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2017年06月18日

ソボトカ首相大迷走の果てに〈前編〉(六月十五日)




 つまり、ソボトカ首相は、選挙の結果にかかわらず、選挙後に退任するということである。社会民主党が選挙に勝った場合にはザオラーレク氏が首相候補となり、負けた場合には野党の党首としてホバネツ氏が、社会民主党を引っ張り将来の首相候補になるのだろうか。ザオラーレク氏はともかくホバネツ氏が首相というのは想像しにくい。

 簡単にソボトカ首相のここまでの歩みを振り返っておくと、確か2010年の総選挙で予想を下回る結果しか出せなかったパロウベク氏が辞任し、党首の座をソボトカ氏に明け渡したのが、ソボトカ氏の首相への道の第一歩だった。このときの選挙では、社会民主党が第一党の座を獲得したにもかかわらず他の政党との連立の交渉に失敗して、市民民主党を中心とする内閣が成立したのだったかもしれない。
 この選挙で成立したネチャス内閣は、現在のソボトカ内閣以上に内紛が多く、最後は内閣府で一部門の長を務めていた今の奥さんが、職権を乱用したという疑惑に巻き込まれて、政権を投げ出してしまった。政権維持よりも、当時はまだ不倫の関係にあった女性を優先したということで、かなり無責任な辞め方だという印象を与えた。このこともミロシュ・ゼマン大統領が後任の総理大臣に、市民民主党の新しい党首を指名しなかった理由の一つになっていると思う。
 ゼマン大統領は、ルスノクという元社会民主党の国会議員で今はチェコ中央銀行の総裁を務めている人物に、暫定内閣を組織させ予定されていた総選挙までのつなぎにしようとしたのだが、この内閣が国会で承認を受けることができず、内閣があるんだかないんだかよくわからない状態で総選挙を迎えることになった。

 選挙では、予想通り社会民主党が第一党になったものの、バビシュ党ANOの予想以上の健闘で、議席数は予想ほど伸びなかった。これが、党内のゼマン親派が企てたソボトカ下しの党内クーデターの試みにつながる。反ソボトカ派のハシェク氏、ジモラ氏など党の地方組織を牛耳る連中が、大統領の別邸のあるラーニのお城で、ゼマン大領領と秘密の会談を持ち、ハシェク氏に首班指名が下りるように画策していたのだ。ソボトカ氏の次の次を目されているホバネツ氏も、この会合に参加していたはずなのだが……。
 この党内クーデターの試みは、マスコミが報道したことで表に出て、ハシェク氏が最初はそんな会合はなかったと否定し、後にあったことを認めるという失態を犯したこともあって、ソボトカ氏はこの動きを抑え込むことに成功する。「ムラダー・フロンタ」や「リドベー・ノビニ」も熱心に津給していたような記憶があるから、この時点では、ある意味バビシュ氏の企業に救われたのだと言えなくもない。それが、その後社会民主党とANOが連立を組むことになった理由なのかどうかはわからないけど。

 ソボトカ氏は、その後、ハシェク氏やジモラ氏のような、国会議員でありながら地方知事を務めているという二、三人の公職兼業議員に対して、どちらかの職務を選んで、選ばなかった方は辞職するように求めた。最初は見苦しく抵抗していた連中も、世論の圧力もあって、結局議員を辞任して知事に専念することを選んでいた。日本人の感覚から言うと、兼業が可能になっているのがそもそも理解できない。
 この一連の事件は、党の中央と、地方、特に地方のボス政治家の間の断絶が深刻なものであることを浮き彫りにした。党首の求心力が強い間は、あまり問題が出てこないのだが、選挙で負けたり、世論調査の支持率が下がったりして求心力が落ちると、途端に党内の不和となって現れる。この党内の対立の激しさは、社会民主党の持病みたいなもので、市民民主党に近い層から、共産党に近い層まで存在することを考えると、右派と左派の対立が激しかったかつての日本の社会党を思わせる。そこに地方と中央の対立が加わるわけだから、対立が表面化すると支持率が下がるのは自明のことである。

 キリスト教民主同盟、ANOとの連立交渉を行いソボトカ内閣が成立したのは、選挙から三ヶ月以上の時間がたった後のことだった。当然、任命したのはゼマン大統領なのだが、この時点でゼマン大統領と完全に和解できなかったことが、現在にまで尾をひいいている。2003年にゼマン大統領が当時は国会議員の投票で行なわれた大統領選挙で惨敗を喫したときに、社会民主党の議員でありながらゼマン氏に投票しなかったうちの一人がソボトカ氏で、ゼマン大統領はそのときの恨みを忘れていないのである。

 長くなったので今回はこの辺で。
6月16日23時。






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