その後、90年代にはチェコに移ってアグロフェルトという農業関係の会社を経営していたようだ。そこから食品加工産業に手を出し、あの評判のよかったソーセージなどの肉の加工工場も、製パン工場もいつの間にかバビシュ氏の手に落ち、気が付けばマスコミの「ムラダー・フロンタ」「リドベー・ノビニ」というチェコの二大紙までもが、アグロフェルトの一部となっていた。すでにチェコ語を勉強していたころ、つまりは今から十数年前にはチェコ語の先生に「ムラダー・フロンタ」と「リドベー・ノビニ」は、違う新聞だけど経営者は一緒だぞと言われて、独占禁止法は存在しないのかと不思議に思ったことがある。
もちろん、チェコにもEU準拠の独占禁止法はあるし、EU加盟以前から存在していた。その独占禁止法で、なぜチェコで一、二を争う新聞社を一つの会社が所有することを禁止しなかったのかについてはよくわからないが、一ついえるのは、まだ政界への野心をあらわにしていなかったバビシュ氏に対して、政治家たちがあれこれ便宜を図っていたのだろうということだ。見返りは当然、合法非合法の政治のだめだけでない資金の提供だったはずである。そんな顧客だったはずのバビシュ氏が、政治家への資金提供を止めて自ら政治の世界に乗り出してきたことに対する反発、これが現在のチェコの政治に混乱をもたらしている。今では同盟者とも言えるゼマン大統領でさえ、当初は大反発して批判を繰り返していたのである。
この手の問題のある企業経営者や、投機的に企業を売買する連中と政治家との癒着というのは、個々の事例はともかく、癒着していること自体は公然の秘密で、公然の秘密ではあるけれども政治家としては、個別の事例は自分たちの罪にもなりかねないので認めることができないから、バビシュ氏を批判するのに、自分たちのかかわっていない案件を使うしかない。だからその批判には説得力が欠けるのである。
バビシュ氏以外にも、例えば自転車のロードレースのトップチームの一つクイックステップのオーナーとして知られるバカラ氏も、この手の問題のある人物の一人で、オストラバ地方の炭鉱会社OKDの民営化に際して、政治家を動かして市場価値よりも大幅に安価に手に入れたのではないかという疑惑があるし、経営者としての自己への報酬を多めにするなどOKDの資産を流出させ意図的に経営難に追い込み、地域の基幹産業の破綻を避けようとする国から金を引き出そうとしたなどとも言われている。
このバカラ氏に関しては、以前ハベル大統領の盛大な誕生パーティーのスポンサーとして話題になったことがある。このあたりが、ハベル大統領が独立後のチェコ共和国において誰もが認める唯一の大統領でありながら、晩年しばしば政治家になりすぎたと批判された所以である。二人目の奥さんを含めて不用意に怪しい人物を近づけすぎだというのである。
結局、バビシュ氏と既存政党の間の対立は、経済界から政界への進出が旧来の政治家にとっては歓迎できるものではないことを示している。ただの国会議員として「プロの」政治家の指示通りに動くのならまだしも、大臣、宰相の地位を目指すとなると排除の論理が発動するのだろう。最初にそれを体験したのは、2010年の下院選挙で議席を獲得して連立与党の一角をなしたVV党の党首バールタ氏だということになる。
バビシュ氏が、政界への進出に向けてANOを設立したのは、正式名称に2011という数字が入っているように、2011年のことである。ANOは、「不満を抱えた市民の行動(Akce nespokojených ob?an?)」の頭文字をとったもので、特に既存の政党と官僚、財界の一部との癒着に対する不満を抱く人々が終結して、政治を変えることを目標にしているようだ。会社運営の効率的な手法を、国の運営にも持ち込んで無駄を排除するということのようだ。政治家と官僚の癒着を排除して効率化を図ると言えばいいだろうか。
バビシュ氏にあれこれスキャンダルが勃発しながら、支持率が下がらないのも、スチューデント・エージェンシーの創立者や、マイクロソフトのチェコ法人の元社長などが、バビシュ氏を支持しつづけているのも、その主張にかなりの説得力があるからだろう。市民民主党が中小の業者いじめだと主張するEET(レジのオンライン接続による売り上げの登録)が導入されたばかりだというのに、小さな会社の経営者がANOから今回の選挙に出馬して当選しているのも、そのことを裏付けている。
ANOにとって最初の選挙は、2012年の上院議員の選挙だった。この選挙の時にはほとんど話題にならなかったので、おそらく候補は立てたものの、第二回目の投票に進んだ候補はおらず、みな落選したはずである。静かにひっそり設立され静かに活動していたこの政治団体が、一躍日の目を見たのは市民民主党のネチャス首相が政権を投げ出し、ゼマン大統領が市民民主党に新しい政府を組織する命令を出すのも、下院の解散して総選挙をおこなうのも拒否して、お友達と言われるルスノク氏に暫定内閣を組織させたものの、国会で必要な信任を得られず、結局解散総選挙ということになった2013年のことである。
準備期間が長かったのが幸いしたのか、選挙前の予想を大きく超えて20パーセント近い票を獲得して社会民主党と僅差の第二党へと躍進した。そして長い交渉の果てに社会民主党、キリスト教民主同盟と共に連立与党に参画することになる。そこで、最初に指名した国会議員が大臣として力不足であることがわかると、すぐに更迭して、党員でも国会議員でもない専門家を外から招聘して大臣に指名したのも、既存の政治家たちには嫌われたのかもしれない。
これまで、緑の党、VV党と、新たに下院に議席を獲得した党が、与党に加わったものの、あれこれの事情で内部分裂を起こして崩壊するという事例が連続していたので、ANOもその後に続くかと思われたのだが、既存政党側からの攻撃もものともせず、四年間の任期を、大臣の交代はあったものの、特に分裂することもなくまっとうした。
これまで二回、既存の政党以外の新党が期待を裏切る結果に終わっていた分だけ、ANOへの評価につながったのだろう。今回の選挙では、前回の結果に10パーセント以上、議席にして30議席以上の上積みに成功し、堂々第一党の座を獲得したのだった。ANOが勝ったという観点から書けば以上のようなことになるのだが、今回の選挙は首相を擁していた社会民主党を初めとした既存の大政党が自滅したという側面も強い。その点については、それぞれの当について書くときに改めて記そう。
それよりも、選挙後の連立の交渉がうまくいっておらず、ゼマン大統領がバビシュ氏に組閣の命令を出すのは決定的であることを考えると、少数与党のANOの単独内閣が出来上がるかもしれない。そして、その内閣が下院で信任を得られず、ゼマン大統領が改めて別の党の党首に組閣命令を出すことになる可能性もある。その内閣も信任を得られなかったりして成立しなかった場合には、またまた解散総選挙という可能性もあるのである。二回目の首班指名を省略する可能性さえある。そうなると政権の成立を阻止した既存政党に対する風当たりはさらに強くなり、ANOと海賊党と場合によってはオカムラ党が勢力をさらに伸ばす結果になるような気がする。市民民主党あたりが、ANOの暴走を止めるためと称して、ANOと連立政権を組むのが一番穏当な方法だと思うんだけどなあ。
ぐだぐだになってきたので、この稿はこれで一度おしまいということにする。
2017年10月29日23時。
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