それはともかく、シュテルンベルク家がボヘミアとモラビアの二系統に別れたように、シュテルンベルクという町も、ボヘミア、モラビア双方にある。ボヘミアのシュテルンベルクは、中央ボヘミア地方のベネショフの近く、ビソチナ地方に源を発し西流してブルタバ川に合流するサーザバ川が作り出した深い谷間にある。町を見下ろす河岸の高台には、ゴシック様式の巨大な チェスキー・シュテルンベルク城 がそびえている。
かつて東西を結ぶ重要な交易路だったサーザバ川とそれに沿った街道を扼する位置に十三世紀に城を築いたのは、シュテルンベルク家の先祖に当たるディビショフ家の人々だという。地図を見たら高速道路D1を挟んだ反対側にディビショフという小さな町がある。ここの出身の一族がチェスキー・シュテルンベルクに拠点を移して、シュテルンベルク家が誕生したのだろうか。
シュテルンベルク家の紋章は、青地に黄色い星である。ただしよくある五芒星でも六芒星でもなく、そんな言葉があるのかどうかは知らないが、八芒星である。星ということで、ドイツ語ができる人はぴんと来たかもしれない。シュテルンベルクの名前はドイツ語のシュテルン=星から来ているのである。そして、黄色い八芒星は、シュテルンベルクの星と呼ばれている。町の紋章のほうは、星の下に緑色の山が付け加えられている。こちらもドイツ語のベルク=山から来ているようである。
だからと言って、シュテルンベルク家がドイツ系だとは断言できない。チェコの貴族の家名は、地名の前に、出所を現す前置詞の「z」をつけて表すことが多い。ディビショフ家の場合には、名前の後に、「ズ・ディビショバ」が付き、シュテルンベルク家の場合には「ゼ・シュテルンベルカ」が付く。シュテルンベルクという名詞自体はドイツ語起源のようだが、つづりも含めてチェコ語化しているのである。前身のディビショフはいかにもチェコっぽい地名ではあるけど、この辺りで、地名や姓をもとにしてドイツ系、チェコ系なんてこだわるのは意味のないことなのだろう。領民にチェコ人、ドイツ人の両方がいれば、貴族家の当主もどちらの言葉もできたはずなのだし。
実は、このチェスキー・シュテルンベルクには行ったことがない。廿年も前にチェコ各地をうろうろしていた頃には、チェコ語もできなかったし、チェスキー・シュテルンベルクなんて町が存在するなんてことは知らなかった。いわんやシュテルンベルク家なる貴族をやである。
こちらに来てからはオロモウツを基点に動いているので、一年目、二年目のあちこち旅行した時期にも足は伸ばさなかった。電車のスピードが上がって、遥に鉄道での移動の便がよくなった現在でも、コリーンまで行って乗り換え、さらにもう一度レデツコという駅で乗り換える必要があって、三時間ほど時間がかかるのである。あの頃であれば、四時間、いや五時間以上かかったとしても不思議ではない。ちなみに、プラハからも鉄道だと二時間前後かかるので、自動車で行くのが一番いいようだ。地図を見ると意外と高速道路のD1の近くにあるし。
ところで、このチェスキー・シュテルンベルクのお城の近くには、日本にキリスト教を伝えたことで有名なフランシスコ・ザビエルの像もあるようだ。チェコ語で「フランティシェク・クサベルスキー」と呼ばれるザビエルは、プラハのカレル橋に像があることは知られているだろうが、イエズス会によってフス派戦争、三十年戦争後の再カトリック化が進められたチェコ国内には、意外とあちこちに象や絵が残されているのである。オロモウツの共和国広場にある聖母マリア教会にも、ザビエルに捧げられた祭壇があって、ザビエルの生涯を描いた絵が飾られている。教会にはできるだけ足を踏み入れないようにしているので、実際に見たことはないけどさ。
チェコの人はフランティシェク・クサベルスキーが日本にキリスト教を伝えたことを知らないし、日本人は、フランティシェク・クサベルスキーがあのザビエルであることに気づかないので、見逃してしまうことが多い。注意していると、意外なところでザビエルに出会え、戦国時代の日本とチェコがつながっているような感覚になれるかもしれない。ザビエルについて大したことを知っているわけでもないんだけどさ。
7月18日15時。
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