2014年10月12日
カンボジアの旅7
悪徳警官達から逃れたあとに、日本商店を見つけた。日本の雑誌や醤油、ポカリスウェット、ほとんど何でも揃う。どこの都市でも日本商店は大なり小なりでもあるもんだが、プノンペンで良くやるなと感心した。内戦が起こりやすい場所で経営すると、店ごと取られる恐れもあるのに。それだけ在プノンペンの邦人がいて、需要があると言う事であろう。日本の商店近くに、外人専用のスーパーがあった。そこは現地カンボジア人は入れない為、セキュリティーの人が見張っている。自分達も汚い格好はしていたが、一応外国人。セキュリティーを突破するのは簡単で中に入ると、日本では普通だが品物が豊富、建物も綺麗で空調が効いていて涼しい。このスーパーを見つけてから、毎日通うようになってしまった。それは涼しいのと、飲料水が炭酸か水しかないので、ここだとパックの牛乳が手に入るので身体が自然と欲しくなったからだ。スーパーの周りはバイタクの兄ちゃんが、全員指を一本立てて待っている。1ドルで乗らないか?と言う意味であるが、プノンペンに慣れてくると1ドルは高い。リエルで安く乗れる事を知ったので、足としてかなり使った。
2014年10月11日
カンボジアの旅6
プノンペンでは、ゆっくりと観光をした中で、王宮へと足を運んでみた。その途中は裏道を通るのが近道であったが、その裏道に軍人数名と出くわしてしまった。嫌な汗が出てくる。顔を合わせないように通り過ぎるが、人通りがないので、呼び止められてしまった。軍人の1人が日本人か?と聞いてきて「ありがとう。」「おはよう。」と簡単な日本語を話してきただけだった。悪徳軍人だと金を支払わないといけないので助かった。王宮に着いたが外壁がボロボロで塗装もはげている。ここに国の王様が住んでいるとは思えなかったが、カンボジアの状況からすると仕方ないのかなと感じた。王宮の前は広大な公園になっているが人影が少なく閑散としている。その足で、外人向けスーパーに行ってみる事にした。バイクが物凄い勢いで引き返して行く所に差し掛かった。そこには悪徳警官が4人いて、適当なバイクを停めてカツアゲをしている。その横を知らないフリして通り過ぎたが、やはり声を掛けてきた。ここは無視して逃げた。情報ノートに手書きの地図で書いてあったのを思い出したが、きちんと頭に入れておけばよかった。
2014年10月10日
カンボジアの旅5
バイタクの兄ちゃんとも仲良くなり、郊外に綺麗な建物の置屋があるから行ってみないか?と誘われて、みんな興奮気味になっていた。昼間でも大丈夫らしく、じゃあ行ってみようとプノンペンの北をバイクで走り続けた。約30分ほど走った所で街に着いたが、街と言うか村なんだが、コンクリートの建物が多くて4階〜5階建てがばかりだ。確かに昨夜のボロ小屋とは違う。上のベランダから物凄い多い女の子達が、自分達を見ている。バイタクの兄ちゃんに促されるまま、1番綺麗な造りの建物に入ってみた。好きな女の子をピックアップして値段交渉するのだが、女の子達は私を選んで欲しいと近づいてくる。そのアピールが物凄く激しい。稼ぎが悪いと店主から体罰でも受けるのかと思うほどであった。1人好みの子を選んで値段を聞いてみたら、7ドルだと言う。ここからは交渉でどこまで値下げ出来るかの問題だが、やはり70thストリートみたいに3ドルでは無理だった。自分は止めて、その辺をブラブラしようかな。と思った時に、店主も自分があんまり興味ないのが分かったのか、自分達は4ドルでいいからどうだ?と話してきた。その話に乗っかって各々個室へと入っていった。部屋はベッドとシャワーが付いていて6畳ほどだろうか。窓がなくて照明はピンク。自分が選んだ子は20才くらいで、ゆっくりと脱がされて、女の子も脱いだ。シャワーで汗を流してくれて、ベッドに入ると始まった。肌の色は、まさにクメール人の色。慣れた手つきで、さすがプロ。終わると寝っ転がりながら手話をして終了。さすがに昼間なので外に出ると眩しい。西森さんは目の前でコーラを飲んでいた。こういうのが目当てでくる旅行者が多く、沈没する原因が分かった。日本からすると破格な値段で売春が行われているので、それを知っている風俗好きな日本人が来るんだろう。バイタクの兄ちゃんは宿からリベートらしき金を受け取っていた。だから、ここまでのバイタク料金が安かったのか。とお金の流れの仕組みを知った。てっちゃんが中々戻ってこなく、やっと戻ってきたと思ったら、楽しいから手話で話続けてしまったとの事。