台風のよく来る九州の人間なので、台風に対する感覚が他の地域の人たちとはちょっと違うのかもしれないが、台風が来てしまったら、もうできることは祈ることぐらいしかないという感覚を持っている。幸いしたことはないけど、避難にしても、被害を減らすための対策にしても、台風が来る前にするべきことであって、来てしまってからでは危険極まりなく自殺するようなものである。
たまに、台風が来てから、屋根に登って転落する事故や、外に出て川に流される事故が起こったりしていた。犠牲になった人に対しては痛ましいという気持ちは持ったけれども、同時にどうしてそんな馬鹿なことをしたんだと思ったのも否定できない。学校でも、そういうことが起こったというのを子供たちに話して、教訓にしていた。
高校のときは、県全体の高校の代表を集めたイベントに出かけたら、台風が近づいてきて、ぎりぎりで戻って来られたなんてこともあった。翌日上陸されて土砂崩れで鉄道と道路が通行止めになったために、もう日程の関係で一日残っていた連中は、すぐには戻って来られなかった。土砂崩れがなくても暴風で鉄道が運行できなかった可能性も高いけど、台風が来てしまってからではできることはないのだ。
そんな経験をしてきた人間からすると、台風一過後のマスコミの報道には理解できないことが多い。被害が予想よりも少なかったことに安堵するような発言をした自民党の政治家が袋叩きにあっているみたいだが、言葉の選択の良し悪しはあるにしても、政治家としては正しい発言ではないのか。個人として正しいことが、政治家として正しいとは限らない。
政治家に求められるのは、起きてしまった災害を分析して、次への対策に結びつけることだ。身内が犠牲になっていようと、関係者が犠牲になっていようと、責任ある地位に就いた政治家には、悲しみに浸る権利などない。特に今回のような治水の想定を越えるような台風が来た場合には、復興の計画や実行に加えて、更なる洪水対策をどうするのかが大切になる。そのためにこそ、政治家は税金で飼われているのではないのか。
もちろん、言葉の選択は最悪だったから、災害を受けた人が不快に感じるのは理解できるし、非難の声を上げたとしても当然であろう。ただ、同じ政治家であるはずの野党が鬼の首を取ったように大騒ぎするのは、望まれもしないのに無理やり被害を受けた人側に立とうとしているようにしか見えない。日本の政治史上最高のポピュリストだった小泉首相の成功以来、その手法を真似て民主党が政権を取って以来、日本の政治はパフォーマンスに堕してしまったからなあ。ここを書入れ時とばかりに、お祭り騒ぎしているマスコミも、同罪である。
東京が台風に対して脆弱だったとかいう記事も見かけたが、思わず正気を疑ってしまった。東京が脆弱だったら、脆弱ではない都市など世界中のどこにも存在しない。脆弱だったとしたら、台風を舐めていた都会の人々の頭の中であって、批判するのであれば、行政ではなく、自分だけは大丈夫だと考えてしまうメンタリティであろう。
そして、小泉政権以来の公共事業=悪、ダム=悪というマスコミも巻き込んだ、もしくはマスコミが巻き込んだキャンペーンが、本当に正しかったのか、部分的に正しかったのは確かだろうけれども、あそこまでやる必要があったのかどうかは検証しておかなければなるまい。公共事業で食っていた地方の土建屋がいじめられて数を減らし余裕を失っているのも、災害対策や復旧工事がなかなか進まなくなっている原因のような気がする。
落としどころが見えなくなって迷走。不快に感じられる方がいたらお詫びする。
2019年10月15日25時30分。
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