最初に思いついたのが、以前から存在は知っていたが、PC上で読む気にはなれなかった青空文庫である。このプロジェクトには賞賛の言葉しかないのだが、けちをつけるとすれば、ソニーのリーダーストアなどの電子書籍販売店で、書籍数を水増しするのに使われていたことだろうか。無料の書籍があるというので、特別フェアで無料で提供しているのかと見に行ったら、青空文庫に収録されたものをPDF化したものしかなかったのは、詐欺としか言いようがない。もちろん、これは青空文庫の罪ではなくて、販売店側の問題なのだけど、パピレスなどの既存の販売店ではそんな詐欺まがいの事はしていなかったのだ。やはりソニーは本を売るべき会社ではなかった。他のハードの販売促進のために立ち上げられたとしか思えない電子書籍の販売店も似たようなものだったけど。
青空文庫に収録された作品をリーダーで読むのなら、何もリーダーストアで手に入れる必要などどこにもないのだ。膨大な作品群の中から気に入ったもの、気に入りそうなものをダウンロードして、テキストファイルからPDFファイルを作成してくれるフリーソフトを使えばいい。中でもChainLPというソフトは、優れもので、ページサイズをソニーのリーダーの画面の大きさに適正化することもできる。
当時は、各短編ごとに改ページを入れるなんて青空文庫のコードを知らなかったので、改行を増やすことで対応していたし、PDFに表示される文字の大きさも、無駄に大きいものを使っていたから、今読み直したら、PDFを作り直したくなるだろう。そもそも文字が大きすぎる文庫本というのは、ページ数を増やして定価を上げようという出版社の思惑が見えて嫌いなのだ。それが自作するPDFにも反映されてしまうわけだ。
今、青空文庫のページをのぞいて、誰のどの作品をPDF化したか、一つ一つ思い出そうとしたのだけど、ぜんぜん駄目だった。冒険小説とか探偵小説なんかの戦前の薫り高いものを探した記憶はあるのだが。PDF化したものは古いPCのハードディスクの中だから、確認も再読も簡単にはできない。この辺の整理のできなさが、我ながらいやになる。本来なら作成したPDFは、どこかにまとめて保存して重複などが起きないようにするべきなのだろうけど、どこに保存したかも覚えていないものも多いからなあ。
考えてみれば、日本で紙の書籍を読んでいたころも似たようなものだったのだ。持っていたような気がしても、どこに置いたかわからなくなってしまった本を、二冊、三冊購入してしまったという経験は一度や二度ではない。特に本棚に入りきらず段ボール箱に詰めて押入れに放り込んでしまった本やマンガの数々は、古本屋に売り払ったのだろうと誤解して、読みたくなったときに再度購入してしまうことが多かった。
青空文庫の活動について言えば、近年の目に余る過剰なまでの著作権ビジネスに対抗する意味でも、活動を拡大し、著作権の延長を、少なくとも日本国内では認めさせないようにがんばってほしいと思う。著作から、本人が収入を得るのは当然で、その著作活動の被害を受けた家族、子孫が恩恵を被るのもある程度までは当然のことであろう。ただ、その著作権を売買して、著作者本人とは何の関係もないような企業が保有している著作権に関して、これ以上延長するというのは納得がいかない。著作権の延長を主張するのであれば、同時に著作権の売買を禁止するぐらいのことはしないと、バランスが取れない。
今回の確認で、野村胡堂の銭形平次を発見したから、数年ぶりに青空文庫の作品を読んでみようか。時代劇としての銭形平次は、好みに合わなかったのかあんまり見た記憶はないけれども、小説で読むとなれば話は別である。国枝史郎とか久生十蘭、林不忘なんかの名前だけは知っていて読んだことのない戦前の作家のSFにつながる作品群にもやはり気を惹かれる。以前はどれを読むか悩んでいる間に読むのを忘れてしまったので、今回は適当に選ぶことにする。
9月18日14時。
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