全員揃ったのでプノンペンのマーケットまで戻って、中華レストランへと入った。ここは、女とドラッグの街であり、ちょっとしたお金で1日を満喫出来る沈没国であった。プノンペンに唯一ナイトクラブが1つだけあり、朝までオープンしている情報が入ったが、自分は断った。朝まで飲んでいられるか分からず、しかも室内と言え夜の外は怖い。西森さんは1人で行ってみるとクラブへ夕方から行ってしまった。その夜、どこかで飲んできた日本人旅行者2人が宿の前で襲われた。夜の11時頃に宿の前に着いたらパンツ以外はすべて脱ぐように言われて銃を突きつけられたと言う。幸いに所持金5ドル程度しか持ってなく、パスポートも宿に置いてあるから助かった。自分もパスポートは宿に置いてコピーを持ち歩いていて、現金も少量しか持たないようにしていた。これはプノンペンにいる旅行者は、ほとんどが同じ事をしている。プノンペンで被害に遭う人が多いので旅行者が身に付けた知恵でもあった。
2014年10月09日
カンボジアの旅4
夕刻に宿へ戻り、マーケットで買った物を部屋に置いてバイクタクシーに乗って70thストリートへと向かった。バイクタクシーには英語使いもいて大きい橋が右手に見えてきた。それは日本のODAで造られた橋であり、英語でジャパニーズブリッジと呼ばれていると話してくれた。その橋を渡らずに左に入ると置屋街へと入っていく。ピンクのネオンが広がっており、化粧をした女性が異常なほどいる。各店によって人数は異なるが、この異様な光景と女性の多さにはビックリさせられた。他の2人はどこかへ消えてしまい、自分も適当な店を選ぶが言葉が通じないのでバイタクの兄ちゃんにどこがいいのか聞いて入ってみた。店先で店主と交渉。とりあえず、初めての経験なので3ドルで店内に入る事にした。まずは女の子を選ぶと個室に入れられた。可愛いが、そういう気分にならないが女の子は服を脱ぎ始めた。裸体の細さに栄養失調なのだと分かりやすいが、どうも気が進まないので手話で話し始めてみた。その子も性行為がないと分かったのか、ベッドに横になり話し始めた。全部が理解出来たか分からないが、どうやらベトナムから連れて来られたらしい。まさに人身売買で来た感じを受けた。その時、置屋のドアとシャッターの閉まる音が聞こえた。もしかしたら、自分は閉じ込められたのかも!と部屋を飛び出したら、バイタクの兄ちゃんもバイクを店に入れて店内にいた。どうやら、軍隊が来たので店を閉めたとの事。軍人は無料とノートに書いてあったが、店側は抵抗出来ないから無料になる訳だ。小窓からストリートが見えたが、店を閉めるのが一瞬遅れた置屋が狙われて数名の軍人が入っていった。なんと非情な所なんだ。軍隊が引き揚げて行ったあとに、自分はバイタクの兄ちゃんと宿へと帰った。プノンペンに来て色んな意味で熱い所だとつくづく感じた。自分が帰ってきたあとに続いて他の2人も宿へ帰ってきた。
カンボジアの旅3
キャピトルホテルの1階で食事をしていると、旅行ノートが置いてあった。
日本人旅行者が好きな事や情報を書けるノートである。それを読んでいた西森さんが、70thストリートって
ところに置屋街があるみたいだよ!と興奮して言ってきた。置屋って知らなかったので聞いてみると、
ソープランドだよって教えてくれて、行こうよ!と誘ってきました。てっちゃんも行きたいみたいで、じゃあ夕方にでも行ってみようとなり、外国人料金3ドル・現地人1ドル・軍人無料とノートに書いてあった。
軍人無料?しかも、値切れば1〜2ドルにもなる。とノートに情報を書いた人は、相当通い詰めたんだろうと感じた。時間は、まだ朝なのでマーケットに行ってみようと、歩いて20分くらいの所なので散歩がてら行く事にした。
マーケットはドーム型になっており、中も意外と広く色んな雑貨から貴金属まで売っており、自分のTシャツがヨレヨレに
なってきたので半ズボンとTシャツを購入。カンボジアの人は、ぼったくるイメージが強かったのだが、
何故か激安価格で金額を提示してきたので、ちょっと値切ってみたところ、すぐにOKとの事。ほとんどタダに近い値段で買う事ができた。貴金属のショーケースを除くと店員さんが暇なのか、すぐに声を掛けてきて、
見ているだけと英語で伝えても分かってもらえないので、早々とマーケットから出て行く事にした。
マーケット周辺には冷たいドリンクや食事も出来る屋台が至る所にあり、100%ジュースを飲んで休憩。
