プラーハは百塔の都とも称せられて居る。ゴチック式の尖塔高く林立したる盛観は他の欧州に於ける都府で多く見らるるものでない。夫が皆中古の面影を存して基督教の勢力を振った当時を追憶せしむるのである。大詩人ゲーテはプラーハを都市のディヤデムにある真珠なりと激称し、ウィレム・リッターは歴史と建築学の最も貴重な書籍であるといい、フムボルトは中欧に於ける最も美しい都なりと称揚した。
ディヤデム
フムボルト 有名なフンボルトというと、アレクサンダーとヴィルヘルムという二人のフンボルトがいるのだけど、ウィキペディアによると兄弟らしい。弟のアレクサンダーの方にゲーテとの交友について書かれているからこっちかな。兄ヴィルヘルムはフンボルト大学の創設者だという。
カールスホーフ寺院、サンクト・ペテル及びサンクト・パウルの寺院、マリエン寺院、マリヤ・シュネー寺院と数え来るもいずれか皆壮麗ならぬはなく、モルダウ河の中流に架せる長さ五百五十ヤードのカール橋、また基督磔刑の像を安んじ、その前を過ぐるものが皆礼拝せる虔敬の様も嬉しきに、ヨハン・ネポミュクの奇蹟がこの橋上にあって今も順礼者の参拝絶えぬ床しさ。
カールスホーフ寺院 カールスホーフはプラハ新市街の一地区であるカルロフのドイツ語名。この地区にある大きな教会と言うと、アウグスティヌス派の修道院に付属していた教会の昇天せし聖母マリア・カール大帝教会であろうか。ウィキペディアによると修道院自体は18世紀に廃止されており、現在は 警察博物館 として使われている。
サンクト・ペテル及びサンクト・パウルの寺院 ビシェフラットにある 聖ペトル・聖パベル教会 。19世紀末から20世紀初頭にかけて現在のネオゴシック様式に改築された。
マリエン寺院 新市街の聖マリア教会か。14世紀創建。 https://cs.wikipedia.org/wiki/Kostel_Panny_Marie_na_Slovanech#/media/Soubor:Emauzy_katedr%C3%A1la_PM.jpg
マリヤ・シュネー寺院 チェコ語を直訳すると雪をかぶりし聖母マリア教会。聖母マリアを記念した教会は数が多いせいか、区別のために形容詞がつけられることが多い。名前にどんないわれがあるのかまではキリスト教徒でもなし、調べようという気にはなれない。
カール橋 言わずとしれたカレル橋。ここまで並べられた名所を見ると、黒板氏は新市街に宿を取り、市庁舎のある旧市街広場には足を伸ばしていないように思われる。
基督磔刑の像 カレル橋上に設置されている全部で30ある像のうちの一つ。まん中あたりにあるのかな。
ヨハン・ネポミュク チェコ語ではヤン・ネポムツキーと呼ばれる。後に列聖され、チェコ各地に像が残っている。
この橋を渡ってモルダウの左岸に出て、サンクト・ニコラス寺院から東北に折るれば、やがてワルレンスタインの広場に当って三十年戦争の猛将ワルレンスタインの旧邸が立って居る。今もその子孫の伯爵家に属し当時の観を改めぬ内部の室々、刺を通じて之を縦覧すれば、シラーの名著を読む心地せられ、徐ろにその雄風を偲ぶことが出来る。
サンクト・ニコラス寺院 マラー・ストラナの 聖ミクラーシュ教会 。
ワルレンスタインの旧邸 ワレンシュタイン宮殿(チェコ語ではバルトシュテイン、もしくはバルチュテインと聞こえる)と呼ばれることが多い。現在はチェコの国会の 上院 の所在地となっている。この建物の正面にあるのがワレンシュタイン広場で、建物に沿うように走っているのがワレンシュタイン通りである。付属する庭園と厩舎も知られている。
シラーの名著 『ワレンシュタイン』と題された戯曲があって、これを読んで感動してドイツ語の勉強を始めたなんて人もいるらしい。
フェルステンベルク侯爵邸を過ぎ、爪先き上りの路を辿れば、プラーハのキャピトルたるフラッヂンは巍然として一部をなし全市に臨んで居る。古王宮は嘗て皇帝カール四世以来マリヤ・テレサに至つて完成せられたるところで、ゴチック式の大寺院と共に華麗と荘厳とに打たれつつ北の方ベルベドルに出づれば、ルネイスサンス風の広壮なる別荘には神話を浮彫りにしたる廻廊を廻らして居る。ここから全市を瞰下すれば、モルダウ河は迂曲してプラーハの市を囲めるところ、所謂百塔の尖頂が林の如く立てる間に緑りの森が之を縫うて居るのに、見渡す限り平和なる空気が全部を蔽うて居る。そしてその下には人種的軋轢も、言語的反抗も包まれておるとは思われぬ。
フェルステンベルク侯爵邸 これはワレンシュタイン宮殿とワレンシュタイン通りを挟んで隣接するフュルステンベルク宮殿のことであろう。現在はポーランドの大使館になっているようだ。近くには小のつくフュルステンベルク宮殿もあって、こちらは上院の建物の一部として使われている。
フラッヂン プラハ城を中心とする地区、チェコ語でフラッチャニのことであろう。この地名も日本語での表記がばらついていて解読に苦労することがある。
ベルベドル 一般にはベルベデールと呼ばれる夏の離宮のこと。ワレンシュタイン宮殿から見るとプラハ城の裏側に広がる庭園の中の建物である。
こうしてあれこれ比定してみると、黒板博士のプラハ散歩の経路が見えてくる。新市街にある教会をいくつか訪ねた後、カレル橋を渡ってまっすぐ行ったところにある聖ミクラーシュ教会の前で、右に折れて、最初の交差点を直進して、ワレンシュタイン広場に出て、右手にワレンシュタイン宮殿を見ながら宮殿沿いに進む。今度は左手にフュルステンベルク宮殿が見えてくる。ワレンシュタイン宮殿の厩舎を越えたところで、左に曲がって、道なりに坂を上って、プラハ城の裏手に出て庭園に入ってベルベデールを望む。といったところである。
聖ビート教会などのあるプラハ城と言われたときに最初に思い浮かべる建物が並んでいる部分には入らなかったのか、入れなかったのか。旧市街広場にかんする言及がないのも含めて、気になる所ではある。これ以上は調べようがないけどさ。
一度失った習慣というものは、なかなか取り戻せないものである。
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