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2017年04月28日

フランティシェク・ライトラルを悼む(四月廿五日)




 実は、この件については書くつもりはなかったのだけど、日本のインターネットでも、報道されていてあまり情報が出ていなかったので、多少の情報を提供しておこう。結構好きな選手で、慢性疲労症候群という大変な病気と戦いながら選手生活を続けていたというのもあって、密かに注目して応援していたのだけど……。

 ライトラルについては、プルゼニュに移籍する前のバニーク・オストラバでの活躍が記憶に強く残っているので、オストラバ育ちの選手だと思い込んでいたら、実は中央ボヘミアのプシーブラムの出身だった。2004/2005のシーズンに一部リーグデビューを果たし、最初のゴールを決めている。ディフェンスの選手が十代でデビューしてゴールまで決めるというのは、チェコでもあまりないことで、その活躍が評価されて、当時はまだ優勝直後でその余韻を引きずって強豪チームだったオストラバに引き抜かれたのだろう。
 オストラバでは四シーズン過ごすことになるのだが、すでにこの時期には慢性疲労症候群を発症していたという話もある。その後プルゼニュに移籍して、反対側のサイドバック、リンベルスキーとともに、ブルバの作り上げた攻撃重視のチームに不可欠な選手となっていくのだが、オストラバ時代の最後の方で目立った活躍ができていなかっただけに、復活したという印象を与えた。

 プルゼニュが二回のリーグ優勝に貢献した後、2014年の春には、ドイツのハノーファーにレンタル移籍している。結構活躍しているような印象だったのだけど、半年のレンタル期間が切れた後、またプルゼニュに戻ってきた。プルゼニュの初優勝から、イラーチェク、ペトルジェラ、ピラシュと何人かの選手がドイツに移籍して行ったが、ダリダ以外は、残念なことに真価を発揮することなく、一瞬しか活躍できないままにチェコに戻ってきている。ライトラルもその系譜に連なってしまったわけである。
 プルゼニュ復帰後は、ゼズニーチェク、マテユーなんて選手とポジションを争いながら、さらに二回の優勝に貢献している。慢性疲労症候群でほとんど試合に出られなかった時期もあったようだ。ライトラルが好調なら、絶対的なレギュラーだったのだろうけど、結構調子の波が激しかったような印象がある。

 代表にも呼ばれて試合にも出場しているけれども、同じポジションにドイツで活躍し続けているカデジャーベクとゲブレセラシエがいるので、どうして三番手の扱いになってしまうところがある。トルコで調子を取り戻して、この二人の代役として代表に呼ばれるぐらいまで復活することを期待していたのだけど、トルコはやはり鬼門なのかなあ。

 昨年の夏、チャンピオンズリーグの予選でいいところなく敗退したときに、チームの沈滞した雰囲気を変えるためにプルゼニュが選んだのが、選手の入れ替えだった。ベテランで在籍年数も長く、調子の上がらなかったコラーシュとライトラルの移籍を許可し、トルコの同じチームに送り出したのだった。
 不調に陥った選手が、環境を変えることで調子を取り戻すというのは、よくあることなので、二人の選手にとってもいい結果をもたらすことを期待したのだけど、コラーシュは調子が上がらなかったのか、半年で契約解除されチェコに戻ってきた。そして、ライトラルは最悪の結果になってしまったわけである。

 トルコの警察では、当初遺書が残されていたと言っていたのだが、翻訳させてみたら遺書ではなく、お金を借りている相手と、貸している相手のリストだったそうだ。トルコではチームの経済状態が悪かったのか、移籍して半年以上たつと言うのにたったの二ヶ月分の給料しかもらっていなかったというし、経済的に追い詰められていた面があったのかもしれない。
 ライトラルの自殺の原因に関してはあれこれ言われているけれども、最大の原因は慢性疲労症候群とも関係する鬱状態のようだ。チェコにいたときからしばしば強烈な鬱状態に陥って練習にも出られないことがあったようだ。その欝から逃れるために賭け事にのめりこんでいたという話もある。病院に通って治療も受けたことがあるようだが、この手の病気はなかなか完治は難しいのだろう。
 この件に関して、チェコのサッカー選手の協会のようなものの代表が、選手にこの手の精神的な問題を解決するための教育を受けさせたいと考えているのだけど、チームの中にはわれわれが選手と接触するのを好まないチームがあり、プルゼニュもその一つだという声明を発表した。それに対して、プルゼニュのコザーチクが、ライトラルの死を自分たちの組織のために利用しているという怒りのコメントと協会からの脱退を発表した。

 最近は、バロシュをはじめ、トルコからチェコに戻ってきてプレーする選手も多いので、ライトラルも二、三年後には戻ってくるのではないかと期待していたのだが……。
4月27日20時。


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