ゴットの人柄については、よく知らないが、ある意味共産党体制の象徴だったゴットのことを、共産党政権にいじめられた同業者、歌手や俳優たちも悪く語ることがないのが、何かを物語っているに違いない。マルタ・クビショバーもイジナ・ボフダロバーも、ゴットを失った悲しみをインタビューで述べていた。
ゴットに次ぐチェコ音楽界の伝説的存在で、同時期にデビューしたペトル・ヤンダは、ゴットの思い出を聞かれて、人気が出てからも全く変わらなかったといい、成功した理由を勤勉さだと言いきった。ヤンダは、「カレルは、求めに応じてドイツ語や英語などいろいろな言葉で歌を歌った。俺にはできない」と言い、ゴットが様々な言葉で歌うために、言葉の勉強をしていたはずだと付け加えた。
英語で歌うことになったのは、ラスベガスのショーに採用されたからだろうし、ドイツ語で歌うことになった事情については、カレル・シープのトーク番組でゴット自身が語っていた。それによると、ブラチスラバで行われた音楽フェスティバルに西ドイツのレコード会社ポリドールの社長が、掘り出し物を探しにやってきて、ゴットの歌を聞いたことがすべての始まりだったという。
旧共産圏のチェコスロバキアの歌手がドイツでも人気だったというと、同じ共産圏の東ドイツで人気だったのだろうと思ってしまうが、そうではなくて、西ドイツで歌手としてデビューをしてドイツ語で歌を歌っていたのである。その社長は、ゴットにこの歌をドイツ語で歌うことを要求し、最初はシングルを一枚出すという契約だったらしい。
ゴットは語らなかったが、その前には、ポリドールと共産党政権の間で、交渉がもたれていたはずであり、ポリドールが目を付けたゴットをドイツに貸し出すにあたって、何らかの代償を得ていたのは疑いを得ない。ようは、西側の外貨稼ぎのために輸出された商品の一つがゴットだった。その商品は、実は非常に高品質で、ドイツでもゴットのレコードが何枚も発売されることになる。
ゴットはドイツ語で歌い始めたころのことを回想して、「自分ではドイツ語の勉強をしなかった。でもポリドールの人たちに、ドイツ語でしゃべることを強要されて頑張っているうちにできるようになったんだよ」なんてとぼけたことを言っていた。それに、「文法の本を見ると寝ちゃうんだ、俺。わかるだろ」とか言ってシープを笑わせていたけど、ドイツのテレビでしばしばトーク番組に出演して問題なく話ができていたらしいことを考えると、実はちゃんと勉強していたのではないかも思う。もしくは、本当の意味で語学の天才だったのかもしれない。ラジオ聞いたりテレビ見たり、新聞雑誌を読んだりしているうちにできるようになったと言っていたし。いずれにしても人知れず努力をしていたはずである。
シープはさらに、チェコ人がドイツ語を話す時にやりがちな発音上の間違い、もしくはチェコ訛のドイツ語の発音について、問題にならなかったのかと質問していた。それに対して、ゴットは自分でも発音がチェコ語風になっているのは気づいていて、ただそれがドイツ人にどう聞こえているのかがわからなかったから、レコード会社の人に、「俺、訛ってると思うんだけど、いいのか」と質問したら、その訛が異国風でいいんだという答えが返ってきたと言っていた。まあ、同じドイツ語でも地方によって大きな違いがあるというから、その方言の一つとしてみなされたのかもしれない。
ゴットのドイツでの人気を不朽のものにしたのは、今でもしばしば再放送されるらしい子供向けのアニメ「みつばちマーヤの冒険」だった。ドイツ語版では主題歌をゴットの盟友ともいうべき作曲家のカレル・スボボダが作曲し、ゴットが歌ったのである。つい最近、ドイツ人の若い女性歌手に交代するまで、「みつばちマーヤの冒険」が放映されるときには、ゴットの主題歌が流れていて、若い世代にドイツ人がゴットの存在を知るきっかけになっていたようだ。ドイツやオーストリア、スイスのドイツ語圏でコンサートをするときにはこの歌は欠かせなかったんじゃないかな。
日本のアニメーションがヨーロッパ、とくにドイツ語圏で放送されるときには、作中の音楽を差し替えたり、主題歌を新たに製作したりすることがあるのだが、その際にスボボダが作曲家を務めていることがままある。「ニルスの不思議な旅」もそうだったし。
チェコの大スター、カレル・ゴットがドイツで日本のアニメの主題歌を歌ったおかげもあって人気歌手なったというのは、日本人にとってはなかなか興味深い事実だと思うのだけど、ドイツで「みつばちマーヤの冒険」が放送されたことを知っている人はいても、その主題歌を歌ったのが、ドイツ人ではなく、チェコ人だったということを知っている人はどのぐらいいるだろうか。
今日のテレビでは、ゴットの葬儀が国葬で行われることを、キリスト教関係と思しき人が批判していたけれども、うーん、キリスト教に批判する資格はあるのかねえ。今では政党キリスト教民主同盟の尽力もあってか、なかったことにされているけど、共産党政権時代の教会、教会関係者の多くは、教会の存続と、活動の継続を認められる代わりに、秘密警察の協力者と化していたらしい。ミサを行えば、参列した人の名簿を秘密警察に提供し、ひどいときには懺悔の内容を漏らしていたともいう。
個人的には、共産党の支配下で、不満を押し殺して適応しながら生きていた当時のチェコ人の代表がカレル・ゴットで、国葬にすることには、かつての自らの姿をゴットに重ねて葬るという意味が、チェコ国民にとってあるような気がする。チェコ社会におけるゴットの存在は、キリスト教会よりも重く重要である。だからこそ、プラハ大司教は生前からゴットが亡くなったら追悼のミサを主催することを約束していたのだろう。かつての共産党だけではなく、キリスト教もゴットの人気を必要としているのである。
周囲には、ゴットなんてという反応をする人が多いので、ゴットの人気は過去のものになってしまったのかと思っていたのだが、今回、自宅の前などいろいろな場所に追悼のためのろうそくを捧げたり、記帳に訪れたりする人が多く、その中には若い人からお年寄りまでいることを考えると、カレル・ゴットというのは、今でもチェコ民族に愛されているのだと思う。そこにあるだけでありがたい神のごとき存在として。そうゴットの若い頃の自伝的映画の題名のように「星(スター)は天上に向かって落ちる」のである。
2019年10月3日23時。
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