これで、「まにゑふしふ」、つまり「まにようしゅう」と読ませ、読みから「まんにょうしゅう」=『万葉集』に掛け、字面から短歌雑誌の『馬酔木』に掛けたつもりだったのだけど、史学を勉強している連中には理解してもらえなかった。
と、ここまで書いて、本日の話の枕にするには無理がありすぎることに気付いたのだが、乗物に酔うという話で、馬に酔うという意味ででっち上げた歌集の名前を思い出してしまったので書かずにはいられなかったのである。思い出すまですっかり忘れていたし、ここで書いておかなかったら、また十年ぐらい思い出すことはないだろうから。
子供のころから車に酔うたちだった。実家から親戚の家まで行くたかだか一時間の間に、車酔いで吐き気が止まらなくなり、車の中や道路脇で吐いてしまったことなど、思い出すに枚挙に暇がない。自家中毒という子供の病気で入院させられたときには、入院先の県立病院まで車で運ばれる間に、嘔吐を繰り返し、消耗しきってしまい入院したという事実しか覚えていない。いやそれすら親たちに言われて植えつけられた記憶であるのかもしれない。
大人になるにつれて、車酔いしにくくなり、普通に窓の外の景色を見ながら乗っていれば、酔うこともなくなった。しかし、うちのが車の免許を取り車を購入して、あちこち車で移動するようになると、車酔いを完全に克服したわけではないことが明らかになった。どちらも道を把握していなかったので地図を見ながらナビゲーションしていたら(カーナビなんてものはうちの車にはついていないし、つけたいとも思わない)、気持ち悪くなり始めたのだ。ときどき地図から目を離して、外の景色を見ることで吐き気を催すところまでは行かなかったのだけど、久しぶりに車に酔いかけて、ちょっとショックだった。
不思議なことに子供のころ学校で遠足などに出かけるときに乗ったバスには、普通にしていれば酔わなかった。鉄道でも酔わなかったのだが、両者の違いは、鉄道の場合には、中で本を読んでも、友達とカードゲームをしても酔わなかったのに、バスの場合には読書もゲームも覿面酔いにつながったことだ。だから、移動時間を有効に利用するために、日本にいるときもバスを利用することはほとんどなかったし、チェコでもバスのほうが便利であっても電車を使ってきた。
それが、昨年ブルノに出かけたときに、乗る予定の電車に間に合わず、次の電車を待つのも嫌だったし、当時ブルノの駅前を根城にしているホームレスたちの間で、肝炎が流行しているというニュースがあって長居したくなかったこともあって、駅近くのバス乗り場に行ってみたら、三十分後ぐらいにでるオロモウツ行きのバスに空席があると表示してあったので乗ってみた。
鉄道のレギオジェットを走らせている会社ステューデントエージェンシーが運営している黄色いバスで、鉄道が一時間半以上かかるところを、オロモウツまで途中停車がないので、一時間で到着する。サービスは鉄道ほどではないけど悪くなく、お茶やコーヒーが出たり、新聞雑誌を配布していたり、座席の前のディスプレーで映画を見られたり、無料のワイファイが使えたりしていた。
高々一時間の道中なので、そんな特別なサービスを使う気もなかったのだが、だめもとで本を読んでみた。気持ちが悪くなる兆しが見えたらすぐに読むのをやめて、窓の外の景色を見るつもりでいたのだが、自分でも驚いてしまうことに、何の問題もなく本を読み続けたままオロモウツに到着できてしまったのだった。
次はノートパソコンを持ち込んで、仕事、ではなくて、このブログの与太記事を書いてみようと機会をうかがっていたら、今日ブルノの知人のところに出かける用事ができた。最初は確実に書ける鉄道にしようかと思っていたのだが、バスのほうが一時間半ほど遅い時間に出られることもあって、バスを使うことにした。帰りは行きの結果次第である。
バスの中でコンピューターを使うのは無理だった。揺れがひどくて画面を見ていられないのと、頑張って見て書いていると車酔いの兆候が現れたのとで、出発して二十分ほどであきらめてコンピューターを終了させてしまった。本を読むのもつらいかなと思ったら、本はまったく問題なかった。うーん、帰りをどうしようと悩ましかった。
結局、帰りもバスにしてバスに乗っている間は高々一時間なので本を読むことに費やし、コンピューターを使うのは知人のところでさせてもらうことにした。今現在、所用が終わって二時間ほど机の片隅を借りて、この原稿を書いているのである。最近サボっていた『小右記』の月ごとの記事もまとめて三日分に当てられそうなので(読む人はいなさそうだけど、これは自分のためのまとめなのである)、しばらくは自転車操業から逃れられそうである。
2月16日23時。
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