、まだ日本円にして20万円ほどある。クレジットカードもあるし、旅は続けられる。楽しみが増えるのはいいが、問題は一つ。このまま就職もせずにプラプラと旅を続けていていいものなのか。。。世界を見たいと思って日本を出たのはいいが、結局はバックパッカーなんて仕事をしたくない堕落した人間がする事だとも思っていた。旅を続けるのか、それとも日本に帰って就職するのか。夜のメヘラーンガル城を見ながら自分の心の中で葛藤していた。
2015年06月18日
インドの旅111
メヘラーンガル城から宿に戻るまで30分ほど歩いただろうか。城下町は細い道路が多いのだが、メインの大通りを見つけた。市場もあり活気に満ちている。そこで、昨日サッカーをして楽しんだ子供に出会った。自分は忘れていたのだが、子供が覚えていてくれていて話掛けてきたのだった。子供から、また遊ぼう!と声を掛けられたので、メヘラーンガル城に行って疲れてはいたが遊ぶ事にした。細い路地を歩いて着いた所は、昨日見た公園だった。子供の兄弟や友達も数人いて、その兄弟の兄は英語がペラペラで遊ぶと言うより、兄と話こんでしまう形になってしまった。このジョードプルでは、日本人はそんなに多くはなくて友達になれるような人もいないみたいとの事だった。子供達はサッカーを始めており、兄はジュースでも飲まないか?と、そこにある店のジュースを勝手に持ってきて自分にくれた。一瞬泥棒かと思ったが、そこの店の子供だと教えてくれた。ここにいるインド人は、なぜか他の街のインド人と違って優しく接してくれる。兄に対しての警戒心もなく素直な気持ちで話が出来て楽しく過ごす事が出来た。
2015年06月17日
インドの旅110
メヘラーンガル城の子孫の子供達は非常に元気で色んな部屋へと案内してくれて楽しかった。そりゃあそうだ、一般人では入れないような所まで彼女達と行っても追い出される事もないので、欧米人観光客が多かったのだが、その人達の入れない所まで見れるのは、ちょっと嬉しかった。室内はヒンヤリとした所もあって外の暑さを忘れさせてくれる。窓から眼下を見ると、更に城の大きさがハッキリと分かってしまう。下ではレストランがあって、欧米人が食事をしたりしているのも見れたりして、子供達は無邪気に走り回っている。城の主は誰なのか分からないが、きっとお父さん・お母さんも住んでいるのであろう。家族が暮らしている部屋は見る事が出来なかったが、城の屋上から見る街は綺麗で、昔に戦争があった時などは、ここで闘ったんだろうな。と思うと、この街の歴史さえ知りたくなってくる。彼女達にレストランでコーラを買って飲まないか?と言いだしたのだが、拒否されて自分だけで飲む事になった。どうやら、レストランで売っている物は買ってはいけないみたいな感じだった。言ってみれば、マハラジャみたいな人達だしコーラや炭酸を飲む事はないのかなーと感じた。城には3時間ほど滞在したであろうか。かなり見て回ったので、この急斜面を降りて帰る事にしたのだが、子供達はゲートまでついてきてくれて、そこでお別れとなった。なんて純粋な子供達なのだろうと感心してメヘラーンガル城をあとにした。
2015年06月16日
インドの旅109
メヘラーンガル城まで、あと一歩の所まで来た。近くから見るとかなり大きくそびえ立っているではないか!城の下の部分は岩になっているので、岩を削って城を造ったのは一目瞭然。この城を造るのには、一体いくら掛かるのだろうか。中に入るには、チケットを買って入るしかないようで、観光バスも来ているが、かなり閑散としている。こんな猛暑の日中に来る観光客も少ないのだろうか?チケットを買って、中へと入った瞬間、この城内は外壁よりも凄くて圧倒されるほどのレリーフや装飾品が施されている。ジョードプルは旅の中でも聞いた事のない名前だったが、ここが一番凄い場所じゃないか!と思わされるほどの街だった。ちょっと小奇麗な服を着た女の子達が遊んでいるのが見受けられ、観光客の子達だと思っていた。何故か女の子達は自分に付いてきて、そんなに外人が珍しいのか?と思っていた。彼女達は、おもむろに眼下に向かっている大砲に乗ってみたりして、貴重文化財的な物まで触ったりして、どんな教育を受けているのかと思って見ていた。こっちまで警備の人に叱られて弁償なんてなったら大変な事態になる。と思っていたら、警備員の人達も彼女達がしている事に関しては何にも言わない。不思議に思った自分は徐々に彼女達と遊んでいたが、彼女達はメヘラーンガル城の末裔らしく、ここに住んでいるとの事だった。先祖から受け継いでいる城の子供達ならば、よほどの金持ちなのだろう。ただ簡単に外には出れないみたいで、この城内にしかいれないと聞いて、ちょっと可哀想にも思った。段々と仲良くなるにつれて、部外者は入れないようにロープで仕切られている所も入って良いと言われて、中に入ってみたら金や銀で作られた装飾品が見事に並んで置いてあり、一般公開されている物よりも綺麗で何億いや何十億で売れるんだろうと言う物ばかりだった。そこには警備員がいるのだが、自分は追い出されるかなーと思っていたが、そんな事はなかった。そんな場所で鬼ごっこが始まり、まるでジブリの世界で遊んでいるかのようだった。