カンボジアの最高気温は、35℃まで上がるのが普通で高温多湿の為、タオルを常時持参しないと汗ダラダラに
なる状況。昼食は、マーケット近くに見つけた中華レストランで取る事にして入ってみたら、メニューには中国語で書かれていて店員さんも全部中国語で話している。クメール語が話せないみたいで、簡単な中国語で注文したら、店員にビックリされ、炒飯と餃子を注文したが味は中々良かったので、何回か通う事になる。
マーケット周辺でブラブラしていると、いつの間にか夕方になっており、宿へ一回戻ろうと歩いていた時に、
現地の兄ちゃんから女の子は要らないか?と英語で言われ、建物の奥へ興味本位で入ってみると、50人近くの
女の子達が座っているではないか!3ドルでいいよ!と言われたが、ちょっと怖くなったので、また来ると言って、その場から逃げるように宿へ戻った。
カンボジアの旅2
プノンペンのメインストリートがモニボン通りと言う。
安宿は、この目貫通りにある有名な安宿の「キャピトル・ホテル」に泊まった。1泊2ドルと安く泊まれる事が出来た。ホーチミンとは全く違う世界であり、さらに貧困差が一目で分かる。未だ内戦の爪痕を感じさせるように、足がない人が多く見受けられた。おそらく、地雷や虐殺にあった人達であろう。地面を這いつくばって空き缶を持って、外人の集まる「キャピトル・ホテル」に来る。今日生きられるかどうかのような人達が多い。可哀そうになるが、1人にお金をあげてしまうと違う人もたかって来るので無視するしかない。交通ルールもあってないようなものであり、車が自転車・オートバイを引いたりぶつけても車両価格が高い方が勝ちとなる。日本とは全く逆の事である。ぶつけられたオートバイなんかは泣き寝入りするしかない。ちょっと道をショートカットしようとすると軍人が銃を持って監視している。その軍人がたかりの軍人なのか、守ってくれる軍人なのかは分からない。何回か遭遇したが、お金をたかって来る軍人でなかったのは幸いだった。
夜になるとモニボンの大きいストリートでさえ、誰もいなくなる。地元のギャングや、軍人、警察などが銃で撃ちあっているとの事であった。夜中に銃の乾いた音が町中に響きわたる。宿の方も安全の為に鉄格子で閉めてしまう。これが、当時のプノンペンの状況でもあった。朝は、氷をノコギリで切る音で目覚める。まだ、冷蔵庫が普及していないせいか、氷を入れて保存するのが主流であり、昔の日本みたいにタイムスリップした感じになる。食事は宿の1階にレストランがあり、そこがメインになるが、ちょっと足を伸ばせば中華料理もたくさんある。支払は1ドル以下の物に関しては、リエルだが1ドル以上になるとアメリカドルの支払いが多い。
これは、自国の通貨(リエル)の信用がないので仕方ない。旅に行く時には、1ドル札を沢山持っていくのが正解である。アメリカに住んでいた時のドル紙幣とカンボジアのドル紙幣は色が、ちょっと違った。それは、紙幣の色が茶色に変色していた。色んな人が使っているせいか色褪せたりして変色していたのだ。
2014年10月08日
カンボジアの旅1
カンボジアの入国手続きが終わり、外へ出た。ベトナムの国境の町のモクバイまでは舗装された道路であったが、ここからは未舗装に変わった。国が変わればと言うが、こんなに変わるもんなのか。タクシーが数台いるだけで、どうやらバスは走ってないみたいなので、運転手と交渉したらプノンペンまで1人4ドルだと言う。高いのか安いのか分からないけど、こんな所にいても仕方ないのでタクシーに乗り込んだ。タクシーはガンガン未舗装の道を飛ばす。危険を感じてシートベルトを装着した。30分ほど走ったら、港に着いた。オバちゃんが1人増え、しかもオバちゃんの荷物が多いので後ろは狭くなった。ジャンケンで勝った西森さんが前の助手席を取ったので羨ましかった。しかし、この悪路はプノンペンまで続くのかと思うとウンザリさせられる。さらに、30分ほど走った所で検問に引っかかった。政府軍なのか、ポルポト派なのかで全く違う。恐怖で言われるままにするしかない。運転手は、通行料を払う為に外へ出て行った。機関銃を持った若くて背の高い兵士が近づいて、車の運転手席に座った。こっちをジロジロ見ているが、目を合わせないで下を向いて黙っていた。兵士は、運転手席にあるタバコとダッシュボードに入っていた紙幣を取り、トランクを開けて見ている。どうやら政府軍らしいが、やる事がヒドイ。自分達はトランクから自分達の荷物を取られるかと心配だったが何もなく終わった。