コンビクトを出たら右に曲がって坂を下りていく。左手に飲み屋があるけど、ここは去年、従業員が客を置き去りにして鍵をかけて帰ってしまうという事件の起こった店なのでお勧めはしない。トラム通りに出る前に教会の壁にうがたれたトンネルに入ってもいいし、トラム通りに出てもいいのだが、共和国広場に入るかはいらないかのあたりで、前方の建物の上に塔も高くそびえる聖バーツラフ大聖堂の威容が見えてくる。ここが写真栄えのする場所、その2である。トラムの電線がなければなあというのは、口には出さないことにしよう。
トラム通りに出たところで、正面に見える白い建物を見上げるのを忘れてはいけない。これはオロモウツの美術館なのだが、建物の上のほうにブロンズ製のように見える人形がぶら下がっている。普段はぶら下がっているだけだが、タイミングがいいと左右に体を揺らしながら動く様子が見られ、チェコ語で罵詈雑言を発するのが聞ける。ただし、現代芸術が好きな人ならともかく、そうではない人はわざわざ時間を合わせてみるほどのものではないと、現代芸術音痴の立場から断言しておく。悪趣味な悪ふざけにしか見えない。
トリトンの噴水を見たら、トラム通りではなく、その右隣の細い通りに入っていこう。通りの突き当たりに見えているのが大司教宮殿である。通りの途中にはゼザネー・ピボを飲むべき聖バーツラフ醸造所の飲み屋もあるから、立ち寄って一杯飲むのも悪くない。個人的には観光案内が終わってから戻ってくるほうを勧めるけど。
通りを歩いていると左手前方に開けた空間が現れ、右手前方には緑色の建物が現れる。ここは本来広い大司教広場と呼ばれる、大司教が宮殿を出る際などに式典が行われたりもして場所らしいのだが、マリア・テレジアが緑色の武器庫を建ててしまったために、大司教にとっては何とも使い勝手の悪い広場になってしまったのだという。パラツキー大学に興味がある人は、緑の武器庫、現大学図書館の入り口から中庭を抜けて建物の反対側に出る。中庭にはまたまた現代芸術の作品が転がっていることもあるが、興味のない人は無視するのが吉である。
図書館の建物を出て、目の前に三つ四つ並んでいるのがパラツキー大学の建物である。右手前方の入り口から中に入ると、中庭の壁に大学創立400周年を記念して作られた日時計があるのが見える。正確にはウィーンの革命騒ぎで100年ほど閉鎖されていたから、創立してから400年、そのうち機能していたのは300年なんだけど。それでも古いといえば古いか。
その建物を出て再び通りの奥のほうに進むと二つ目の三つ目の建物の間に通路がある。この通路の先にも公園と街をつなぐ階段がある。ここからそのまま降りてもいいのだけど、階段の手前で左右に折れてパラツキー大学の建物裏の庭園を見に行くのも悪くない。庭園としては何の変哲もないものだけど、こんな場所にというのがなかなか悪くないのだよ。時間帯によっては入り口が閉まっているので注意しよう。
階段を下りて左に曲がって城下公園を出ると、目の前の建物の上に再び聖バーツラフ大聖堂の威容が飛び込んでくる。距離が近い分だけ、こちらのほうが共和国広場から見るより迫力がある。写真を撮るのは全体が収まるように撮るのが難しそうであるって、写真撮らない人間のコメントなので、信じてはいけない。
そのまままっすぐ歩いてトラム通りに出ると、ホテルパラーツの前の三叉路なのだが、このあたりにかつて街に出入りする門があって云々という話は、どこかに書いた。とりあえず、記念碑として作られた模型のミニチュア振りを確認しておいてほしいところである。
ここから一筆にならないのが悔しいけど、トラム通りを上って街中に戻り、最初の角を右に曲がる。突き当たりにあるのがバーツラフ広場である。バーツラフ三世が暗殺されたとされるこの広場には巨大な聖バーツラフ大聖堂があり、隣に小ぢんまりとした聖アナ教会があって、その二つをつないでいる建物についているドアが、いわゆるプシェミスル宮殿への入り口である。聖アナ教会の後から左手奥にある大きな建物は、現在は大司教座の博物館になっている。この位置関係を押さえた上で、広場を出ることにする。ちなみにモーツァルトが滞在したのは大司教博物館の建物で、中に入っているカフェはアマデウスと名づけられている。
仕方がないので同じ道を通って、ホテル・パラーツの前まで戻る。トラムの通っていない左側の道に入ると、ちなみに名前はコメンスキー通りなのだが、前方に見えるケバイ建物がオロモウツ唯一のロシア正教の教会である。宗教好きはコメンスキー通りを最後まで歩いて、モラバ川を越えてそこまで足を伸ばそう。橋の上からは軍の病院になっている昔の修道院の建物もきれいに見えるしさ。
興味のない人はムリーンスキー川の手前の建物が途切れたところで左に折れて、公園のようになっているところに入る。そして、先ほどバーツラフ広場といういわば内側から見た建物群を、今回は外側から見上げるのである。そうすると、さまざまな様式の建物が複雑につながっていて、どこに切れ目があるのかもわからない複合体になっているのが理解できてしまう。こんなのが、キリスト教世界のお城だったのである。
切りは悪いけれども、編集上の都合でここでもう一回休憩。
2019年4月13日23時。
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