ここ 。
このマサリクの伝記は、「世界巨人叢書」という一瞬目を疑うような叢書の第三編として刊行されているが、この叢書は三冊で終了している。ちなみに第一編は『蒋介石』、第二編は『ロイド・ヂヨージ』というラインナップになっている。出版社の金星堂は、1924年にチャペクの『ロボツト』(鈴木善太郎訳)を刊行した出版社で、ウィキペディアによればチェコスロバキアの独立と同じ1918年の創業。戦前は文芸出版に力を入れていたが、現在は語学教科書の刊行で知られているらしい。
さて、この『トーマス・マサリツク』には、当時の駐日チェコスロバキア公使のK.ハラという人の英文の序文とその日本語訳が掲げられている。その後にある著者本人の序文によれば、金星堂の社主のマサリクの伝記を刊行しようという意図を公使に伝えたところ、大喜びで、さまざまな資料を提供してくれたらしい。中にはチェコ語のものを英訳してくれたものもあるという。著者自身はチェコ語は「うんともすんとも判らぬ」と書いている。
序文には他にも日本通のポーランド人の仲介でチェコスロバキア関係者と友誼を結ぶようになったことが書かれ、特に建築家たちと親交が深かったようで、「レモンド」(レーモンド)、「ファーレンシユタイン」(フォイエルシュタイン)という日本で活躍したチェコ系の建築家の名前が挙がっている。それどころか、フォイエルシュタインの担当した「舞台装置」の写真をまとめて『ファーレンシユタインの舞台建築』という本まで自費出版してしまったという。残念ながら国会図書館の目録では発見できなかった。チェコの外務省が数十部買い上げたという記述もあるから、日本のチェコ大使館に今でも所蔵されている可能性もある。
建築家二人は、誰だか同定できたのだが、もう一人序文に固有名詞で登場するシモンという画家が見つけられなかった。シモンというと普通は名前を思い浮かべるのだが、チェコ語の場合には、本来名前として使われるものが、名字としても使われることが多いので、どちらか確定はしにくい。建築家とは違って、チェコの画家には詳しくないのが一番の問題か。
本の内容は、建国後10年ちょっとで日本ではまだそれほど知られていなかったであろうチェコスロバキアという国についての概説から始まる。チェコスロバキアについて知らなければ、マサリク大統領を知ったことにはならないという著者の判断は正しい。地理的な情報から、産業、文化などについて簡潔にまとめられているが、歴史的な記述が紙数の関係でなされていないのが残念である。
序文でもそうだったが、気になるのは「チエツコスロバツキア」という想定よりも「ツ」が一つ多い表記と、しばしば、「チエツコ国」「チエツコ共和国」などと後半のスロバキアを省略した表記が登場することである。やはり「チエツコスロバツキア」というのは、繰り返し何度も使用するには長すぎるのだろう。
本編とも言うべきマサリク大統領の伝記は、「ホドニン」(ホドニーン)で生まれたところから、第一次世界大戦後に独立を達成して、1918年12月に大統領として帰国しプラハで民衆の歓声に迎えられるところまでが描かれている。著者は「結語」で大統領就任後の政策などについても書くべきだがこれも紙数の関係で出来なかったと記しているが、未だその任にあったマサリク大統領の伝記を、大統領就任の時点で終わらせるのは正しいと思う。刊行当時、79歳で大統領として三期目を務めているところであった。
本の発行日は昭和5年1月20日、二ヶ月ほど刊行を遅らせればマサリク大統領の80歳の誕生日ということになったのだが、金星堂では、世界巨人叢書の続編を計画していたようで、巻末の目録に、第四編として、トルコの『ケマルパシャ』と、ドイツの『ヒンデンブルク』が近刊予定として掲げられている。この二冊は刊行されなかったようで、国会図書館のオンライン目録では存在を確認できない。
マサリク大統領の伝記の単行本としては、昭和10年に日本社の刊行していた「偉人伝記文庫」の第45号として『マサリツク』が出ている。残念ながらインタネット公開には至っていないので読むことはできない。「偉人伝記文庫」の国会図書館の目録で確認できる最終巻は80巻で、すべて著者は中川重、刊行年は昭和10年というとんでもないシリーズである。
2020年10月27日20時。
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