武装兵士が、これからもいるのかと思うと怖くなってきたが、これが現在のカンボジアだと受け入れるしかない。所々にドクロマークの看板があり有刺鉄線で広大に囲われてる。地雷が相当埋まっている証拠であった。タクシーが快調に走っていると当然渋滞にはまった。全く動かずに、物売りが車と車の間を歩いて売っている。炭酸飲料や果物などが多いが、一体どうなっているのか分からなかったが、川に差し掛かったらしく渡し船を待っていた。橋が架かってないから当たり前だが、かなり不便に感じた。メコンの国なのに橋を作れる技術がないのには残念であり、この先に川があれば都度止まってしまうのかとガッカリした。ようやく船が到着して車を乗せ始めた。ゆっくりと川を渡って対岸に着き、そこから1時間ほどでプノンペンに入った。プノンペンの主要道路は舗装されているが、やはり未舗装が目立つ。
来たぜ!プノンペン!タクシーは安宿の前で止まった。
ベトナムの旅33〜さよならサイゴン〜
カンボジア大使館でビザの発給を受けた。これで、やっとカンボジアに行けるんだ。と思うと逆にベトナムの旅も楽しかったが終焉になるのか。と、ちょっと寂しくなるのもあった。ファングラーオに戻り、モクバイ(カンボジア国境の町)へのバスチケットを購入。カンボジアは、内戦が終わった所で政府も機能していなく危ないと情報では入ってきている。ここで、引き返す訳にも行かないので、実際に見てみないと分からない好奇心と不安が混じる中、カンボジアを目指す。モクバイへ行く日が来た。バスはホーチミン郊外へと出て、モクバイを目指した。そして中国からカンボジアへの陸路3ヶ国目になる。ベトナム側で出国手続きを終えて、カンボジア入国まで草原を歩かないといけない。ちょうど真ん中まで来た時に、国境を示す石碑が立っていた。ここで記念撮影!カンボジア側から2人の男が歩いてきたと思ったら日本人のバックパッカーであった。この国境のど真中で日本人に巡り合うとは・・・。どちらも知らない国への入国となるので、レートの情報交換をして持っていたベトナム・ドンとカンボジア・リエルを交換した。別れを告げ、いざカンボジアへ入国手続きへと向かった。
2014年10月07日
ベトナムの旅32
ホーチミンに来て、4日が経ったが飽きはなかった。宿の部屋にエアコンが付いているのも快適に過ごせたのだろう。カンボジアのビザ発給までは、まだ時間があるので、クチツアーに参加してみた。1970年代前半のベトナム戦争で、サイゴン陥落になった場所まで行ってみた。そこは地下が蟻の巣のように張り巡らせれており、人間1人がようやく通れる場所や食事が出来るほどの広いスペースがあったり、炊事場の煙は敵に分からないようにする為に、全く違う場所から煙が出る仕組みになっていると説明を受けた。旅をしていて観光らしい観光をしていなかったので、かなり面白く勉強になった。小さい頃は、アメリカが負ける戦争はないとは思っていたが、アメリカ国内での反戦運動と北ベトナムの底力が重なり、北ベトナムが勝利を収めた事を知るとベトナムは未だ戦争の傷を負っている所もあるのかな。と考えさせられた。あと、カオダイ教の寺院を訪れるのもツアーに入っていた。カオダイ教?と少し分からなかったが、とても綺麗な寺院で観光客に開放されているとなると、かなりオープンな宗教なんだろうと思。中々味わえないツアー参加し感動して、ファングラーオに戻ってきた。
ベトナムの旅31
ホーチミンで有名?なバクダンアイスクリームを食べに行ってみた。
日本語で「バクダン」なんて恐ろしいネーミングだが、面白そうなので3人で食べようとなり、ファングラーオから歩いて行ってみた。結構、時間が掛かり、その日は湿度も高くアイスを食べるには絶好の日だった。
店に着いてみると外人が多く、かなり期待出来そうなバクダンアイス!早速、バクダンアイスを注文。
出てきました^^かなりデカイ!!味も美味しく、これは日本で出せば、かなり売れるんじゃないかと思うほど。暑さと歩いてきた疲れで、一気に食べ干してしまいました。宿にいてもする事がないので、その足で久々に日本食を食べようとなり、ファングラーオで仕入れた情報を基に、日本食ドラえもんに行ってみた。
門構えが派手なレストランなので、すぐに見つける事が出来て、自分はカツ丼を注文。
久々の日本食だったせいか、凄く美味しくいただけました。海外で食べる日本食は当たり、ハズレが多いのですが、ここは当たりでした。