一応念のために反実仮想的な仮定法について説明しておこう。これは本動詞の過去形に加えて、動詞「být」、もしくはその繰り返しを表す動詞である「bývat」の過去形を一緒に使うというものである。問題はどちらを使うのがいいのかよくわからないのと、両方一緒に使ってもいいのかどうか、使っているのもあるような記がするのだけど、よくわからないことである。これやろうとすると、必要以上にこの二つの動詞を使ってしまうので、必要ない限り使うのは避けている。チェコ人の中にも使えないと言う人はいるから、外国人ができなくても仕方はないのだけど、ちょっと悔しいので、機会があれば復習しておきたいところである。
以下の例は、これまでの例も十分以上に怪しいけれども、いつも以上に怪しい例である。わかりやすいように昨日の分に使った例文を加工してみた。
Kdybych býval ?ekal o trochu déle, býval bych se mohl setkat s Petrem.
Kdybych byl býval ?ekal o trochu déle, byl bych se býval mohl setkat s Petrem.
もう少し長く待っていればペトルに会えていたのに。
正直、この三つのうちどれが正しいのかわからん。後半の部分は「se」があるせいで語順が怪しく感じられるし、最後の文はこんなに動詞を並べていいのか不安である。
Kdyby se mi byla nelíbila Olomouc, byl bych tam nebydlel.
Kdyby se mi býval a nelíbila Olomouc, býval bych tam nebydlel.
Kdyby se mi byla bývala nelíbila Olomouc, byl bych tam býval nebydlel.
オロモウツが気に入っていなかったら住んでいません。
こちらはさらに語順がややこしいのに加えて、否定の「ne」をつけるのは本動詞だけでよかったと思うのだけど、確信が持てないという問題もある。サマースクールでやってくれるとよかったのだけどてんてん。この文も、仮定法でチェコ語にできるなあ。
日本語同様チェコ語にも、「〜すれば」という順接の仮定法だけでなく、「〜しても」という逆接の仮定法も存在する。日本語の場合には大きく形が変わるが、チェコ語の場合には、順接の仮定法に「i」を付け加えてやれば完成する。人称変化や動詞の過去形との組み合わせ方などは順接の仮定法の場合と全く同じである。
I kdybych m?l hodn? pen?z, nekoupil bych si toto auto.
お金がたくさんあっても、この車は買いません。
I kdybych m?l o 10 bod? víc, neud?lal bych tuto zkoušku.
十点多く取っていても、この試験には落ちていました。
仮定法の「i kdyby」の代わりに本来「〜とき」を意味する「kdy?」を使って、「i kdy?」という表現で日本語の「〜しても」をあらわすことができる場合もあるが、チェコ語の「i kdy?」は、日本語では「〜けれども」とか「〜が」という単純な逆説の接続表現を使った方がいいような場合にも使われるので、気をつける必要がある。日本語的に考えると、「ale」「p?esto」なんていう逆接の接続詞を使いたくなるようなところにまで、「i kdy?」を使うのである。
例えば、「Pavel nep?išel, i kdy? jsem na n?ho ?ekal dlouho」という文を日本語に訳す場合、普通は「私はパベルを長時間待ちましたが来ませんでした」となるだろう。どうしても「〜ても」を使いたいというなら、「私がいくら待っても、パベルは来ませんでした」とするしかない。これはチェコ語ができる日本人よりも、日本語ができるチェコ人にとっての問題になるかな。
チェコ語には、動詞の現在人称変化ができれば、問題なく使える簡単な仮定法もある。それは動詞の人称変化の末尾に「-li」をつけてやれば出来上がりである。発音するときには切れ目は入れないが、書くときには「-」を「li」の前に入れることになっている。スロバキア人がこれ難しいと言っていたような記憶があるから、スロバキア語にはないのかもしれないけど、そんなに難しいかなあ。問題は、形を作るの自体は簡単だけど、それが使うのが簡単であることを保証しないことか。
Máte-li nový tácek, m??ete mi ho dát?
新しいコースターがあったらもらえないでしょうか。
なんてお願いもしていたわけだ。習ったばかりのころは、「kdyby」とちがって新しいことを覚える必要もなかったので喜んで使っていたのだが、「マーテリ」とかちょっと発音しにくい感じがしたのと、丁寧さに欠けるような印象を持ってしまったので、最近はあまり使っていない。そこに難しいのが使えたほうがうれしいという学習して言葉を身につけた人間に特有に心理が働いているのは否めない。
もう一つこれの問題点を挙げておくなら、例の二番目にくるものの優先順位をある程度身につけてから学んだ方法なので、「se」や「si」が必要な動詞が出てきたときに、うまく整合性が取れないと言うか、「-li」を一語として認識してしまうのか、変なところにつけてしまうことだ。書くときは問題ないのだが、話すときについつい変な語順にしてしまって変な顔をされることがある。この形を使うときには、人称変化した動詞を文頭に持ってくることになっているので、その次、二番目にくるものが問題になるのである。いや、もちろん、そこで素直に「-li」をつければ何の問題もないんだけどね。
例えば、「元気です」なんていうときの「Mám se dob?e」に「-li」をつけたら「Mám-li se dob?e」になるのは重々わかっているのだけど、頭の中で「Mám se」のつながりが余りに強いせいか、ついつい「マーム・セ・リ・ドブジェ」と言ってしまうのだ。「バディー・バーム・リ・ト」とか、「コウピーメ・シ・リ・トゥト・クニフ」とか、自分でもなんでそうなるのかわからない間違いを繰り返してきた。結局それで面倒くさくなって使うのをやめてしまったというのが落ちかもしれない。
最後に、普通の動詞の現在人称変化と「být」の未来変化にしか使えないというのも、使わなくなった理由だろうか。過去でも現在でも何でも使えて、語順の混乱の起こらない仮定法的な接続詞を使った方が楽だということに気づいたのである。ということでこの件もう一回。
2018年11月9日23時50分。
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