発端は、知人のブログに吉田拓郎の歌碑が登場したことにある。思いがけない登場に、いや知人が吉田拓郎と関係のあるところに勤めていることは知っていたけれども、歌碑があるなんて思ってもいなかったし、ブログに登場するとは全く想像もしていなかったため、強烈な懐かしさにかられてしまった。90年代に同時代の音楽に目を背けていたころ、現在は背けるどことか日本の音楽なんて全く聴かなくなっているけど、60年代、70年代の黎明期の日本のフォーク、ロックを聴き漁っていた。当然吉田拓郎、当時のものは名前がひらがなだったかもしれないけど、吉田拓郎の曲もあれこれ聞いていたのだ。
件の歌碑には「今日までそして明日から」の歌詞が印刷されている。この歌どんな歌詞だったっけと考えて写真を見るけど、ちょっと小さすぎて見づらい。ネットで検索して出てきた歌詞を見て、更なる懐かしさに、そのページに上がっていた題名を記憶している歌の歌詞を片っ端から見ていった。歌詞は忘れていた部分もあったけど、それなりに覚えていて、それもまた懐かしさを駆り立てた。
しかし、歌詞を何度読んでも、覚えていたつもりのメロディーが頭の中に浮かび上がってこない。うーんかれこれ20年近く聞いていないからなあ。そこで仕方がないと諦められればよかったのだが、いや、ネットがここまで便利なっていなければ諦められたのだが、ついつい次を探してしまった。つまり歌が聴けそうなページを探したのだ。
ユーチューブは嫌いである。フェイスブックやツイッターと同じぐらい嫌いである。嫌いなんだけどしょうがないじゃないか。音だけで視聴できるページは見つけたけど、視聴でさわりだけというのは、飢餓感を増幅するだけだった。背に腹は換えられない。普段の主義主張にはちょっとふたをさせてもらって、断腸の思いで、検索で出てきた「今日までそして明日から」のビデオを再生した。映像なんかいらないから、見ないで歌だけを聴きながら、文章を書くつもりだったのだ。だけど……。
久しぶりに、本当に久しぶりに聞く吉田拓郎の歌声は耳に優しく、歌詞には心を揺さぶられた。歌詞を読んだときには何とかなったのだが、メロディーにのせられた歌詞を聴いて、思わず涙をこぼしてしまった。こうなるともう何も書けやしない。次々に聴いた記憶のある曲を再生し、懐旧の念に浸ってしまった。90年代に聴いた70年代の音楽は新しい発見であったが、今回の感情はどう考えても懐古だ。昔聴いた歌を聴きなおして涙を流しちまうなんざ、年を食った証拠だな。最近、年をとったと思わされることが多くていやになる。二十歳にして生きすぎたりのはずが、冬蜂の死に所なく歩きけりになりそうなんだよなあ。
ところで、「今日までそして明日から」の歌詞を間違えて覚えていたことに気づいてしまった。冒頭の「わたしは今日まで生きてみました」を、「みました」ではなく、「きました」だと思い込んでいたのだ。単なる昔を思い出して泣いちゃいましたじゃ、日記もどきになってこのブログにはそぐわないので、この「きました」と「みました」の違いについて感覚的に考えてみる。
日本語の補助動詞の「みる」には、確かに「試す」という意味がある。ただ、この「みる」を使ったときに、動詞の表す動作に対する決意にある種の軽さを感じてしまうのも確かである。例えば、「私は日本語を勉強してみます」なんて言われたら、そこには絶対に日本語ができるようになりたいという強い決意は感じられず、むしろちょっとやって駄目だったらすぐやめるという決意ともいえないような言い訳めいたものが見え隠れしてしまう。
誰かに料理を勧めるときなんかに、「食べてみてください」というのも、美味しくなかったらすぐやめていいですよという思いやりを示すものだし、「してみる」という表現には、駄目だったらすぐにやめてもいいという緩さを感じてしまうのである。だから「わたしは今日まで生きてみました」の部分だけを取り出すと、生きることへの決意の軽さか感じられるような気がして、最後の「明日からもこうして生きていこうと思うんです」という部分と対応する形の「わたしは今日まで生きてきました」だと思ってしまっていたのだ。
しかし、改めて歌詞を読み返してみると、そうではないのだ。「わたしは今日まで生きてみました」がかかっていくのは、生きる手段を語った次の二行「時には人に助けられて」「時には人にすがりついて」なのである。言い換えるなら、これまでいろいろな方法で生きてみたということなのだ。そうなると「みる」の持つ軽さは、「生きる」ではなく生き方にかかっていく。一つの生き方を試してみてだめだったら、すぐに次のいき方を試す。それを何度も繰り返すわけだから、「生きる」ことへの決意の強さはこの上もないものになる。「自分の人生」を生きるためには、手段を問わないのである。
それに比べて、「生きてきました」としたときの、貧弱さはどうだろう。生きるための、生き方を探すための試みであった「時には人に助けられて」「時には人にすがりついて」も、単なる状況を説明する背景に後退してしまい、状況に流されて生きてきたような印象を与えてしまう。これでは、「明日からもこうして生きていこうと思うんです」の強い決意を受け止めきれない。
ああそうか。「生きてきました」というのは我が人生なのだ。状況に追い詰められて流されるように、道を踏み外し続けてきた我が人生には、能動的な「生きてみました」というのはふさわしくない。だから、長らく聴かなかった間に記憶の中の歌詞を無意識に改変してしまったのだ。そして、自分にはできない生き方だからこそ、この歌を聴いて涙を流してしまったのだ。
我が恥さらしの人生については、「今はまだ人生を語らず」と答えるにしても、いつか語れるようになる日が来るのだろうか。とまれ、天性の詩人の言葉への感覚の鋭さは、大学で文学なんてものを学問としてかじった人間に及びのつくようなものではないのだ。異国の地で昔聞いていた吉田拓郎のすごさを再確認し感慨にふけるなんてのも、老い先短い人生、悪くはないんじゃないかという気がしてきた。
以上、心の中にうずまいていたことをぶちまけてみたわけだけど、ユーチューブで吉田拓郎を聴くのを止められるかな。この次の記事が選挙結果の話だったら止められたということである。
2017年10月27日23時。
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