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2019年11月15日

続々温故知新(十一月十三日)




 校内暴力や子供の間のいじめが顕在化して社会問題になっていた1980年代の時点で、教育関係者の中には、「子供のいじめが亡くならないのは当然だ。指導する教師の間にもいじめがあるのだから」と主張している人がいた。子供たちのいじめも発生した当初は、教育委員会や文部省では隠す方向で対応していたはずだから、教員の間のいじめもなかったことにされた可能性は高い。

 中学の頃の国語の先生が、この手の問題に関しては結構あけっぴろげに話をする人で、子供のいじめを鶏のけんかにたとえていた。鶏は群の中で上から順番にしたの者をいじめていって一番弱いのが死んでしまうというのだ。それに付け加えて、教員の間にもいじめのようなものだあるんだと語っていた。職員室に行ったら、自分の机が消えていたとか、会議の予定を教えてもらえなかったとか、この先生から聞いた話だったかどうかは記憶があいまいだけれども、具体的ないじめの内容も聞かされた。
 学校の先生の中にもガキみたいな人がいるんだなあとあきれ、先生だからという理由で尊敬するのではなく、自分の目で判断して尊敬できる先生だけを尊敬するという生意気なガキになるきっかけを与えてくれたことになるから、この先生も尊敬に値する先生だった。当時はすでに年配で威厳のある人だったからいじめられてはいなかっただろうけど、若いころは先輩に生意気だといじめられていてもおかしくないタイプの人ではあった。ただこの先生ならやられたら、やられた以上にやり返すだろうとも思っていたけど。

 80年代に顕在化しかけてなかったことにされた、教員間のいじめが90年代以降どのような経緯をたどったのか、検証して報道するようなマスコミはないのか。80年代には、子供のいじめ問題に絡めて、教員間のいじめについて指摘していた新聞記事もあったと記憶する。その新聞社では、記事にするしないはともかく、ある程度取材はしたはずなのだから、それを元に歴史的な変遷をたどってこそ、問題を放置し続けた文部省や教育委員会にたいする批判が有効なものになる。

 各地の教育委員会の出たらめっぷりについても、書くべきことはあれこれあるだろう。個人的にも教育委員会許すまじと思わされた一件がある。高校一年の頃の校長先生は最高だった。この人の元で三年間高校生活を送れていたらと思わせるような、素晴らしい方で、我々の入学と同時に転勤してきたから、本来であれば、最低でも我々が卒業するまでは校長を続けるはずだったのに、赴任して一年後に退職されてしまった。次に来た校長が最悪で、そのクソのおかげで一年の頃の校長先生のすばらしさが浮き彫りになったという面もある。
 大学に入ってから、その校長先生の自宅を訪問する機会があったので、退職された事情を聞いてみた。うちの高校に定年まで勤めるという約束で赴任したのに、教育委員会から転勤するようにという圧力をかけられたのに怒って、ふざけるなとケツをまくって定年まで二年を残して辞めちまったんだと仰っていた。
 転勤を求められた理由というのが、県の教育委員会の有力者の一族のぼんぼんが、母校であるうちの高校で校長をやりたいとごねて、その望みをかなえるためだったというのも、我らが校長先生が腹を立てる理由だったようだ。その新しいののせいで、校長先生だけでなく、そいつが高校生だったころからうちの高校に在任していた名物先生たちがみんな追い出されてしまったというのも、我々在校生の怒りに火をつけた。そのせいで萎縮してしまった先生たちもいたし。転勤させられるのを恐れない先生たちと、新しい校長の悪口で盛り上がったのはいい思い出ではある。

 それで、最初は話が無駄に長いだけで特に目立つようなこともしていなかったそいつが、突然管理教育を強化するような方策を打ち出したときに生徒達の中から反対運動が起こって、ちょっとした騒ぎになったのだった。ただ、その騒ぎの責任を取らされたのは新しい校長ではなく、一緒に転勤してきた教頭で教育委員会の閑職に飛ばされたのだった。ふざけんなで、大学受験のために校長の署名が必要な書類が出て、個人的に頼む必要があったときには、受験を諦めようかとさえ思うぐらい嫌なやつだった。節を曲げて頼みには行ったけど、言葉だけで頭は下げなかったのは、せめてもの抵抗だった。卒業式に出られないように入試の日程を組んだのもこいつから卒業証書をもらいたくなかったからだったって、アホなガキだったなあ。
 そんなこんなで、人生というものの現実を見せ付けられて、青臭い正義を唱えているだけではどうしようもないということを教えられたのだった。それでも、今でもあいつだけは許せねえと思い出すことがあるから、我ながら執念深いというかなんと言うか。

 話を元に戻そう。今回の件で、実際にいじめを働いた連中が批判されるべきなのは当然だけど、それ以上に糾弾されるべきは、教育委員会であり、文部省であるはずだ。現場の教員が病んでいかざるを得ないような小学校の労働環境を改善することの方が、大学入試動向とか、指導要領なんかよりはるかに重要ではないのか。ちゃんとしたレベルの大学に入れるかどうかは、小学校でどれだけちゃんと勉強できるかにかかっているのだし、大学生の質を上げたければ、初等教育のレベルを上げることが大切になってくる。そこで先生が病んでいたら……。
 あれ、またなんか変な方向に行ってしまった。
2019年11月14日22時。








タグ: 思い出話 脱線
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