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2020年07月02日

久しぶりに日本語のことを(六月廿九日)




 その点、我が畏友は、いっしょに仕事をする日本人をして、うちの子供たちより正しい敬語を使うと言わしめるのだから素晴らしい。そいつも敬語は難しいなんて言っていたから、できるのと難しく思うのとは別問題なのだろう。こちらは敬語なんて昔から使っていて、特に難しいと思ったことはないけど、それがいつも正しく使えているということにはならないのが情けない。とまれ敬語なんて日常的に使って失敗を通じてうまくなるものだから外国で勉強しているのは不利である。

 もう一つ、チェコの日本語学習者が、チェコだけには限らないかもしれないが、難しいと不平をこぼすのが、場所を表す助詞の「で」と「に」の使い分けである。それに素直に賛成したのではチェコ語を勉強している意味がない。だから、こちらからのアドバイスは、「チェコ語の場所を表すvとnaの使い分けに比べればはるかに簡単なんだから、泣き言言うな」というものになる。
 あのややこしさに比肩するものは存在しようはないと思うのだが、念のためにどうやって使い分けをしようとしているのかを聞いてみると、それじゃあ無理だと言いたくなるようなことをしていた。「で」と「に」のどちらを使うかを決めるのが動詞だというのは問題ないのだが、「で」を使うのは動作を意味する動詞で、「に」を使うのは存在を意味する動詞だから云々というのには、そりゃ無理だと言うしかない。

 そもそも、存在を意味する動詞なんて、「ある」と「存在する」以外に存在するのか。「に」を必要とする動詞は、存在を意味するという動詞の数よりもはるかに多い。チェコの人は「v」と「na」の使い分けのような、ある程度の傾向はあってもルールがあるとは言えないようなものでも、例外がルールを裏付けるとか意味不明なことを言って、ルールがあると主張するから、日本語の助詞の使い方についてもルール化したがるのだろう。発端は日本の日本語学者の説かも知れんけど。
 その「で」は動作を表す動詞、「に」は存在を表す動詞という説明で、うまく説明できるのは、存在するという意味の「ある」と、行われるという意味の「ある」の使い分けぐらいじゃないのか。「に」を使う動詞としてすぐに思いつく「立つ」「座る」「住む」などに関して、動作じゃないなんていわれたら日本人としては頭を抱えるしかない。

 それにこの説明だとすることは同じ「日本で勉強する」と「日本に留学する」の違いを説明できない。「留学する」の場合には、勉強するだけではなく、「留」の字には「留まる/残る」という意味ががあるので、「そこに留まって勉強する」という意味になる。その留まるが、場所を表す助詞として「に」を必要とするために、「留学する」も「に」を取ると考えられる。では、「留まる」が、動作か、存在かと聞かれたら、答えは知らんである。
 確かに「で」と「に」の使い分けに関して、そういう傾向はあるにしても、それをルールだとしてしまうのはやりすぎである。他にも、「死ぬ」なら場所を表す助詞は「で」で間違いないけど、「死す」の場合には「に」でないと収まりが悪い。「生まれる」は、「で」と「に」のどちらも使えるけど、「に」を使った方が、「に死す」にしてもそうだけど、文語的というか古めかしい印象を与える。だからといって文語的な動詞は「に」を取るなんて意味のないルールを提唱する気はない。この二つの動詞の場合は、「で」は地名でも、病院などの具体的な場所でも使えるけど、「に」は地名にしか使えないと言う違いもあるか。

 それから「で」と「に」で意味が変わる動詞もある。動詞「買う」の場合、普通は買い物をする場所を「で」で表すわけだが、買うものが土地や家など動かせないものの場合には、「に」を使うことも可能になり、「で」を使った場合とは意味が変わってくる。「で」で表す場所は売買が行われた場所で、「に」は買った土地や家などがある場所を示すことになる。その意味では「に」は存在する場所を表すわけだけれども、動詞「買う」には存在の意味はない。
 「書く」の場合も、動作をしている人が居る場所は「で」で表すけれども、動作の結果が現れる場所は「に」で表す。だから「教室で手紙を書く」だけど、「便箋に手紙を書く」なのである。「掘る」の場合も同様だけど、「で」を使うのは国や町などの大きな地名で、具体的な場所の場合には結果が生じる場所として「に」を使う。だから、「アフガニスタンで井戸を掘る」に対して、「自宅の庭に井戸を掘る」となる。他にも同じような使い方をする動詞はあるはずだが、これが日本語の「で」と「に」を使い分けるためのルールだと言えるのかどうかはどうでもいい。

 自分の助詞の使い分けを考えてみると、「で」ではなく「に」を使う場合には、場所の意識だけでなく、方向めいたものも感じているのではないかと思わなくもない。ただ、この手の母語話者が何となく感じるものを使い方のルールとして、言葉を教える際に使うのは無理がありすぎる。大切なのは何らかの傾向があることを知っていて、間違いに気づいたときに修正する能力である。
 だから、日本語の場所を表す助詞の使い分けを身に付ける際にも、チェコ語で原則として「v」を使って間違いだと気づいたら、「na」に変えて「na」を必要とする名詞を覚えていくのと同じ方法を取るのがいい。違いは覚えるのが名詞か動詞かというところだけである。というところで長くなったし、きりもいいので以下次号。次が短くなりそうな気もするけど。
2020年6月30日9時。













タグ: 助詞 動詞
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