もちろん読む前から、十字軍が物語りに描かれるほどロマンチックなものではなく、西欧では英雄視される人物であっても、その十字軍における実態は全く異なっていたことは知っていた。ただ、本書を読む前は、まだ十字軍を、人類史上最悪の愚行の一つとして位置づけることはできていなかった。言ってみれば、アラブ側の記述にも誇張や身びいきがあることをわかった上で読んで、啓蒙されたのである。
本書の著者は訳者によればレバノンの著名なジャーナリストだというアミン・マアルーフで、原典たるフランス語版は1983年に出版されている。日本語訳は1986年にリブロポートから刊行され、2001年にちくま学芸文庫に改訳決定版として収録された。翻訳者は牟田口義郎と新川雅子の二人だが詳しいことは知らない。
そのリブロポートが世に送った名著の一つが本書なのだが、本書が提示したテーマ、キリスト教社会とイスラム教社会の対立の原点である十字軍の問題は、日本語版刊行から30年以上の年月を経てなおその意味を失っていない。いや、東西対立の最中で、宗教間の対立はそこまで先鋭化していなかった当時よりも、現代の方が大きな意味を持っているといってもいいかもしれない。
ヨーロッパ社会においては、もしくはイスラム世界以外では、十字軍はすでに過去のもので、理想化され伝説化され現代社会における意味などないに等しいが、本書を読めばイスラム社会においては十字軍が極めて現代的な意味を持ち続けていることが理解できる。加害者は自分のなしたことを忘れがちで、被害者はなされたことを忘れないと一般化することもできるのだろうが、それよりは十字軍がイスラム社会にあたえた傷の大きさを強調した方がいい。
その大きな傷が、何かにつけてグローバル化が喧伝される現代においてなお、キリスト教的なものを感じさせる、欧米的民主主義や資本主義に対する反発が消えない原因になっているのだろう。言い換えれば十字軍に関する意識を変えない限り、イスラム社会の反欧米主義者の種は尽きないということになる。本書を読めばこれぐらいのことは明らかだと思うのだが、キリスト教の側から本書が提示した問題に対する反応があったという話は、寡聞にして知らない。
また軍事的には失敗に終わった十字軍だが、文化的、経済的には、当時の世界最先端を走っていたイスラム世界を略奪することで、ヨーロッパには大きなものがもたらされた。それがヨーロッパ文明の略奪性を高めたと考えることができるなら、世界中を略奪の対象にし、キリスト教徒にあらずんばひとにあらずといわんばかりに、誰彼かまわず奴隷として売買していた植民地主義を準備したのも十字軍だということになる。
最近良識派の仮面をかぶった人たちが、チャーチルを人種差別主義者として糾弾するという茶番劇を見せていたが、本気で差別問題、宗教対立を解決する一歩を踏み出したいのなら、十字軍から始めるべきなのだ。チャーチルではなく、エドワードとかリチャードとか、フリードリヒなんかを差別主義者、虐殺者として糾弾すれば、イスラムとの距離が縮まるに違いない。
そして、植民地化の尖兵となり奴隷売買の一端をになっていた宣教師達の中には、列聖された人々も多いが、そんな人たちも差別主義者として列聖を取り消せば、キリスト教徒の差別意識も少しは解消されるんじゃないかなんてことを、キリスト教のみならず、宗教嫌いとしては考えてしまう。どちらも実現は不可能だろうけど。
2020年8月2日24時。
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