警察に捕まったときに「自分が運転していたのではない。親しい人が運転していたのだ。ただそれが誰かは言いたくない」という形で使われていたらしい。そうすると警察としては、本当にその親しい人が運転していたのか、言い訳をしている人が運転をしていたのか確認しなければ、罰金を科すこともできず、手間が増える一方だったという。その手間に見合わないささいな違反の場合には、放置されてしまうことも多かったようだ。
警察の検問などで止められて、運転席に座った状態でのアルコールの検査で陽性反応が出たような場合には、この言い訳は通じなかったと信じたいのだが。一時期は、あまりの多さに、国会でも法律を改正して「ブリースカー・オソバ」という言い訳を使えないようにしようという動きもあったようだ。最近話を聞かないけど、どうなったのだろうか。当時の案では、実際に運転していたのかどうかの証明が警察の義務だったものを、交通違反をしたとされた容疑者の義務に変更しようとか言っていたのかな。つまり、「ブリースカー・オソバ」という言い訳が、通用するのは実際に運転していた人物を明らかにした場合だけというわけだ。
問題は、ブリースカー・オソバそのものよりも、何故この言い訳が流行して、チェコの警察を困惑させたかにある。実は発端は、警察の人間、それも交通関係の警察なのである。あるとき北モラビアの道路で、警察がスピード違反の車をパトカーで追跡して、停車させたら、車内にいたのが、確かフリーデク・ミーステク地方の交通警察の長だった。素直に自分の罪を認めればいいのに、「ブリースカー・オソバ」を言い訳に使ったらしいのだ。
現場の警官としては、それを受け入れるしかなかったのか、相手の身分を慮って受け入れたのかは覚えていないが、その場で逮捕したり罰金を科したりすることはせずに解放した。アルコールの検出テストを受けるのも、同様の理由で拒否したんだったかな。この事件のニュースを聞いたときには、交通警察を管轄する人間が、自分の担当部署の弱みをつくような言い訳をしたことに唖然とするしかなかった。
そして、ニュースを通じて、「ブリースカー・オソバ」の効力を知ったチェコ人たちが、乱用を始めるまでにそれほど時間は必要なかった。警察の人間が、同じ言い訳をして無罪放免になっているのだから、これで処罰をするなら差別だとでも言われたら、現場の警察官はさぞ困ったことだろう。
組織の偉いさんが、余計なことをして現場の人間が苦労させられるというのは、チェコでもよくある話で、いろいろな役所で手続きをするときに愚痴を聞かされることのあるのだが、ここまでひどい例は他にはなかった。この手の話は、最近はほとんど聞かなくなったので、法律が改正されるかどうかして、問題は解決されたものだと思いたい。
7月17日22時30分。
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